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2023/05/25

2023年の寺山修司忌



私は寺山修司のファンなのですが。
5月4日は寺山修司の御命日です。

なので、ここ20年ちょっと、毎年5月4日は高雄霊園にある寺山修司のお墓にお参りしています。
正直に告白しますが、新型コロナで外出自粛要請の出ていた2020年もこそっとお参りに行きました。まぁ、ほとんど毎年自分ひとりで墓参に向かうので、うつしたりうつされたりはあまりないと思ってなのですが。
寺山修司が亡くなられたのは1983年ですから、今年で没後40年になります。
今回は没後40年の節目の年、かな。

寺山修司の御命日はよいお天気の日が多いのですが、今年も良いお天気でした。
Tシャツ1枚でいいくらい。

今回、とても残念な事がありました。高雄霊園併設の安下処(食堂)が3月いっぱいで閉店してました。がーん。
毎年ではありませんでしたが、お墓参りのあとに安下処でご飯を食べるのは楽しみでした。
そして何よりも、関係者のみなさんがお墓参りのあと、休憩所で歓談しながら安下処から取り寄せたビールをお飲みになりながら歓談なさっていた様子を思い出します。もうそれもなくなるのかなと。
ただ、その新型コロナの外出自粛要請が出た2020年からそうやってお集まりになる皆さんの姿も見かけなくなってしまったのですが。

墓参を始めたころは高尾駅からの無料送迎バスが1時間に2本出てました。その送迎マイクロバスも数年前にワンボックスカーになり。去年からはそれもなくなり、霊園の事務所にタクシーを呼べる電話が設置されました。まぁ、緑に囲まれた谷あいを歩いて霊園に向かうのも楽しいものですが。

久しぶりに緑の中を歩き、お墓参りを済ませました。

寺山修司没後40年。

私が大好きだった寺山の「さかさま」シリーズの論法、「常識」を軽やかにひっくり返す語り口は大好きだったのですが。あのころも鬱々として過ごしていた私はそれに快哉を叫んでいたのですが。没後40年の今は『逆張り』としてネット論客の常套手段と化し、少々陳腐化しています。
寺山の「作り変えることのできない過去なんてない」って大好きな言葉も今や「歴史修正主義者」たちがもっとも醜悪なかたちで体現しています。(そういう寺山の思想を知っていたからこそ、彼ら「歴史修正主義者」の存在にいちはやく気づけたという部分もあるのですが)
寺山のそういう虚構論、そしてだいぶ後に知った岸田秀の『喩幻論』から、私は「けっきょく人は自己の脳内の『幻想』を生きている」と思うようになっているのですが。その「脳内幻想」がどんどんてんでばらばらになっていってるような気がします。いや、そのてんでばらばらっぷりが身もフタもなく可視化されてしまったのかもしれません。SNSの発達がそれを可視化してしまったと。
もともとはアンディ・ウォーホルの言葉だそうですが、「いつか世界でだれもが15分間だけ有名になれる日が来る」も迷惑ユーチューバーなんかが体現しちゃってますね。

寺山没後40年。時代は寺山に追いついた、と思うと同時に、どうもとても嫌なかたちで追いついてしまったなぁと嘆息したりもしています。

寺山修司の墓参を始めて20年ちょっと。もうあと20年も寺山修司の墓参もできないでしょう。あと20年生きてないと思うし。
折り返しは過ぎたなぁと思っています。

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