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2021/10/06

かわなか先生の上映会

先日渋谷であったイメージフォーラム・フェスティバルで映像作家の「かわなかのぶひろ」先生の特集上映があったので拝見してきました。

かわなか先生との出会いは40年近く前、熱海で開催された第1回日本冒険小説協会全国大会でした。大会の様子をビデオで撮影されてました。
それから数年して私は上京し、日本冒険小説協会公認酒場『深夜+1』に出入りするようになったのだけど。ある日、深夜+1に(その頃は四ツ谷三丁目だった)イメージフォーラムでのかわなか先生の作品上映会の案内が置かれていました。全国大会の撮影でお世話になってるし、お付き合いでちょっと覗いてみるかなと思って出かけてみました。

その時はどうせそういう「芸術映画」なんてわかんないだろ、退屈するだろ、まぁ、お付き合いだし。と思っていたのですが。しかし、あにはからんや、退屈しませんでした、

私は基本的にアクション映画が好きなんですが。ドンパチも派手なアクションシーンもない、美男美女が出るわけでもない、濃厚なエッチシーンがあるわけでもない、それともそういうのが好きな人もいる、恋愛が描かれてるわけでもない、人生の機微が (直接には)描かれているわけでもない。特に「ストーリー」もなく、日常的な映像を繋いでいった「映画」。でもなぜかそれを眺めてて退屈しませんでした。それが自分でもとても不思議でした。

これは自分で考えた仮説ですが。多分、映像を繋いでいく「呼吸」とでも呼ぶべきものが絶妙なのではないかと思っているのですが。

それから実験映画の世界に興味を持つようになり、四谷三丁目時代のイメージフォーラムにも通うようになりました。その頃イメージフォーラムは週末に実験映画の上映会をやっていましたが、それをよく見に行ってました。それからもちろんかわなか先生の上映会にもお伺いするようになりました。
イメージフォーラムの実験映画の祭典・イメージフォーラム・フェスティバルにも行きました。フリーパス券を買って全プログラム制覇!とかやった年もあります。
まぁただほんと、今はそういう実験映画に対する情熱もさすがに枯れてきてしまっているのですが。

今回のかわなか先生の特集上映は5プログラムでした。私ごときものが実験映画、映像作品について何かを語るほどの技量はないとは自覚していますが、今回改めての感想など書いてみます。

 

『私小説』(M4プログラム/16ミリ/103分/1996年)
かわなか先生には『私小説』と呼ばれる一群の作品があるのですが、本作はその集大成かと思います。
かわなか先生は米国の映像作家ジョナス・メカスと親交があったそうですが。そのメカスの「日記映画」的なスタイルの作品です。日常的な風景をカメラで捉えていった映像を絶妙にモンタージュして構成された作品です。
かわなか先生、ふと気がつくとカメラを回していらっしゃるのですが。そうやって撮られた映像なのかなと。

『映像書簡10』(M2プログラム/デジタル/38分/2005年)
「映像書簡』シリーズは萩原朔美さんとの映像を使った文通という趣向の作品群です。萩原朔美さんは萩原朔太郎のお孫さんにあたる方で、寺山修司率いる演劇実験室◎天井棧敷にも参加された方。キモメンのあたくしがちょう羨ましくなるほどのイケメンさんであります。
ちなみにこの映像書簡シリーズに触発されて寺山修司が谷川俊太郎と始めたのが「ビデオレター」だそうです。

この回は朔美さんは母親の認知症の話、かわなか先生はご自身の胃癌の話、大変な話の回でした。
今回の特集上映には『映像書簡2』もありました。

『トーキー・フィルム 1・2』(M2プログラム/8ミリ/3分30秒/1974年)
かわなか先生のビデオ撮影ハウツー本に「スチルをムービーで撮る、ムービーをスチルで撮る」というテクニックが書かれていたと記憶しています。
本作はその「スチルをムービーで撮る」というテクニックの作品。摩天楼やハリウッドスターの写真をモチーフにしたムーヴィー。「2」の方になるのかな、寺山修司の『マルのピアノにのせて時速一〇〇キロで読まれるべき六五行のアメリカ』という詩の朗読が寺山自身の肉声で入ってます。確か三沢の寺山修司記念館の展示にもあったと思います。

寺山修司とかわなか先生は親交があったそうです。かわなか先生が実験映画の上映場所探しに苦労していたとき、渋谷の天井棧敷館を使わせてほしいとお願いしたら、寺山修司は快諾して、それで天井棧敷館で上映会ができたとか。

『スイッチバック』(M1プログラム/16ミリ-上映はビデオ版-/9分/1976年)
かわなか先生のテーマの一つに「通底する記憶」(と私が勝手に呼んでます)というのがあるそうです。直接には記憶にない、でも懐かしさを感じる、そういう風景。
本作はそういうい「通底する記憶」をテーマにした作品かと。凍てついた川、ご行幸かな、ごった返す群衆。そういう古い映像をモチーフにした作品。

『いつか来る道」(M3プログラム/16ミリ/32分/2001年)
これはかわなか先生還暦記念でイメージフォーラム・フェスティバルで上映された作品かと思います。かわなか先生ご自身の半生を振り返った作品。
上映のときのイメージフォーラム・フェスティバルの会場で、この作品の主題歌が入ったミニアルバムが売られていました。CD-Rのやつです。あのころ読んでたパソコン雑誌で「CD-Rドライブがあれば自分オリジナルのCDが作れる」って記事が載ってて、そういうのに興味を持っていたので、試しに買ってみました。極私的にはそういう思い出のある作品です。今も取り込んだ音源がスマホに入っていて、たまに聞きます。

『市街劇ノック』(M1プログラム/モノクロ&カラービデオ/52分/1975→2008年)
1975年に演劇実験室◎天井棧敷が阿佐ヶ谷界隈で挙行した「市街劇」ノック。そのビデオ撮影をかわなか先生は寺山修司から依頼されたそうで、その当時のモノクロビデオの記録映像と、今の阿佐ヶ谷のカラービデオの風景を組み合わせた作品です。

おなじM1プログラムに前年に作られた『キック・ザ・ワールド』という作品がありました。古今東西の名所のミニチュアのある公園で缶を蹴っていくという趣向の作品ですが、これもビデオ作品で、そういうビデオ撮影の研究もされていたんだなと思いました。

かわなか先生と出会った第1回日本冒険小説協会全国大会でも先生はビデオで撮影されていました。照明係の助手さんとふたりがかりで撮影されてたのですが。それが時が下るにしたがってカメラはどんどん小さくなって、しまいには片手で気軽に持てるサイズになっていきました。テクノロジーですな。

この作品はわたくしの極私的な理由でも思い入れ深い作品です(脂汗が出ちゃいます)。
そしてのちに天井棧敷の衣鉢を継ぐ演劇実験室◎万有引力さんの「市街劇」も見る機会があって、そういう意味でも思い出深いです。

******

という方向で極私的感想など。かわなか先生の上映会で見た記憶のある作品も多かったですし、記憶のない、たぶん初見のと思われる作品もありました。そういう作品も見られてよかったです。

本来だったらまだまだもっといろんな方の実験映画を見まくりたいとも思いはするのですが。
でもまぁこのあたりで精一杯という方向で。

以上、極私的感想でした。

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