『ガールズ&パンツァー劇場版』
というわけで、やっとこさ『ガールズ&パンツァー劇場版』を観てきました。
『ガールズ&パンツァー』、テレビでの初見は正直言って面食らいました。
第2次世界大戦当時の戦車に乗って戦う「戦車道」なるものが女子のたしなみとして存在する世界、さしたる理由も語られず、学校が周囲の町ごと、第2次大戦型空母をそのまま超巨大化(最低でも全長は数キロレベル?)した艦に載ってる、その「学園艦」という存在(巨大な船に町がまるごと乗ってるって設定は「マクロス」オマージュかしら?)。
よしんばそういう設定を呑み込めたとしても、実弾を使ってるという戦車戦で戦車が撃破されても乗ってる女の子たちは平気、どころか実弾飛び交いばんばん炸裂する中、ハッチから半身乗り出していても傷ひとつ負わない。その設定だけはどうにも受け入れがたかったです(キルゴアかよ!)。
オタクってのは「ツッコミ」の精神の持ち主だと思ってます。奇想天外なおはなしとかでも、なんらかのリクツの説明ってのが要ると思っていると。魔法的な説明でも、SF的な説明でも。
ガルパン世界では戦車の内装はカーボンで覆われてるから乗ってる戦車が撃破されても大丈夫、っていう、最低限のSFぽい説明はありますが。しかしそれでは実弾飛び交う中、戦車から半身出していても大丈夫という説明にはなりません。『緯度0大作戦』の「免疫風呂」じゃあるまいし。
う~んう~んと悩んでいるうちに、頭の中で何かがぶっ壊れたのか、そういうのをあまり気にしなくなりました。
「俺はこういうのが見たいんだ、お前らも見たいだろ、そうだろ!その欲求の前にいらんリクツ付けなんか要らないだろ、そうだろ、な!!」とド迫力でおはなしが迫ってきて、もうこっちも頭のネジが何本か飛んで、余計なことをウダウダ考えるつもりがなくなりました。
たぶんそういうの、最近の人々の感じ方、考え方の変化にも根ざしていると思いますが。良くも悪くも、ですけれど。「論理」が衰退し、「情理」で動く時代。
(16/12/12追記:私なりにガルパン世界で彼女たちに弾があたらないかその理論を考えてみました。文末に書いてみます。乞ご高覧)
そして、その境地が、このごろ流行ってるらしい「ガルパンはいいぞ」ってジャーゴンの意味じゃないのかな?
戦車戦といえば必ず命のやり取りになるものと思い込んでいましたが、それが面白さでもあると思っていましたが、命のやり取りのない戦車戦でもこんなに楽しいってのはね。それをちょう力技で成し遂げた製作者さんたちって凄いと思います。
とまれ、『ガールズ&パンツァー』はとても「幸せ」な作品じゃないかと思います。神に祝福された作品だよなぁと。
スケジュールがタイトだったのか、1クールアニメなのに2回も総集編を入れて、それでも最終回が延期してしまいましたが。普通そういう作品は「スケジュール崩壊」の後ろ指をさされる物でしょうが。でも、愛され、それどころか、そのせいかオミットされた(と私は解釈しているのですが)アンツィオ高校戦がOVAとしてリリースされ(私は劇場公開を観に行きました)。それも面白かったです。働き者で人生を楽しむすべにも長けているアンツィオ高校の生徒さんたち。嫁にするならアンツィオ高校、ですな。
そして「聖地」大洗の町おこしにも一役買い、大洗の人たちにも愛されて、いい関係で。
ほんとうに幸せな作品だと思います。ガルパンは。
というわけで、今回の『ガールズ&パンツァー劇場版』も観に行こうかと思っていたのですが。重い腰がなかなか上がらず、やっと先日観に行けた次第です。
ちなみに劇場版もだいぶ遅れましたね。アニメ業界では納期より品質優先な考え方になってきているのかな?そっちの方がいいかなぁ。ある程度待たされてもいい作品を観たいとは思います。
さて、劇場版の感想ですが(以下ネタバレゾーンにつきご注意)。
劇場版は冒頭から大洗の街を舞台にした戦車戦です。大洗女子学園の戦車道大会優勝記念のエキシビジョン・マッチみたいです。
大洗の(聖地巡礼したミリタリーの師匠によるとほんとにリアルだそうです)街を舞台にしたド迫力の戦車戦。ほんとちょっとでも「ツッコミ」の精神を残してたら「こんなのありえるか!」で脳内リジェクトとされそうですが、「ガルパンはいいぞ」の精神で(笑)
試合を終え、くつろぐ戦車道女子たち。しかし、大洗女子学園はふたたび廃校の危機に陥り。それを回避するために今度は大学選抜チームとの対決に挑む大洗女子学園戦車道チームの面々。ここらへんも役人ひとりの一存で学園の存廃が決まるのか?と、脳内ツッコミを入れたくてウズウズしますが、ま、だから、「ガルパンはいいぞ」の精神で。
そして大学選抜チームと圧倒的な戦力差がある大洗女子学園に助太刀するために、続々と集まってくるかつてのライバル校の面々。これは目頭が熱くなります。
そして西住みほたちの高校生戦車道チームは学園の存亡をかけた大学選抜チームとの試合に挑む…。っておはなしでした。
まぁほんと、面白く作ってありました。この戦いの舞台も、こういう場所で戦うと面白そうだろうってほんとにわかる場所でね。ド迫力の戦車戦。
戦車戦は3DCGIだと思うのですが、細かく作りこまれていて。実戦のようにリアルと言えるかどうかはともかくも、アニメ的にとてもリアルで迫力があって面白かったです。
廃校が決まった大洗女子学園の学園艦から追い出された戦車道チームの面々が仮宿する、廃校となった田舎の小さな学校も風情があってよかったなぁと。こういうシーンもあって嬉しいからあってよかったと。
ストーリー自体もほんと、「戦車道」という部分を除けば、オーソドックスな努力・友情・勝利のおはなしだったかと。女の子だったら、例えばバレーものとかね。私が小さいころ、よくありました。劇中バレー部復活を目指すチームも出てくるのも、そういったかつてのおはなしへのオマージュだったのでしょう。ちょう定番で安心して血を熱くしながら見ていられると。
主人公・西住みほが好きな、包帯だらけの熊のぬいぐるみ。テレビ版ではあまり語られなかったけど、劇場版では「ボコ」という名前がつけられ、ボコの展示館も出てきました。たださびれて廃墟寸前の風情でしたが。
私がテレビ版1話の感想を書いたとき、あの包帯だらけのぬいぐるみを、西住家で抑圧的に育てられてきた西住みほのセルフイメージじゃないかと書いたのですが。今回、「ボコ」はひとつの救いのイメージになったような気がします。
新しい戦車道の学園チームも出てきました。知波単(チハたん)学園と継続高校。
知波単学園は太平洋戦争中の日本軍戦車のチーム。日本軍の九七式中戦車(チハ)をもじったのでしょう。また「チハたん」は旧軍戦車disりの意味で使われたりもするみたいですけど(笑)。なんか「艦これ」の巻雲みたいな女の子が出てきます。
継続高校はフィンランド軍がモチーフ。「継続戦争」ってフィンランドが第2時世界大戦中に戦った対ソ連の防衛戦争の事だそうですが。ムーミンのふるさと、フィンランドモチーフらしく、スナフキンみたいな少女も出てきます。
このふたつの学校は好一対で出てきたんじゃないかなと。
知波単学園のポリシーは旧日本軍の突撃主義。命を捨ててかかっていくタイプ。これはほんと、命を捨てるように戦うことを称揚され、勝つ道筋の見えない作戦を根性さえあれば何とかなると強行し、あまつさえ旗色が悪くなると分の悪い特攻を行い、人命も兵器もあたら散らして敗北したかつての日本軍の似姿。
継続高校のモデルとなったフィンランドは、自分を含む人命も兵器も大切にし、なるべく損失を避け、それをもって粘り強く戦った人たち。さすがに大国ソ連を負かす事はできなかったけど、停戦に持ち込んだ人々。祖国を守り通した人々。
そのフィンランド軍の象徴が彼女たちが持ち込んだBT-42かと。鹵獲したソ連軍の戦車に大型の大砲を載せるという魔改造品とか。たとえ敵方の兵器でも手に入ったらきっちりと使い、場合によっちゃ強化して使うというポリシー。第2次大戦中はドイツもやりましたし、戦後はイスラエルは盛んにそれをやりましたな。イスラエルもまた、粘り強く戦い、建国した祖国を守った国かと。
エキシビジョン戦では命を捨てた(実際には捨てないけど)突撃至上主義だった知波単学園の面々も、大学選抜チームとの対戦では少し変化していって。
アレが出てきたのは驚きでした。つかアレは戦車かと。いや、見られて嬉しかったから文句はないですが。しかしさすがに砲兵がとりついて操作するところに砲撃を加えるのはダメだったのか、なぜか無人で動いてましたが。っていうかあれ、装甲されてたのかな?下手したら機銃で銃撃するだけで重要パーツが壊れて無力化できるんでは?かなり工夫して撃破してたけど。
「1941」ネタが出てきたのは嬉しかったです。ジョン・ベルーシ&ダン・エイクロイドコンビの作品でもかなりコケたほうじゃないかな。スピルバーグ監督映画の中でも。あたしは封切りで見てるんですけどね(笑)。「1941」に出てきたのはM3リーだったかなぁ。パンフレットによると三船敏郎がコメディとは知らずに出演準備したエピソードがあったはず。
「だれも死なない」戦車戦のはずですが、誰かが死ぬような自己犠牲のシーンもあり、そこもツボでした。ほんと、だれも死なないはずですが。今まで戦争映画やドラマを見てきて文脈的には死ぬシーンでウルっときて、なんかちょっとズルいと思いましたわ(笑)。イイトコどり。
いや、ほんと、中身は女の子たちの「努力・友情・勝利」ものでオーソドックスなんだろうけど。でも、ほんとに良く、こういう突っ込みどころ満載の世界観でお話を作ってくれたなと、とても嬉しいです。見たかったものを見せてくれて。観客は「論理的整合性」を見に映画館へ足を運ぶんじゃないですしね。そのエンターティンメントを見に映画館に足を運ぶのですもの。とても面白かったです。
「ガルパンはいいぞ」と。
16/12/12追記:ガルパン世界でなぜ彼女たちに弾が当たらないかについての考察
古来、処女の陰毛は弾除けのお守りでした。であるならば、それを生やしている本体であるところの彼女たちにも弾が当たらないのは当然の帰結。
そして、処女でなくなれば弾があたって怪我したり死んだりしますから、戦車道はできない。
つまり、戦車道をたしなめるのは処女の証。だから、この世界では戦車道が女子のたしなみとして存在している、と。
そう推察してみたのですが、どうかしら?(我ながらひでーw)
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