イメージフォーラム映像研究所2014年度卒業制作展
今年もイメージフォーラムの卒展を見てきました。
渋谷にあるミニシアター、イメージフォーラムには「実験映画」を教える映像研究所が併設されています。いつごろからかなぁ、渋谷にミニシアターとしてリニューアルする前の四谷三丁目時代のイメージフォーラムのころから、卒展は拝見しています。全作品を見られた年も、見られなかった年もあるのだけど。
その、映像研究所としての活動をなさってる部分において、イメージフォーラムは他の(ミニシアターも含む)映画館とは一線を劃している思ってるのだけど。
ま、きっかけかあって、卒展を見に行って、生来の粘着質の性格のせいか、毎年見に行くようになって、そういうのが面白く感じられて、なるべく毎年の卒展に行く、できるだけ全作品拝見する、って方向に行ってます。粘着質というか、ストーカー体質なの、わたし。
以下、今年の卒展の感想を書いてみたいと思います。
ただ、だから、私は「実験映画」をある程度は見てきた人間だとは思いますが(つか普通のヒトは「実験映画」なるものが存在することすらよく知らないと思うけど)、「実験映画」についてきちんと学んだり、知識をつけている人間ではありません。もちろんだから「実験映画」を作ってきた人間でもありません。
つか、そういう人間って、「実験映画」の世界では稀有と思うけど。
「実験映画」を見る人間は、ましてや感想を書こうとする人間は、「実験映画」についてきちんと知識をつけている、そして自身も「実験映画」を作っている「映像作家」である場合が多いと思うのですが。
だから、実作者の方から「土足で踏み荒らしやがって」と思われる可能性をひしひしと感じています。だから、先に謝っておきます。
ごめんなさい。
今回の卒展はAとBの2プログラム、6作品でした。
プログラムをみてあれっと思ったのは、今回の卒展はジャンルが明記されていることでした。「アニメーション」「ドキュメンタリー」「ドラマ」と。
あ
たし個人としてはこういうジャンル分けはナシで、ジャンルの境界を侵食するようなのが好きなのだけど。フェイクドキュメンタリーもけっこう好きです。ま、
たとえば、その「ドキュメンタリー」が何らかの、例えば、政治的主張のためのものだったりする場合、そのドキュメンタリーがフェイク、「やらせ」だったり
するとちょっと困りますが。
ある面白かったセルフドキュメンタリー作品があとから少しフェイクを混ぜた作品だった、なんて話を聞いて感心したことがあります。確かにアレはちょっとアレだったけど、フェイクだったのかぁなんてね。
ドラマとドキュメンタリーのあわい、面白いと思います。アニメーションと実写のあわいも。人間使ったストップモーションアニメとかも面白いのあったなぁ。
Aプログラム
『おつかれさんでした』(滝島彗子/デジタル/7分/アニメーション)
イラストを切り抜いた紙人形を使ったアニメーションでした。葬儀の帰り(?)、少女が自分と似た少女を見かけ、追いかけていくと、その少女と入れ替わってしまった、というお話。
「お疲れさん」と「お憑かれさん」とかけたタイトルかなぁ。その少女、少々私の好みのタイプでありました。
『祖父の部屋』(合山幸子/デジタル/25分/ドキュメンタリー)
「セルフ・ドキュメンタリー」系の作品になりますか。自殺した祖父をモチーフにした作品です。
イメージフォーラムの卒展にはセルフ・ドキュメンタリー作品は多いですし、この「不在となった家族」をモチーフにしたセルフ・ドキュメンタリー作品も卒展で色々拝見してきて、印象深い作品もいくつかあります。『男のサービスエリア』『私が選んだ父』『中村三郎上等兵』『映画はエンジン』と。“不在”となった家族、その周囲にいた人々への「改めての」インタビュー、その“家族”が過ごしていた風景、いろいろなイメージ映像。そういったもので構成された作品たち。本作もその系譜に繋がる作品かと。
この、“セルフ”・ドキュメンタリーの作者さんたちは、「カメラ」を通じて「別れ」の儀式を執り行ったのではないかなぁとも思うんだけど。
ちょっとそれとアレは痛かったです。イメフォの四谷三丁目時代の卒展だったかなぁ、自傷シーンのある作品が何本もあって「う~んう~ん」となった年もありました。また、ある年は「女性の生徒さん、ほとんど脱いでね?」ってぐらいヌードシーンのある作品が多い年もありました。「セルフヌード」という言葉が流行してたころじゃなかったかな。そういうことも思い出しました。
物置小屋の脚立に登り、縊死した祖父が見た最後の風景を見せるシーンはずーんときました。
『立てない男と社会の窓』(小野寺しん/デジタル/45分/ドラマ)
少々自意識をこじらせた無職の若い男が主人公。そのこじらせた具合、私も自意識こじらせ系だからひりひりときました。(あたしはオッサンだけど。年取ってるぶん取り返しがつかないけど。)
男はある理由で性的なものを嫌悪するようになったようですが。その割にはやりまくってるようで。うーらーやーまーしーぞー、であります。
そしてラスト、彼がなぜ性的なものを嫌悪するようになったかの理由が語られ。
ドラマではありますが、やっぱり映像は普通のテレビドラマとかみたいじゃなく、映像作品らしく拵えてありました。色調を落とした画面とか。
そうそう、私、イメージフォーラムでこういう「実験映画」を見るようになって久しいのですが、この卒展やイメージフォーラムシネマティークで見る作品をどう呼んでいいのか今だにしっくり来る呼び方が見つかりません。
「実験映画」もしっくり来ないし、「映像作品」というのは範囲が広すぎるような。そんな感じで悩んでいたりします。
いや、閑話休題。
Bプログラム
『Drop』(松尾果歩/デジタル/17分/ドラマ)
彼と同棲しているらしい女性。朝、彼の寝ているはずの掛け布団をはがすと…、という趣向の作品。こちらも映像作品らしいスタイリッシュさもありました。
『彼女はガラス越しに声をかける』(今村純子/デジタル/37分/ドキュメンタリー)
展示されている美術品の映像、トークショーの様子、評論文の抜き書き、抽象画家さんの映像、などで構成されている作品。たぶん、作者さんが興味を持っているものを集めたものと思いますが。どうかな、ちょっと手を広げ過ぎてるような気がしました。
どうかな、あの抽象画家さんのパートの映像を中心に、絞りこんで作ってみたらと思ったのですが。あの映像は「ちから」がありましたし。ただそうはしたくないという意図もあったのかなぁ。いろんなものに興味を持っている、今の自分を描きたいという意図だったのかなぁと。
『こぼれたミルクに泣かないで』(山田隼人/デジタル/35分/ドキュメンタリー)
ある自主映画を作ってる方のこちらもセルフ・ドキュメンタリーです。もちろんフェイクも混じっている、あるいは根本からフェイクかもしれませんが、前述の通り、私は面白ければ「アリ」と思ってます。
ある惚れた女性がいて、彼女をモチーフに映像を撮り続けていた、と。しかしその関係を壊したくなくて告白せずにただ撮り続けていたと。でも、最後には彼女に嫌われ、去られてしまったと。
今は自転車をシェアしていて、その事だけで連絡を取り合っている、と。そのなんていうのかな、トホホ感がとても伝わってきました。
作者さんは自分をストーカータイプとおっしゃっていましたが、私もストーカータイプ、つまり粘着質タイプなのは人後に落ちませんので(でなきゃイメフォの卒展に20年以上も通ったりしないわw)、その気持ち、解るような気がしました。解ってないかもしれないけど。
そして好きな女の子と一緒に過ごすために映像を撮り続けていたというのも。
いや、オトコが女の子をモチーフに自主映画を作ろうとする場合って、かなりそういう下心があるんじゃないかなぁ。私も映像の才能があればそうしてたと思うし。
「彼女」をモチーフに撮り始めたころの映像が4:3の映像で、そういう「古い」って演出ができますな。
そして彼女さんはある劇団の女優さんだそうですが。その劇団、本公演は見たことないのですが、ライブハウスでの出演者の一組としての公演は拝見したことがあります。だから、その方、私も見てるかもしれないなぁと。ちょうアングラな劇団さんなのですが。
確かに不思議な魅力のある方で、私も惚れてしまうかも、と。
今年の作品の感想はこんな感じです。
まったくもってお目汚し失礼であります。
今年は2プログラム6作品でちょっとさみしいなぁと思ったのも事実です。
昔はgとかhプログラムぐらいまである年もあったと記憶していますが。
そのころは全プログラム制覇!と息巻いてても挫折したりもしましたが。
しかし、「映像」を取り巻く状況も激しく変化しつつある昨今、でありますな。
つい最近「ユーチューバー」なる言葉があると知って驚いたりしています。映像作品を作って、YouTubeにアップロードして公開している人たち、なのかな?うまくゆけば広告収入が入って、それで生活してゆけるそうで、びっくりです。
そそ、その時はここには書きませんでしたが、先日、秋葉原でやってた東京工芸大学さんの卒展に行ってみたのだけど。アニメーションコースの卒業制作の上映があるのを見つけて覗いてみると、とてもうまく、面白く作ってあるのでびっくりしました。
あととうとう今年は8ミリ作品がなかったなと。今の8ミリを巡る状況はどうなっているかよく知らないのですが、イメージフォーラムさんですから、またひょっこりと8ミリ作品が上映されるかなぁと思っています。
ほんと、今年も卒展、楽しみました。
どうもありがとうございました。
来年も見られたらな、ずっと見られたらな、と思っています…。
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