『劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』
つう訳で、やっとこさ映画館で『劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』を観てきました。公開から1ヶ月以上経ってしまいました。前売り券も買ってスタンバっていたのですが、なんか腰が重くてなかなか持ち上がらず。
正直にいえば観に行くのがちょっと怖かったです。しばらく欝状態になるほど打ちのめされるんじゃないかと怖かったのです。
で、観に行ったので、ちょっと感想でも書いてみたいと思いますが。
えと、告白しますが、『魔法少女まどか☆マギカ』シリーズはテレビ版しか見てません。前2作の劇場版は未見です。劇場版はテレビシリーズの総集編という話ですが…。もし劇場版で追加された部分が伏線になっていたり、それ前提の部分があったら分からないのですが。
ま、それはもって瞑すということで…。
あ、あと、サイドストーリーのコミックスも読んでないか…。
しかしテレビ版で完結してる、これって続編作れないんじゃないかなぁと思っていたのですが、続編作っちゃうってほんと凄いと思います。
ネタバレゾーンに行く前に書いておきますと、面白くて、楽しめました。想像以上のストーリー展開でしたし、画づくり、美術もよかったです。それだけは事前に言っておきます。
では。
(以下、お話に触れながら書いていきますので、ネタバレ注意です)
冒頭、魔法少女たちが勢ぞろいしていたのには驚くと同時に、「ああそうか、そういうお話になるんだな」とは思いました。みんな揃ってます。鹿目まどか、巴マミ、美樹さやか、佐倉杏子、そして転校生として合流する暁美ほむら。
テレビ版とは違い、なぜだが杏子はまどかたちの同級生です。キュウべえはまどかのもとにいるみたい。そしてなぜだかマミを食い殺したシャルロッテが(本編中では「ベベ」という名前でしたが)マスコットとしてマミさんと一緒に暮らしています。そして4人(ほむらが加わって5人)は一緒になって魔法少女として見滝原に現れる「ナイトメア」を退治している、と。(「ナイトメア」という用語が出てきたとき、一瞬あれっと思いましたが、私の記憶違いじゃなくて伏線だったとは)
今回の副題が「叛逆の物語」ということで、解題すれば今回のテーマは「最愛のまどかを奪った“現実”に対する暁美ほむらの“叛逆”」なのかなぁと思います。しかし、ああいう展開になるとは!
ある意味オーソドックスに、「丸く」収まるかなぁと思っていた矢先に、どんがらがっしゃんとひっくり返したりして。あそこまでほむらの妄執は壮絶だったのかと。それはまどかの気持ちさえ乗り越える妄執だったのかなぁと。
それってストーカーじゃなしかしら?あたしも少々ストーカー気質で、つまり自分の身勝手で一方的な思い入れを相手に投影して、いろいろしくじってきたから、そこらへんの気持ち、分からないでもないですが(苦笑)
これも痛いほど解りますが…。ほむらにとってまどかは、彼女のひとりぼっちの人生の唯一の救いとしてうつっていたのでしょう(嘆息)
ただ、ほむらの孤独(孤立かな?)の描き方はテレビ版からちょっとわかりにくいなとは感じています。
魔法少女たち。まどかは暖かい家庭の子供。マミさんは両親を事故で失いひとりぼっち。またその事故がきっかけで彼女は魔法少女となり。杏子は両親のために良かれと思って魔法少女になったのに、逆の結果となり、ひとりぼっち。
さやかは死ねば葬式を出してくれる程度の家族はいたようですが。彼女は家族を含めた孤独ではなくて、恭介との関係が問題なのであって、そちら方面は深く描かなくていいのでしょうが。
しかし、ほむらについては、彼女自身がなぜひとりぼっちなのかは描かれてないのだけど。
そう問題なく入院生活を送れて、中学にも復学できて。普通の家庭は持っていたと思うのだけど。まどかのみが彼女の救いとなるような追い込まれ方まではいってないような気もするのだけど。いや、ストーカー気質の人間はちょう視野狭窄状態になるものってのも経験から解りますが(哀号)。
そして、ほむらの妄執はまどかの生み出した新しい“現実”さえ「改変」すると。
ま、あたしも「幻想バンザイ!“現実”なんてクソゲーだ!!」派ですけどね。「歴史なんていくらでも作り変えることができる」とうそぶいた寺山修司や「唯幻論」を唱えた岸田秀を好みますし。
しかしここまでモロにあからさまに、そしてまどかの意思を乗り越えてまで自身の妄執により改変される世界を描かれるとちょっと「ううむ…」となってしまいますけど。でも、ここまでやってくれて嬉しい部分もあり、かな。
しかし、ほんと、ここまでされてもほむらに「あなたなんて嫌いよ!二度と私に近づかないで!!」と拒絶の言葉を吐かなかったまどかの優しさは底知れず、かと。(吐かれるぞ、ふつー)
しかし、まどかがほむらを拒絶したら、どういうストーリー展開になってたでしょうねぃ。
(たぶん、宇宙が終わると思うけど……)
(まぁあたしにはどれだけこの手の論を語れる能力があるかはわかりませんが)
ひとつ感じるのはいわゆる「ポストエヴァ」問題かな。つまり「従来の“物語”、我々を癒してくれていた“物語”はその効力を喪失してしまったんだ。私たちは新しい、我々を癒してくれる“物語”を探さなければならないんだ。でもそれはまだ見つかっていない。というクエスチョンにあるひとつの答えを出してくれたと思います。
従来の我々を癒してくれた“物語”、それは例えば世のため人のために目覚め、戦うこと。また、そのアンチとして、それが裏切られ、破滅的な結末を迎える物語も存在できたのだろうけど。
しかしそれはもう「私たちの物語」にならなくなってきたのではないか?そういう疑問からエヴァが生まれたと思っているのですが。
旧エヴァではその新しい「私たちの物語」を結局見出せず、あのようなかたちで終わらざるをえなかった。そして新劇ヱヴァは“破”でオーソドックスな、昔のかたちの物語に回収されるそぶりを見せつつ、“Q”では見事にちゃぶ台返しをした。しかしまだ結末は次回作以降に持ち越しになってる、と思ってます。
そういう中で、こういう物語を提示した、それもこれからの方向性なのかなぁと思うのですが。
(自分でもあまりよく分かってなくてうまく言葉にできないのですが)
えと、そのほかの感想など。
あの独特の美術も好きです。リアリティよりも美術性というか、様式美というか、そういうのを優先した感じが好き。
んで、ふと、なんか『少女革命ウテナ』みたいだなと感じました。「卵の殻」の件とか、なんかウテナの影絵少女っぽい絵が背景に描かれていたとか。
そして、ほむらのやらかした事は、ウテナのキーワード「世界を革命する力」の実装例と思ったりもするんですが。
まぁそれは先日やっと『少女革命ウテナ』のテレビ版を見た、だからその印象が強く残っているせいだと思いますが。しかしウテナのテレビ版、何話かに協力会社としてシャフトもクレジットされていたのは驚いたし、興味深く感じましたよ。
劇団イヌカレーさんの美術も好きです。いつかイヌカレーの映像作品特集なんて見たいものです。
ほむらが次々繰り出す銃器もガンマニア的には嬉しかったです。
あとそれと「謎解き」って言えばいいのかな?あの世界が生まれた原理とか、そういう劇中世界の「法則」みたいな部分ですが。これについてはハナから理解を諦めてます。そこまで行く根性はないと。
いや、もう、テレビ版の、大宇宙にとっては塵芥以下の人類から宇宙を動かすエネルギーを取り出す、とか。そういう設定が出た時点でちょっとついていけないと感じましたので。
理解できなくても、そこで立ち止まってしまわないだけの「勢い」があって、解らなくても楽しめましたので、それでいいと思ってます。ま、そのうちエヴァみたく考察サイトでもぼちぼち巡ってみようかと。
さて、続編はあるのかなぁ。
ほむらが改変した世界も若干不安定のようですし。だから、まだ“決着”はついてないと思いますし、その決着をつける続編も作れる余地があるっぽいです。今後どうなるかなぁと。キュウべえサイドの「逆襲」もあるかもしれませんしね。
そして、これだけヒットしたのだから、続編も作られるよなぁとは思っているのだけど。
新劇ヱヴァぐらいのシリーズになるかしら?
もし続編が作られるなら、それも楽しみにしたいと思ってます。
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