イメージフォーラム卒展3
昨日はイメージフォーラム付属映像研究所卒業制作展AプログラムとBプログラム。
今回の卒展はA~Dの4プログラムだから、これで全部拝見した事になります。
以前にはもっとプログラム数の多かった年もありました。ぜんぶ観ようと思ったら、足しげく通い、午後いちから夜まで4プログラムこなさなきゃいけなかったり。4プログラムも通して観るとさすがにへとへとになりました。
4プログラムぐらいだと楽ですが、ちょっとさみしい気もしたり。
Aプログラム『ドア閉まります。』(徳重陽子/ビデオ/12分)
ドアを巡る女の子たちのモノローグと心象風景といった風情の作品。
深夜+1のドアがチラッと移ったような気がしたけど、気のせいかな。
Bプログラム『3分20秒と永遠』(古川徹/ビデオ/20分)
手持ちの最後の8ミリフィルム、3分20秒を撮る物語。
実は8ミリフィルムは存亡の危機にあって。とりあえず8ミリフィルムを生産中止予定だった富士フィルムは生産を続行するように決まったのだけど。
でも、数年もすれば、イメージフォーラムの卒展もビデオだけになるんだろうなぁと改めて思い知らされました。
今年、卒展を拝見して気がついたことなど。
去年からなんですが、「フリチン映画」がもうなくなりました。毎年必ず1・2本はフリチン映画があったのですが。フリチンでわぁ~っとやる作品。いや、別にフリチンが観たいわけじゃないけど。
だいたい、テレビなんかの、芸がない癖に、いや、芸がないせいか、すぐフリチンになる芸人さんなんて大嫌いです。芸がしっかりしていてフリチンになれる芸人さんは尊敬しますが、芸がなくて、フリチンになるしか芸のない芸人さんは嫌いです。
そう言えば今年は無茶する作品も見当たらなかったような。真利子哲也さんの『極東のマンション』みたいに、ロープで体を結わえてマンションの屋上から飛び降りるとか、作品名は失念しましたが、時計台を、安全ロープもなしに鉄骨をよじ登るとか。街中で無茶なパフォーマンスをするとか。
いや、別に無茶をするべしとは思いません。というか、危ない事はなるべくしてほしくはないですが。大怪我したり死んじゃったりしたらいけないです。
自傷シーンのある作品もないですね。かつては自傷シーンがある作品が当たり前にあった頃もありました。
それも含めて、感覚を逆撫でされるようなシーンのある作品もあまりなかったような。Aプログラムの『ひまつぶし』だったかな?金魚鉢から取り出された金魚が死んで、干からびていくまでを撮ったシーンくらいかなぁ。
今年は長い作品はなかったですね。いちばん長いのでも二十数分。これもプログラムが4プログラムしかなかった理由であると思いますが。もちろん、長ければ長いほどいいとも思いません。ダラダラ長いよりも短くてもシャキっと締まった作品の方がいいです。
セルフドキュメンタリー作品も見当たらなかったような。セルフドキュメンタリーぽいのはありましたが。
セルフドキュメンタリー、私的な定義は、カメラを武器に、自分とその周囲の人々に改めて斬り込んでみる、という作品です。それは、自分の中の何かに決着をつける行為でもあり。たぶん“カメラ”という武器を得て、やろうという勇気を得たのだろうかと。そして、決着がついたら、もうカメラをとる事もなくなるかもしれないけど。ある種の通過儀礼?そこまでいってるような作品もありました。
あたしはそこらへん、逃げてきてましたから、観ていてちょっときつかったりした事もありました。
念のために。
これらの点について、私は批判としては書いていません。これがイメージフォーラムにやってくる生徒さんの、あるいは敷衍して、現代若者気質の、変化の流れなのかなぁとは思いますが。それに是非を問うつもりはないし、是非を問うても詮無いと思います。ただ、時代の流れみたいなのが見えるのは面白いかなと。あまり感性の鋭くないあたしでも気がつくくらいですから。
ま、この世の中、この先どうなっていくかは興味があるし、そういう変化がどういう変化を生み出すのか、興味はありますが。
なんかやっぱり世の中おかしくなってるという気がしてかなわないのだけど。それはやっぱりこっちが歳くって保守的になってるせいなのだろうけど。
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