2016/04/27

戸川昌子さんのこと

推理作家 戸川昌子さん死去 | 2016年4月26日(火) - Yahoo!ニュース
渋谷の『青い部屋』のオーナーでいらした戸川昌子さんが亡くなられたとか。残念です。
といっても私は戸川昌子さんの小説は読んだことがないし、シャンソンにも疎いのですが、『青い部屋』はたくさんの思い出深いライブがあったところでした。

青い部屋。上京前から戸川昌子さんのお名前と青い部屋のことは存じ上げていました。
東京の渋谷にある伝説的なシャンソン酒場(シャンソニエって言うのでしたっけ?)。
かつてそうそうたる名士がお客さんだったお店。西武グループ、あるいは寺山修司の天井桟敷と共に渋谷発の文化を作った場所。そういう知識でした。

まぁシャンソンは聴くほうではないし、行くことはないだろうと思っていたのですが。

ある日、ファンな三上寛さんのライブが青い部屋であると知って。「あれ、三上寛さんもシャンソンお歌いになるのかしら?」って思ったのですが。ある詳しい方に尋ねてみると、近年青い部屋は普通のライブハウスとしても営業しているという話で。どういう場所なのか覗いてみたいって好奇心もあって、そのライブ「クッタブタ祭り」ってのに行ってみることにしました。

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2016/03/26

「実質」ってなんだろう?

■iPhoneSE、値引き続ける大手3社 実質1万円台
(朝日新聞デジタル - 03月25日 21:40)

「3社とも売れ筋モデルで実質約1万円と、アップル直営店で買うより5万円近く安い。」(上記記事より)
その5万円は空から降ってくるわけじゃないんだよな(各キャリアの仕入れ値がいくらかはわからないけれど)。それはこちらが毎月払ってる通話料から出てる。
つまり最初にボッタクリの料金を取っておいて、それをこういったサービスで「投げ返す」システムになってるんじゃないかな。
だから定期的に「機種変」しないとその払い過ぎの分を取り返せない。でも、機種変したら「実質」の分が多く出て行く。

けっきょく私は型落ちで安く売られてたSIMフリースマホにMVNOの格安SIMを組み合わせて、それとdocomoのガラケの2台持ちしてる。そっちのほうが安く上がってるから。それもかなり。なんで2台持ってるほうが1台より安上がりなんだろうと疑問に感じつつ。

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2016/03/11

アレから5年

今日は東日本大震災から5年です(合掌)。
あの日は今日と同じ金曜日だったかと。
あれから5年、やっぱり自分の中にもその影響と思われるいくつかの変化があったかなと。

生活習慣の変化。

朝早めに出るようになりました。余震が続いて地下鉄がよく停まってたころの習慣で、これはよいと思ったので続けてます。といっても少しづつ遅くなりましたが。

タイマー炊飯をやめました。それまでは朝炊飯器をセットして、帰宅時にご飯が炊き上がるようにしてたのですが。地震で炊飯器がひっくり返ったまま電気が入ると怖いかなと。まぁ気にし過ぎなんでしょうが。炊飯器がひっくり返るくらいの地震なら電気も停まってるでしょうし、そのくらいは考慮して安全設計してるかもしれませんし。ま、今は、週末にご飯をまとめて炊いて、1食づつ小分けして冷凍するようにしています。

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2015/09/02

昭和精吾さんのこと

昭和精吾についてのおしらせです(こもだまり)(『昭和精吾の陸海空』)
昭和精吾さんがお亡くなりになられたとのこと。ショックです。

昭和さんは寺山修司率いる演劇実験室◎天井桟敷の元団員でいらして、今日まで「天井桟敷の語り部」「寺山修司の語り部」として、当時の天井桟敷のお芝居の一節や寺山修司の詩や短歌の朗読、そして当時の思い出話などの公演をなさってきた方です。そしてまたあの伝説の「力石徹の葬儀」で弔辞を読まれた方であります。

初めて行った昭和精吾さんの公演は何だったかしら。じぶんの古いネット日記の記事を検索すると、一番古い昭和さんの公演の記述は2002年5月4日、初台のThe DOORSでの公演『われに5月を』でした。それが初めてだったのかな。
行ったきっかけは何だったか。「月刊テラヤマ新聞」さんの紹介記事からか、それとも三上寛さんご出演ということからか。憶えてはないのだけど。ボロボロの星条旗を振って語る昭和さんの姿が印象的でした。

ちなみにそのボロボロの星条旗、その日は911テロの残骸から掘り出した物って少々アブナい触れ込みでしたが。実は昭和さんが『時代はサーカスの象に乗って』でお使いになっていて、後日映画か何かで火をつけて燃やすシーンを撮って、ボロボロになったそうであります。後日そういうお話しもありました。

私は天井桟敷のお芝居は見ずじまいになってしまったのですが。それでも天井桟敷のお芝居の断片を見せてくれる、当時のお話を聞かせてくれる、昭和さんの公演はとても楽しく、何度かお伺いしました。

昭和さんの公演で一番驚いたのは、当時の生原稿とか貴重な資料をお客さんに手渡しして回覧で見せてくれるってことです。ほんと超貴重な資料なのに、美術館か博物館のガラスケースの向こうに鎮座していてもおかしくない品なのに。ありがたかったです。

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2015/04/24

船戸与一さん逝く

冒険小説作家の船戸与一さんの訃報を知りました。
たぶん、作家としてはいっとう好きで、いちばん読んでた方ではないかと。

私は日本冒険小説協会というところに入ってました。ま、その資格があったかどうか今でも疑問なのですが。
船戸与一さんは日本冒険小説協会大賞を何度もおとりになり。年1回、春に開かれる日本冒険小説協会全国大会にも何度もご参加いただきました。少しお話したこともありますが。

船戸与一の冒険小説は、…なんといってもまず分厚い!今はワープロ書きが普及し、分厚い小説も多く見かけられるようになりましたが。手書き原稿時代にあの分厚さはすごかったです。日本冒険小説協会公認酒場・深夜+1でも「船戸与一の新作は2千枚書いてン百枚書き直したらしい」なんて話を聞いていました。

私がネット日記をつけ始めて、数年して書き溜めた文章の分量を見て、「船戸与一1冊分ぐらい書いたぞ!」と気がついたときの達成感は大きかったです。もちろん内容は月とスッポンですが…。なんか文章を一杯書くことが船戸与一基準になってたというか。

そしてその分厚さを気にさせずにグイグイ読ませてくれるそのパワー。
ページを繰るのももどかしく。凄かったです。

ただ、近年はわたし自身が小説をあまり読まなくなってしまい。メンタルコンディションの問題でしょうが。
この10年使ったブログを検索しても船戸与一作品の記事はありませんでした。読んだけど書かなかったという可能性もあるけれど。それに気がついてしょんぼりとしました。そんなに読んでないのかって。

情けないです。

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2015/03/18

ブログ10年

さて、これでブログを始めて10年になります。

2000年だったか2001年にホームページにCGIの日記を設置して書き始めたから、このような日記的な文章を書き始めてからだと14年くらいになるのだけど。
最初に設置したのは「姫だいありぃ」というCGI日記。これはサイトからは消してしまったのだけど。それから設置したのはSundayってCGI日記。それから写真を入れられるような日記がほしいと思ってSunboardというのを設置してみたけど、ほとんど手付かずになって仕舞いました。

ブログ。Weblogなるサイト形式があるのを知ったのは2002年ごろだったかなぁ。イメージフォーラムでのゲームプロデューサーさんのトークショーでした。「海外ではこんなのが流行です」みたいなおはなしだったかと。
そのときは「なんが偉そうな名前ついてるけど、テキストサイトとどこが違うん?」って感じだったけど。

それから私がウェブサイトを開設してるニフティがブログサービス、ココログを始めたと知って。写真とかも入れられるし、よくわからないままCGIをゴニョゴニョする手間もないみたいだし、使ってみることにしました。そらCGI日記よりはるかに使い勝手がいいものです。そちらに完全移行しました。

そういう日記的な文章をサイトに書き始めたのは、なんとなく文章を書く癖がつき始めて、もっと色々書いてみたいなと思ったのと、ウェブサイトをたくさんの人に見てもらうためにはこまめに更新するコンテンツが必要と思ったから。ま、この文章を書く癖がついたのはまた情けない理由があるのだけど。

昔、文章を書くのはすごく苦手でした。原稿用紙半分を埋めるのもひーひー言ってたくらい。
その理由は、私はものすごく字が下手で、文章を書いて誰かに見てもらうのがとても苦痛だったということだったと思います。書かずにいれば文章力も伸びないし。
だからパソコンで文章が書けるようになったのはとても福音でした。ま、ほんとに文章を書いて誰かに見てもらいたいという願いが切実にあったのなら、たとえ少々無理をしても(まだまだ高価だった時代の)ワープロなりパソコンを入手していたと思いますから、元々それほどそういう欲求はなかったのかもしれないな。

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2013/08/03

ほろびのじゅもん

「バルス」が再び世界新記録を樹立!1秒あたり14万3,199ツイート!(YAHOO!ニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130803-00000008-flix-movi

「バルス」は天空の城ラピュタを自壊させる滅びの呪文、ラピュタのちからを使って世界を征服しようとしたムスカの野望を打ち砕く最後の手段として、バズーとシータが放った呪文。
それをツイッターで14万人以上の人が同時に放ったと。

それはもう、この世にうんざりした人々の叫びかもしれないナ。

ラピュタ公開は86年。バブル前夜。人々がまだまだこつこつと働いていれば豊かな、夢のような生活が手に入るとナイーヴに信じていられたころ。それこそラピュタのような夢の世界が手に入ると信じていられたころ。しかし、それも崩壊し。

大体バブルと言っても、今、語り草になっているような豪遊ができたのはほんの一握りの人々、証券会社関係者、銀行関係者、マスコミ関係者、そして大企業の社員といった人々。彼らは庶民がこつこつとつちかっていった「豊かさ」を召し上げ、マネーゲームにぶち込み、大金を稼ぎ、豪遊し、そして、バブル崩壊と共にその富をすっからかんにしてしまった。「ラピュタ」を失ってしまった。


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2012/08/03

自分の中の課題として

日本冒険小説教会が解散して。

個人的な事情ですが、ここのところ小説がまったく読めなくなっていました。ノンフィクションっていうか、軽めの教養本っていうか、そういうのならちょっとは読めるんですが。小説は読めなくなってる、読み始めてもすぐ放り出してしまう。部屋の隅にそういう読みさしの小説本が何冊も詰まれている状態。

たぶん、自分の心の中で、自分でもよく解らない変質が起きているのではと思うのですが。

でもなんかまたここんとこ小説本が読みたくなってきたかなぁと感じて。
そして、会員時代は、大賞の投票とかあるし、新刊本を読まなきゃと思っていたのですが、もうそんなことは気にしなくてよくなってしまって、だから、今まで読みこぼしていた昔の名作本とかいいかなぁと思って。

で、早川書房から映画化に伴ってジョン・ル・カレの「スマイリー三部作」が再刊されたと知って。実は恥ずかしながらスマイリー三部作は未読でしたので、読んでみることにしました。
再刊されたハヤカワ文庫の『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を買ってみました。
新訳版のようです。

本書には本編の前にジョン・ル・カレによる「序文」が収められています。本作を書くきっかけとか書かれた短いエッセイです。91年に書かれた文章のようなので、旧版には収められていないと思うのですが。オリジナルの『ティンカー~』が書かれたのが74年のようですから、17年後にどういうきっかけで書かれた文章かもちょっとわかりませんが。

この、序文だけで今まで自分がもやっと考えていた事をかたちにしてくれる文章に出会えました。それだけで本書を買ってよかったと思うくらい。

(BUFF註:ジョン・ル・カレが)フィルビー(BUFF註:キム・フィリビーのこと。有名な二重スパイ)をきらったのは彼がわたしとあまりにも多くを共有するからだった。(中略)大きすぎる男に育てられた子の対抗手段は、逃げとごまかししかないことを、私が知るように彼も知っていたのだ。わたしはまた、そうやって生まれた内向する怒りが、いかに容易に世間の父親像との愛憎、ひいては世間そのものとの愛憎関係になりうるかを知っていた、というか、知っているつもりだった。
(本書10p)

ああ、そうだったのだなと。 まさに「逃げとごまかし」の人生、 愛憎の人生だったなと

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2012/06/07

ブラッドベリとわたくし

レイ・ブラッドベリが亡くなったとか。

ブラッドベリはたぶん、私にとって少しは「ある程度は読んでるよ」って言える数少ない作家のおひとりではなかったかと。
「ウは宇宙船のウ」「スは宇宙(スペース)のス」「火星年代記」「たんぽぽのお酒」「刺青の男」etc.etc...
といいつつ、代表作である「華氏451度」は(たぶん)未読、そして「ブラッドベリの“ハードボイルド”!?」と刊行された時は驚いた「死ぬ時はひとりぼっち」も“ハードボイルド”好きのはずのわたしとして未読。

あれ、けっこう読んでないんじゃ?(滝汗)
いや、まぁ…。

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2012/01/04

会長のいない東京

2011年12月28日、日本冒険小説協会・内藤陳会長が亡くなられました。
会長の訃報を知ったのは帰省先、仲間からの電話でした。
そして今日、東京に戻ってきて、PCからこの文章を書いてます。
会長のいらっしゃらない東京。

アパートの郵便受けには訃報が届いていました。
でも、まだなんか信じられません。

鬱屈しきっていた予備校時代、それでもまだいくつかの楽しみのひとつが月刊PLAYBOY誌の会長の連載エッセイ。それを頼りに買い求める面白本。そして冒険小説や探偵小説のヒーローたちのカッコイイ姿でした。

その連載にあった会長の檄文に、ふとした気まぐれから(そう、たぶん、気まぐれ)、日本冒険小説協会入会希望の葉書を出し、会員になりました。

全国大会に参加し、会長をはじめたくさんの方々に良くして頂き。また私があるドジを踏んで行き場がなくなったとき、最後の拠りどころが日本冒険小説協会でした。

ある方がお書きになっていたように、会長はまさに「第二の父」でありました。
おっかないところも含めて。

決して優秀な会員ではなかったと思います。
ほんとうに雑魚のトト交じりであったと。
それに関してはずっと忸怩たる思いでしたが。

会長から頂いたもの、結局ぜんぜんお返しできずに会長がいなくなって、情けない限りでありますが。

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