追い出される路上弁当

ここ数年、勤務先の周辺とかで弁当を売ってる露天をよく見かけます。
あまり行くこともなかったのだけど、収入がいよいよ下がってきた最近、利用するようになりました。

もちろんほか弁とかコンビニ弁当とかいう選択肢もありますが、でも、ほか弁もコンビニも行列を覚悟しないといけないし。会社を出てすぐのところにある路上弁当ならすぐ買えるし。

今までは基本的に食堂のランチタイムにいっていたのですが。
食堂のランチがふつう800円以上、ここんとこになってもう少し安い居酒屋ランチも使っていましたが、それもおぼつかない状態です。

また、不景気のはずなのに勤務先の周辺はビル改築ラッシュで、好きだったお店が次々と消滅したというのもあります。ま、古いお店のほうが落ち着くし、安いし、だったんですが。

最初は路上弁当に抵抗がありました。
私もどっちかというと保守的な人間だし、そういう新参者に対して、がつがつと新しい商売をやる人たちに偏見があったのでしょう。

しかし、まぁ、最近はそういうこともありません。

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誰か故郷を想はざる

という訳で今日はあたくしの誕生日であります。

ちなみに私、誕生日と血液型が寺山修司といっしょであります。
それを知ったのは高校時代、寺山修司のエッセイを読み始めた初期の頃、『誰か故郷を想はざる』っていう自伝エッセイからでした。読んでひっくり返ったのを思い出します。

ただ、戸籍上の寺山修司の誕生日はそのエッセイでもありますが、翌年の1月10日なんですよね。寺山修司記念館の館長さんとかは1月10日説をとっていました。

ま、「作りかえられない過去なんてない」なんてうそぶいていた寺山修司ですから、12月10日誕生日というのも寺山修司の創作かもしれません。
しかし、それなら、なぜ12月10日にしたのか?という謎が残りますが。

私は12月10日がノーベル賞授賞式だから、寺山修司はノーベル文学賞あたりを狙っていて、授賞式の日に「実は今日は私の誕生日でもありまし て…」なんて話をするために12月10日にしたんじゃないかと思っていますが。きわめて薄弱な仮説でありますが。他に何かいい推理はあるかな?

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このニュースにも恣意性はあるけど

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091128k0000m040158000c.html
『事業仕分け:漢方薬の保険適用除外、医師や患者が反対運動』(「毎日jp」より)
とか。

ちょっと調べたくらいで十分に理解しているとは言えないのですが。
漢方薬は「市販類似薬」とされて、今回「市販類似薬」というのを保険適用外にしようという事のようです。
「市販類似薬」というのは、医師の処方箋のいらない一般の売薬と同等の薬ことのようです。
だから、処方箋が不要で、普通に薬局で買える薬は保険適用外にしようということのようです。
つまり、健康保険による補助がなくなり、漢方薬は市価で買う事になると。

「処方箋で漢方薬が保険適用で安く手に入る」ということはなくなるけど、「買えなくなる」ということではないようです。

どんな出し方になるかなぁ。

薬代は3割自己負担でしたっけ。だとすると、定価で買うと倍ちょっとの値段になるのかな?
出せる範囲なら出すし、出せないと諦めるしかないでしょう。西洋薬を使うしか。
漢方薬と西洋薬と、効能が段違いとかなると困るかと。

あと、医者側の対応ですかね。漢方薬を使いたいとなれば処方箋は出さずに「こういう漢方薬があるからそれを買いなさい」とメモでも渡される形になるのかしら?
ただ、お医者さんだって処方箋分の診療報酬が欲しいでしょうし、なるべく漢方薬(とかの「市販類似薬」)を使わせずに、処方箋で出してもらう薬を処方することになるのかな?
そういうインセンティブは働くかと。

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“経済”に疲れ果て…

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091121-OYT1T01012.htm
格差社会高まるストレス、高所得層も死亡率増(YOMIURI ONLINEより)
とか。

以前読んだ『リアルの行方 おたく/オタクはどう生きるか』(大塚英志+東 浩紀:著 講談社現代新書1957)
に気になる一節があったので引用します。

東 「反動といっても、大きな話だと思うんです。それこそ、産業革命以降、数世紀のあいだ人類はかなり無理をしてきている。」
大塚「楽な状態に戻ろうとしていることなわけ?」
東 「かつて人類は文化人類学的な記号を介して世界と繋がっていたけれど、近代はそれを脱魔術化してしまったので世界と人間が直にぶつかることになった。さすがにそれは問題なので、クッションとして持ち出してきたのが「大きな物語」や「象徴界」、つまり共産主義やナショナリズムのようなイデオロギーですね。しかし、この戦略も社会の複雑性がある閾値を超えると無理になり、ポストモダン化が始まる。そこで新たに登場するのが、前近代の神話的な世界観に似てはいるが、歴史というより「商品」に支えられた別の世界認識の方法だと。そういう捉え方です。(162p)

東 (前略)「今後の社会では、近代がやっていたことのうち、相当のものが消えていく。そのときに、何が無理じゃないことで、何が無理なことだったのかを、区別していかなきゃいけない。(284p)


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『未來のイヴ』な人たち

http://www.gizmodo.jp/2009/11/post_6396.html
『寧々さんと結婚報告した人から手紙が届きました。おめで......え? 寧々さんと?』
(「ギズモード・ジャパン」より)

Nintendo DSに『ラブプラス』というゲームがあるそうです。ゲーム内で女の子と付き合うという恋愛シミュレーションゲームだそうですが。そのゲーム内の姉ヶ崎寧々という女の子と実際にグアムで結婚式を挙げた方がいるとか。
(私はDS持ってないんですが、『ラブプラス』はちょっと欲しいなと思ってるゲームですけど)

いや、いい時代になったものだな、と。

人外との恋愛や結婚、つまり「異類婚姻譚」はまぁ創世神話から雪女伝説みたいな怪談まで昔らか人類が持っていた物語のパターンなんでしょうが。そして、人外との恋愛は最近の“物語”-小説とか漫画とかアニメとかゲームとか-でもよくあるおはなしですけど。とうとう“物語”じゃなくてほんとに結婚しちゃう人がいるとは。

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女はなぜ殺人者に欲情するのかな?

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1116&f=national_1116_047.shtml
『皆、唖然…『mixi』に「市橋容疑者応援ファンクラブ」登場』
とか。

どうも殺人者のファンになるのは女性が多いように見受けられます。
以前、週刊百科で著名な殺人者を取り上げたものがありましたが。『週刊マーダー・ケースブック』でしたっけ?それを電車で読んでる人をふたりばかし見かけましたが、おふたりとも女性でしたし。

もちろん男も殺人者に共感したりする場合もあるでしょうけど。たとえば三上寛さんにも永山則夫を歌った『ピストル魔の少年』とかありますけど。

ただ、男性は殺人者にシンパシーを持つ場合は殺人という行為そのものに対する共感ではなく、殺人を犯してしまった者に“ヒーロー”ないしは“アンチヒーロー”を見ていてそれに共感しているのではないかと思うのですが。オノレの信じる正義のために殺人を犯したとか、逆に社会のひずみに呑み込まれ、追い詰められ、殺人を犯してしまった悲劇とか。そういうのに共感しているのではないかと。

それか“殺人”という行為に対するテクニカルな部分への興味。どうやって殺してどうやって死体を始末したかとか、どうやって何人も殺せたかとか。

まぁつまり私が言いたいのは、男が殺人者に興味を思ったり共感を覚えるのは、“殺人”という行為そのものよりも“殺人”を取り巻くものに対し興味を持つのではと思うのだけど。

逆に女性というのは“殺人”という行為そのものに欲情しているのではないかと。そう感じられるのですが。どうかな?

では、それはなぜかなと思ったりするのですが。

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外国の風習に対する敬意

■オバマ大統領の両陛下への「お辞儀」、米で波紋
(読売新聞 - 11月16日 11:12)

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20091116-OYT1T00480.htm?from=main3

例えば太平洋戦争中、英米兵の捕虜がお辞儀を強制されたのを屈辱と感じたそうですが。
こういう欧米圏以外の風習にも理解をお示しになるということは、大変好意を持てると思います。

ビン・ラディンが反米思想に傾斜した原因のひとつに、中東に駐留した米国軍兵士がイスラムの戒律に従わなかったため、という話も聞きましたし。

日本人は他国の風習に対してある程度寛容な民族だとは思いますが、それでも日本の風習に従って頂けたことは、とてもよいことだと思います。

もちろんこれは表面的な風習だけじゃなくて、各国のメンタリティの違いまで踏み込んで他国を理解して頂ければまたそれは世界平和への道かと僭越ながら思ったりもします。

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ペドフィリアのトラウマ

昨日、カナダで二次元の少年の性的画像をDLした人が有罪判決を受けたってネタで文章を書きましたが。

「人が物を思い、それを表明する事は誰にも止められない」、つまり、『表現の自由』ってのは人類がいたましい歴史を乗り越えて獲得したコンセンサスだと理解しているのですが。
しかし、ことペドフィリアに関してはそれは適用されない、と。
私はペドフィリアはいけないことだと認識しています。そして、三次元においては許されない行為だと思っていますし、三次元に関しては基本的には法的規制には賛成です。為念。

しかし、ペドフィリアの二次元さえ規制されるなら、他のもっと猖獗な犯罪を描いた作品も規制されるべきだというのがスジだと思うのですが。
なぜ、ペドフィリアだけそれだけタブー視されるのか?それが疑問であります。
そこで思うのは、欧米キリスト教文化圏は何らかのペドフィリアに対する“トラウマ”を持っているのではないか?ということです。

「トラウマ」、つまり、無意識レベルに押し込まれた心の傷(と私は理解していますが)。無意識レベルに押し込まれているから意識する事はできない。でも、無意識下にそれはあってそれに意識下の行動も囚われている。それは時として破滅的行動に人を導く。
精神療法の手法の一つに、「破滅的行動」に進んでしまった人を治療する手法の一つに、この「トラウマ」を意識下に引っ張り出して意識下で対峙させるすというのがあるそうですけど。

例えば全世界を覆いつつある「禁煙ファシズム」。タバコに厳しい規制を課し、重税を取り立てている。しかし、タバコを全面禁止にはできない。この不思議な“歪み”を持ったメンタリティ。
これはアメリカ先住民族迫害の「トラウマ」なんではと私は睨んでいるのですが。

アメリカ合衆国建国史において、アメリカ先住民族迫害は抜きにして語ることができません。合衆国建国史と先住民族迫害の歴史は不可分である、と。

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少年のワイセツ画像DLで有罪に

http://news.ameba.jp/world/2009/11/49562.html
『少年のワイセツ画像DLで有罪に』
とか。上掲サイトによると

カナダのニューグラスゴーに住む双子の兄弟(20)は、少年を性的対象にした画像をダウンロードしたとして、禁固3ヵ月執行猶予18ヵ月の有罪判決を受けた。

画像は日本のアニメ絵で、虚構の子供達に苦痛を与えることも大きな罪であるとされた。

だそうです。

もう何度も何度も何度も書いてますが。
「人は健全な衝動のみ持つものではなく、時として破滅的な衝動を持つものである」
「そして「虚構」はその破滅的な衝動を発散させる「ガス抜き」の機能を持っている」
この2つはテーゼと思っています。

私だって犯罪物の小説とか好んで読みます。日常ではむしろおとなしい方と思いますが。
でも、ゲームとか小説とか映画とかで鉄砲振り回すお話を楽しみ、やりきれない“現実”をやり過ごす手段として使ってます。

もちろんそういう物語に耽溺したあげく“ドン・キホーテ”と化する人々も出てくるかもしれません。その件についての議論は措きますが。

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ベルリンの壁崩壊二十周年

ベルリンの壁が崩壊して今日で20年とか。
つい先だっての事のように感じてしまうのは私が歳をとってしまったせいでしょうか。

西と東のベルリン市民たちが、そして、遅ればせながら私がたしかな手ごたえとして感じとったのは、現実は変わりうるということ、いや、現実は変えられるのだという確信だった。(吉岡忍『M/世界の、憂鬱な先端』文春文庫版22p)

私は日本を思った。私の国のことを思い起こしていた。そいつが言うのが聞こえた。
ここには日本の入り込む隙がない、とそいつが言った。(同書23p)

あちこちで大衆社会が生まれ、消費社会が立ち上がり、新中間大衆がどっとやってきて、やがて焼けたフライパンの上で、歴史が終った、お金儲けはゲームだ、ネアカが一番、グルメが最高、ブランド大好きと浮かれ出す。
(中略)
その先に、私の国がある。薄くスライスされた、いま、ここ、というだけの社会。新しくなることは豊かになることで、豊かになることは過去から自分を切り離すこと。
(中略)
世界の、憂鬱な先端。(同書45-46p)

そして今の日本、どうも「出口なし」の閉塞感が覆い。いや、閉塞感はそれ以前にもあったのでしょうが、その閉塞感をごまかすだけの“豊かさ”があったし。今は“豊かさ”という鎮痛剤も切れ始めていて。

昔、ミリタリー雑誌に、「東西ドイツ統一の時には…」とさらっと書いてあって。「そんなことありっこねーよ」と思ったことがあります。まだまだソ連が元気で東西冷戦真っ只中の時だったのですが。あの文章を書いたのはどなただったのか。近い将来に東西ドイツが再統一されるという慧眼をお持ちだったのでしょうか。

ベルリンの壁崩壊のTVニュースは仲間が働いていた酒場で見てました。あのころはひとりで来てピッチャーでビールを何杯も頼む客だったのですが。
今はピッチャー一杯のビールも持て余しそうです。

深夜+1である方から頂いたベルリンの壁のかけらはどこかにあるはずですが…

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