2011/06/27

詩学校で書いた詩3

昨日は西荻窪で「三上寛の詩学校」に参加してきました。
そこで書いた詩を出そうと思います。

三上寛さんの評価は。いいけれど、安定してきていると、壊して、さらに上に行かなきゃいけない、そういう評価でした。

三上寛さんからの最初のお題としては少年時代の詩、10歳くらいのころの感じという事でした。それを最初に書いて。そして次はちょっと年齢上げて14歳くらいで、という事で書いてみました。その14歳verの詩になります。

では、お粗末さまながら…

(「三上寛の詩学校」は月一くらい、今は西荻窪で開かれています。ご興味がおありの方は私のメールアドレス、monodama☆gamail.com(☆→@)までお気軽にお問合せください)

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2011/06/05

詩学校で書いた詩2

さて、また三上寛さんの詩学校で書いた詩です。

これはお題自由で書いた詩かなぁ。
あまりよく憶えてないのだけど。
いつの詩学校で書いた詩かも解らない。

ここらへん、きちんとしとけばいいと思うのですが。
どこかぞんざいですな。
雑な生き方でありますよ。

タイトルは『塩鮭』。
好物です。
お休みのお昼ご飯はだいたい塩鮭焼いてます。

この詩にはギスギスしたところがありますが。
詩学校に通い、いろいろ書いているうちに、それは脱却すべき事と思うようになってきました。
そこを抜けた上で、書いていきたいと。
もうルサンチマンはやめたいと。
そう今は思ってます。

ま、そんな感じでありますよ。

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2011/06/02

詩学校で書いた詩1

気がつくとブログの更新頻度がかなり落ちていますな。
以前は「毎日更新!」とかがんばっていたのですが。
ツイッター始めたし、そこらへんに行ってしまったのかなぁと思うのですが。
でもやっぱりあまりにも更新しないとさみしいし、何かネタはないかなと探してみたのですが。
そいや、三上寛さんの詩学校で書いた詩をここで発表するのもいいかなぁと。
ただ書いておいとくだけではもったいないかなとも思いますし。貧乏性だから。

まず『歩く娘たち』という詩を。

詩学校では今は三上寛さんから出して頂いたお題で書く、ってのをやってます。
思いもよらないフレーズから着想して、詩にできたときの面白さってのも良いものです。
この『歩く娘たち』ってタイトルも三上寛さんから頂いたもの。
どう書こうかしばらくう~んと考えて、思いついて書いてみました。

どうかしら?

たまに、少しづつ、出していこうと思ってます。

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2009/06/09

詩稿『君がセカイを殺したいなら』

えと、せっかく書いたので、詩学校で私が書いた詩などを公開してみようと思います。
この詩はこの前の土曜日、第2回目の詩学校で書いた詩をちょっと手直ししたものです。
その日は2つしか書けなかったんですが、最初の方。
三上寛さんの評価はそう良くはなくて、新しいのを書いたのですが。
でもやっぱり三上寛さんの『ピストル魔の少年』とかに影響されている部分があると思います。
タイトルはまんま切通理作の本のパクリですが…。その本はだいぶ前の読みましたが、どれだけ理解できたかどうかは自信がありません。

それと、同じような詩を前に公開したかとも思います。
でもこの件はかなり自分の中で課題みたくなっていて。
それに、あの事件からちょうど1年くらいでありますし。

後それと、私はこのような心情を抱え込んでしまった人間に対して、シンパシーは感じますが、犯した罪を認めはしませんし、リスペクトもしません。裁きを受け、しかるべき罰を受けるべきだと思っています。
ここらへんのスタンスはコロンバイン高校銃乱射事件の犯人の友人が書いた手記『コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー』の著者に近いと思います。

では…。

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2009/04/16

「経済という怪物」

詩をアップするのは久しぶりであります。
この詩自体はずいぶん前に書いてあったのですが。

ここんとこほんと、現代人は「経済の贄」であり、「消費する家畜」ではないかと思っています。
そして、人が作りし、人が良かれと思って作りし“経済”が人を苦しめる事もままあって。

「人はなんのために生きているか?」という問いに対する答はたぶん、「人は幸せになるために生きている」だろうなという事はちょっとは解ってきました。ただ、じゃあ、「“幸せ”はなんであるか?」はよく解らないんだけど。

“経済”も「人を幸せにする」事ができていればそれは善いものでありましょう。しかし、ここんとこ、えてしてそうでもないような気もします。
もちろん最低限の衣食住、それから医療とかを得られるだけの豊かさは必要最低限必要だと思いますし、世界にはまだまだそれすらも手に入らない人々が多いのも知っていますが…。

経済学関係のサイト、ちょっと覗いたりします。あまり良くは解らないんだけど。
この不景気に対するそういう人たちの解は、「経済を最大限成長させる」ためのものであろうと思います。しかし、それは、「人々を最大限幸福にする」ものではないかもしれません。
いや、そのことに反発しているのではないんですが。経済学者が経済学の専門家である以上、経済の最大限の成長を求める解を出してくるのは当たり前ですし。

ここらへん、どうだかなぁと思ったりもしますが。
でもやっぱり今いちばん私の気持ちを腐らせているのは潰れかけの勤務先と収入が減っていってるって事ではありますし。

いや、まぁ…。

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2008/12/30

詩稿:「家族」

なんか、日曜のオープンマイクの件で気もそぞろで、お休み気分になったのは昨日からでした。
081230 行きつけのスーパーのポイントがだいぶ溜まったので、ビールを1ケース買いました。去年も今時分売られていておいしかった琥珀ヱビスです。
これがお正月休みの贅沢。
あと、故郷の妹が送ってきてくれたお酒もあるので、正月休みは酒はたっぷりかな?あとウィスキーが1本欲しいですが。

ま、例によって例のごとくのひとりのお正月です。わびしいっちゃわびしいけど。
お正月っぽい事はほとんどしないつもりですが、大晦日はおでんでも炊いて、ひとり静かに新年を迎えたいと思ってます。

さて、日曜日にリーディングした詩ですが。
公開しようかどうしようか迷いましたが、公開します。

自分的にもあまり痛々し過ぎるような気がしますし、情けない感じがしますし。
また、なによりも、“詩”になってないなぁと思います。もっと技巧を入れるべきだったと。
しかしまた、カミングアウトすることで、自分の抱えているものを口にして、ちょっと気が楽になったような気もします。

今回、「お客さんの反応」らしきものをかすかに感じました。
たぶん、舞台に上がることの愉しみ、そして人が舞台に上がることにはまるのは、これのせいかなとちょっと思いました。
「人はなぜ舞台に上がるのか」それが少し解ったような気がします。

という訳で公開してみます。

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2008/12/25

詩稿:「クリスマス・イヴ」

という方向でやっちまった感が強いのですが、キモメンのあたくしがクリスマスイブに捧げる詩など。
ちなみにクリスマスイブは恋人とホテルでセックルなんて話をマスゴミが始めたのは、堀井憲一郎の『若者殺しの時代』(講談社現代新書)によると、83年のananの特集からとか。「クリスマスの朝は彼とホテルでルームサービスの朝食を」というような記事だったそうです。つまり、ホテルでセックルしようと遠まわしにほのめかす記事だったようで。
それからバブル景気にこの国は突入し、この国のかつての古きよき心が決定的に崩壊するのと期を一にしていたと思います。

ま、もてないキモメンの僻みでしょうがね…。

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2008/12/12

詩稿:「傷口」

先々週末から先週頭にかけて歯痛でのたうち回ってたんですが。ここ数年来の痛い経験でした。
んで、歯が痛くてたまらないとき、机をどんどん叩いたり、身体をどんどん叩いたりして。
あ、そうか、痛くてたまらないときは別の痛みでその痛みをごまかそうとするんだって気がついて。んで、そういった趣向を詩に書いてみました。

どこまでうまく書けたか?詩興ってのはいつも逃げていくもの。いや、逃げる姿さえ見せずに消えてしまうもの?だとしたら最初から詩興なんてなかったのかな?でも、何か捕まえたような気はするんですけどね。

女陰を傷口にたとえるのは陳腐かと思います。だいたいあたしは男だから、女陰は持ってないし、女陰を触らせてくれる奥さんや彼女もいないしね。なんか頭でこねくり回しただけのリクツかもしれませんけど。

ま、おひとつ。

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2008/10/31

詩稿:「ごめんね」

詩を書いていて。
何についていちばん書きたいかというと、「キモメンのルサンチマン」であります。
そういうのって口にしないほうがいいとも思いますが。みっともないしね。
でも、言葉にして、口にして、そうして対峙する事によって、自分の中で片付くという事もあるんじゃないかとも思います。
今は「キモメンルサンチマン」が腹の中でだいぶ暴れている時もありますし。
だから、「“作品”にして昇華する」ことができればとも思っています。

ろみさんの『あんたのパンツはクソまみれ』とか大好きです。ルサンチマンをあれだけ熱く歌い上げてるのに感動しました。私もああいう風に歌い上げるのが望みです。
それと、お名前は忘れてしまったのですが、無力無善寺での三上寛さんのライブの時、共演された男性の歌が印象に残ってます。
「好きになってごめんね」「キモくてごめんね」っていうくだりがあって。まさにキモメンルサンチマンの世界。それを上手に歌い上げていると思いました。心に届きます。

ま、その歌のパクリになっちゃうかもしれませんけど、ひとつ詩を書いてみました。
先日のオープンマイクの会で読むつもりでしたが。けっきょく読みませんでした。まだまだチキンですな。

昔、好きだった女の子がいます。
けっきょくは例によって例の如く上手くいかなかったんだけどね。
ただ、その子に
「下心があったんですか?」
と言われちゃいました。

あぁ、下心はあったさ。
あなたを喜ばせたいという下心が、
あなたの笑顔が見たいという下心が、
そして、私のことを好きになってもらいたいという下心が、
好きになってくれて、恋人になって欲しいという下心が、
そして、お互いずっと仲良くできるって思えるようになったら、
奥さんに来て欲しいという下心が。

という方向で拵えた詩であります。

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2008/10/30

詩稿:「傷つけあいたい」

さて、先日参加したオープンマイクの会のために用意した詩をまたひとつ紹介します。
ほんと、ネタ切れの時に便利ですな。

まともな恋愛経験のない私が言うのもチャンチャラおかしいかもしれませんが。
まぁしかし、小谷野敦は『恋愛の昭和史』(文春文庫)で、

恋愛小説や恋愛論の秀作は、恋愛の下手な男たちによってこそ書かれうる(51p)

とお書きになっていますから、まぁ私が語ってもいいかもしれませんが。
いや、まぁ、つまり、“恋愛”ってのはどこか“壊しあい”じゃないかと思っているのです。

大好きな絵描きさん、綺朔ちいこさんの書いた文章に、

それは恋愛という行為にかぎりなく近い。
強い痛みを伴うが、いつまでも続くものではない。
心を倒壊させること、そのいたみでしか、心の輪郭を手に取ることはできない。
http://ueno.cool.ne.jp/ayasakitiiko/otome.htmより)

という一節があって、頭をバットで殴られたみたいな衝撃がありました。
あと、先日のあるマイミクさんの日記にも同じようなことが書かれていて。

うん、ま、恋愛に限らず、人間関係ってどこか「壊しあい」とは思ってます。出会って、ぶつかって、壊れて、作りなおすと。お互い少し壊れて、そして、お互いがお互いの形に合うように、作り直す、っていう感じかしら?特に恋愛はその力が普通の人間関係より強いと思ってます。
そういう風に常に“自分”ってのは、変容していって当たり前かと思ってます。だから、「本当の自分」なんて存在しないと思うし、「(ほんとうの)自分探し」ってのもありえないかと。ま、自己陶酔できる場を探すというかたちではアリかもしれませんけど。

いや、ま、閑話休題。

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