詩をアップするのは久しぶりであります。
この詩自体はずいぶん前に書いてあったのですが。
ここんとこほんと、現代人は「経済の贄」であり、「消費する家畜」ではないかと思っています。
そして、人が作りし、人が良かれと思って作りし“経済”が人を苦しめる事もままあって。
「人はなんのために生きているか?」という問いに対する答はたぶん、「人は幸せになるために生きている」だろうなという事はちょっとは解ってきました。ただ、じゃあ、「“幸せ”はなんであるか?」はよく解らないんだけど。
“経済”も「人を幸せにする」事ができていればそれは善いものでありましょう。しかし、ここんとこ、えてしてそうでもないような気もします。
もちろん最低限の衣食住、それから医療とかを得られるだけの豊かさは必要最低限必要だと思いますし、世界にはまだまだそれすらも手に入らない人々が多いのも知っていますが…。
経済学関係のサイト、ちょっと覗いたりします。あまり良くは解らないんだけど。
この不景気に対するそういう人たちの解は、「経済を最大限成長させる」ためのものであろうと思います。しかし、それは、「人々を最大限幸福にする」ものではないかもしれません。
いや、そのことに反発しているのではないんですが。経済学者が経済学の専門家である以上、経済の最大限の成長を求める解を出してくるのは当たり前ですし。
ここらへん、どうだかなぁと思ったりもしますが。
でもやっぱり今いちばん私の気持ちを腐らせているのは潰れかけの勤務先と収入が減っていってるって事ではありますし。
いや、まぁ…。
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