« JCOMネット導入記 | トップページ | テアトリアンナイト第三夜 »

2022/11/22

昭和精吾事務所公演『仮面劇・犬神』

2022年11月13日、ザムザ阿佐ヶ谷で昭和精吾事務所公演『仮面劇・犬神』を観てきました。
楽日の最終回になります。

昭和精吾さんは寺山修司の演劇実験室◉天井棧敷の元俳優でいらした方。当時の思い出や寺山の詩や短歌の朗読、そしてお芝居の一節などのトークショーを拝見してきました。とても面白かったのだけど。昭和さんは7年前に急逝されてしまいました。そして昭和精吾事務所は「こもだまり」さんやイッキさんたちが後を継いで公演を行ってきていらっしゃいます。
その昭和さんのトークショーで、『犬神』の一節らしきものをなさる時がありました。仮面をつけたとたん、まるで何かが憑依したように、まとっている空気さえ変わってしまう昭和さんの姿、息を飲みました。昭和さんの『犬神』、いつか見てみたいなぁと思いました。しかし前述のように昭和さんは急逝されてしまって。
『犬神』は6年前に演劇実験室◉万有引力の公演として拝見しました。後述する私的な理由もあり、ぐさりとくる内容でした。

そして昭和精吾事務所さんが今回は『仮面劇・犬神』をかけるというのでいそいそと見に行った次第です。

場所は阿佐ヶ谷のザムザ阿佐ヶ谷。万有引力さんの公演でも、昭和さんの公演でも、おなじみの場所。昭和さんの生前最後の公演もここで拝見しました。思い出の場所。客入れのとき、すでに俳優さんたちが蠢いているのも万有引力さんでもおなじみのスタイル。

「犬神憑き」と後ろ指差され、村から孤立している一家。父も母もいなくなり、姑とふたりきりで暮らす少年の物語。
ストーリーがずんずん進んでいくというより、その暮らしの点描といった趣です。犬神憑きと後ろ指差され、村人からなにくれと差別されている少年と姑の姿の点描、孤独な少年。村人に対する対抗心で自分を支える姑。

寺山修司はそのキャリアの初期にラジオドラマを書いていたそうですが。その作品群に『犬神の女』という作品があるそうです。どういうお話か分からないので『犬神』との関係性もよく分からないのですが。でも、『犬神』的なものは寺山修司のその初期からあったのかもしれないとは思っています。
犬神の主人公の姿は、父親を戦病死で失い、母親は三沢の米軍基地で働き、孤独だった寺山修司自身の姿を映してるのではと(こういう寺山修司論ももうクリシェでしょうが)。

 

『仮面劇』とありますが、出演者全員が仮面を着けているわけではありません、一部の出演者が着けていました。ここらへんも演出上よかったです。大きな仮面、仮面の口の中に顔があるくらいの大きな仮面も。
あと、犬のシロはシロ役の方が白犬の生首をもってその役としていました。この白犬の生首は昭和精吾事務所さんのマスコットでもあります。

そして主人公の少年役は女性でした。たしか万有引力の『犬神』もそうだったかと。圧倒的説得力のある美少年や美青年でなきゃ、ここは女性がいいですね。天井棧敷のオリジナルではどうだったのかしら。

音楽がバンド演奏つきでした。バンド入りのお芝居、ほんとうに良いものです。もっともっと普及すればと思います。
今回、演劇実験室◉万有引力から小林桂太さんがご客演でした。昭和精吾さんがなさっていた役なのかなぁと思いながら拝見してました。

そしてやっぱりあの結末はぐさりときます。万有引力版の『犬神』だと、あのラストは語りだけだったと思いますが、こちらでは嫁入りのシーンまで描かれていました。やはり嫁入りのシーンがあると華やかになりますね。あの結末ですが…

そしてやっぱりほんと、自分的に考えさせられるお話です。

世の中から疎外された人間になったと思い、世の中を恨んで生きている人は、いざ自分が幸せになるチャンスがやって来ても、逆にパニックを起こしてそれを自分で台無しにしてしまう、そういう事は自分をかえりみてもわかります。自己否定が埋め込まれてしまった人間。
そして、隠れているけど、実は見つけてくれることを心の底では願っているかくれんぼの鬼、自分はそういう人間かもしれないという主人公の思い、そういのも痛いほどわかります。

私は故郷を出て、東京に隠れに来たのかもしれない。隠れに来たけど、いつか誰かに見つけられることを願っていたのかもしれない。そうだったのかもしれないなと自分の人生を振り返ってみて思います。しかし、もう、誰も見つけに来ることは無いのですが。

そういう思いを抱きながら『仮面劇・犬神』を拝見しました。

| |

« JCOMネット導入記 | トップページ | テアトリアンナイト第三夜 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« JCOMネット導入記 | トップページ | テアトリアンナイト第三夜 »