映画『RE:cycle of the PENGUINDRUM』
映画館で劇場版『輪るピングドラム』劇場版、『RE:cycle of the PENGUINDRUM』後編を観てきました。
これで前後編観たことになります。感想を書いてみたいと思います。
もちろん私は作品論を書いたり謎解きを考察したりするだけの技量はないので、極私的感想になると思います。
あと、書いてるうちにネタバレしちゃうかもしれません、お気をつけて。(といってもTV版とそんなに違う内容ではなかったと思いますが)
私が幾原監督作品に出会ったきっかけも寺山修司なのですが。
私は寺山修司ファンなのですが。寺山修司の劇団・演劇実験室⦿天井棧敷を寺山没後、その衣鉢を継いでJ・A・シーザーさんが始めた劇団・演劇実験室◉万有引力さんの公演にも時々行ってます。
で、公演に通っているうちに、『少女革命ウテナ』という作品をきっかけに万有引力を見に行くようになった方がどうも多いらしいと知って、ちょっと調べてみたのですが。『少女革命ウテナ』の音楽をシーザーさんが手掛けられていて、万有引力のみなさんも歌に参加されてるらしいと知りました。それで、『少女革命ウテナ』を見たいなと思うようになって。
そのころ、あるアニメのネット配信サービスが始まって、そのサービスでウテナがあるのを知り、見てみました(見たのはTV版の方だけで劇場版は未見なのですが)。感想としては「よくわからないけどおもろかった」でした。ロジックとか謎解きとかはよくわからないのですが、面白かったです。あのシュールな画作りとか。
あと、寺山修司ファンとしては「世界の果て」というキーワードが面白かったです。寺山修司が亡くなる直前に書いた『懐かしのわが家』」という詩に
「子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが自分自身のなかにしかないことを
知っていたのだ」
という一節があって、その影響かなと思いました。
それから幾原監督作品はこの『輪るピングドラム』の他、『ユリ熊嵐』『さらざんまい』と見てきています。『輪るピングドラム』からは新作として見ています。ピングドラムは新作として初めて見た幾原監督作品なので思い入れも深かったです。
そしてその『輪るピングドラム』10周年ということで、劇場版が作られたそうです。
ピングドラムのおはなしももうほとんど憶えてないのですが…
今回のピングドラム劇場版は前後編ということで、そんなに映画を見に行かない私としてはちょっと大変かと思ったのですが。重い腰をうんこらしょっと持ち上げて。
前編はあの(たぶんサンシャイン)水族館のシーンから始まります。ここでTV版ラストに登場した、運命を乗り換えたせいで消滅した冠葉と晶馬の転生した姿と強く示唆された二人の男の子も登場します。
TV版ではこの二人の生まれ変わりと示唆された男の子たちが劇場版では前後編を通して二人の生まれ変わりとはっきりと明示されます。これがTV版と劇場版の大きな違いかなと。私が気づいた範囲内ですが。
そしてそのふたりの男の子は水族館の地下深くにある図書館で桃果と出会います。彼女もあのペンギン帽子を被った王女様姿に変身するのだけど。それはTV版ではあったかしら。
そして彼女は言います「きっと何者にかになれるお前たちに告げる」と。
TV版だとペンギン帽子をかぶって王女様になった陽毬の「きっと何者にもなれなないお前たちに告げる」というセリフが有名ですが(劇場版でもあります)、劇場版では「きっと何者にかになれる」が追加されています。ここも大きな変更点かと(TV版にそのくだりはないとは思うのですが)
TV版でも「きっと何者にかになれる」が幾原監督の本意だったかもしれないなと思います。ただ、「きっと何者にもなれない」がインパクト強すぎて、言葉がひとり歩きしてしまったのかなとも思います。
ふたりの男の子が転生した姿であると明示化する部分、この「きっと何者にかになれる」と宣言する部分において、劇場版はTV版より『希望』多めのブレンドになってるのかなと思います。
ただ、私としては、その『希望』はちょっと苦しいかなと思います。どっちかというと「何者にもなれない」人生だったから。偉くなるどころか夫にも父親にもなれなかった、ならなかったし。もちろん全然頑張ってないからそうだったのだろうけど。となると「サネトシ化」して世界を呪い、復讐しようとするかもだけど。でもそこまでは行っちゃわないようにしてるけどね。
登場人物でいちばん好きなのは苹果かしら。さいしょは「なにこのファンキーなサイコストーカーキャラは!?」だったけど、回を追うごとになんかずんずん愛おしく感じるようになりましたな。『ウテナ』でも重度のシスコンのウザキャラが回を追うごとにどんどん可愛く感じられるようになったって経験がありますが。
彼女のストーカーっぷりですが。彼女の中ではそれは彼女と入れ替わるように姿を消した姉の桃果の人生を彼女に代わって生きようというある種の自己犠牲だったんだなと思います。
自己犠牲は本作の大きなテーマですね。宮沢賢治的自己犠牲精神。ちなみに寺山修司の『奴婢訓』って作品には宮沢賢治的モチーフが散りばめられていましたが。もちろん私も自己犠牲をうつくしく思う感性を持ってしまってますが。
ただこれはあまりよろしくない部分もあるかなと。特攻とかブラック労働とか、「自己犠牲」を搾取の道具として使おうと目論む勢力がいます。そいつらに「自己犠牲」を強いられるのはまっぴらです。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(寺山修司)。この有名な短歌は寺山修司の「自己犠牲」を表しているのかな。だから「奴婢訓」は宮沢賢治モチーフが使われたのかな。「身捨つるほどの祖国」は私も欲しいです。(でもほんとそれを誰かに利用されるのはまっぴら)
このピングドラムはもちろんペンギン、『ユリ熊嵐』では熊、そして最新作の『さらざんまい』ではカッパとカワウソって、ピングドラム以降の幾原作品は動物モチーフですね。次回作もそうなのかなと思ったり。
あと、『さらざんまい』で印象的だった実写を使う手法が本作でも印象的に使われています。画質とかマッチさせるのって、どうやるのでしょうか?
あのふたりの男の子と陽毬と苹果は出会う時があるのかしら。出会うとして、どうなっていくのかな。恋人というより姉と弟くらい歳が離れてるけど。どうなるのかなって最後に思いました。
『RE:cycle of the PENGUINDRUM』、楽しみました。
おしまい。
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