« イメージフォーラム映像研究所2019年度卒業制作展 | トップページ | 村井理子『兄の終い』 »

2020/06/12

ダニエル・デフォー『ペスト』

『ペスト』(ダニエル・デフォー:著 平井正穂:訳 中公文庫Kindle版)読了。1665年のロンドンにおけるペスト流行を描いたダニエル・デフォーの作品です。

私は寺山修司のファンなのですが。寺山の戯曲に『疫病流行記』という作品があります。お芝居を拝見したことがあります。『疫病流行記』、かっちょいいタイトルだと思いました。この『疫病流行記』というタイトルはこのダニエル・デフォーの著作が元ネタなのかなと。(作品の内容自体はほぼ関係ないようですが)
ダニエル・デフォーは『ロビンソン・クルーソー』の作者とか。『ロビンソン・クルーソー』も断片的にしか知らないのですが。その程度の知識しかないのですが。

んで、今、新型コロナが流行している状況なのですが(こう書いとかないと後年読み返してもちんぷんかんになるしね)、で、この、『疫病流行記』を思い出して、読んでみたいなと思いました。

この『疫病流行記』というタイトルの本は調べてみると新刊ではちょっとお高いです。う~んと思ったのですが。そして、私は老眼が始まってるので、できたら文字を大きくできるKindle版が欲しいと思ったのですが、Kindle版もないし。で、ちょっと調べてみたら、この中公文庫の『ペスト』が原題的には"A JOURNAL OF THE PLAGUE YEAR"という事で、同じ本の和訳と思われます。そしてこちらはちょいとお安い上にKindle版もあるという事で、こちらを買ってみることにしました。

調べていくうちに名言集のサイトに「ダニエル・デフォー『疫病流行記』より」としてかっちょいい台詞が紹介されていました。
「疫病患者の出た家の扉は、すべて釘づけにされた。そして釘づけにされた扉の中では、新しい世界がはじまっていたのだった。」
このくだりもどこらへんでどういう文脈で使われてるのかなと思いました。

まず、最初はKindleの無料サンプルから。無料サンプルでもかなりの読みでがあります。

内容的には小説というよりルポルタージュといった風です。ただ、巻末の解説によるとノン・フィクションではなくフィクションと理解すべきだとか。デフォーとは完全には重ならない主人公の一人称でこのロンドンにおけるペストの流行が語られています。
もちろん完全なフィクションではなく、かなり事実に基づいているのではとは思います。もちろん本書の内容と史実との照合研究はたくさんあるのでしょうが、そこらへんは分からないのですが。

まぁ一人称で淡々と語られるスタイルなので、読みながらちょっとダレてしまったのも事実ですが。

17世紀半ばにはペストという病気とその伝染について、どれだけの知見があったのか。

「すなわち、医者のいわゆる悪気と称するある種の臭気や、気息や、汗気や、腫瘍の悪臭や、その他、医者でさえよくわからないいろいろな経路を経てこの悪疫が伝染していったことがはっきりしたのである。」(Kindleの位置No.1768-1770)

という説をデフォーはとっていたようです。そして、当時も病原体説はあったようですが、デフォーは

「つまり彼らによれば、空気の中に無数の虫や眼に見えない微生物がいて、それらの生物が人間の呼吸といっしょに体内にはいるか、あるいは空気といっしょに毛穴から体内にはいる、いったん体内にはいると、その生物は猛毒もしくは毒のある卵を生じ、これが血液と混じってついに全身をたおすにいたるというのである。このような考えが知ったかぶりの無知を暴露するものであることはいうまでもないが、このことは多くの人々の体験が雄弁に物語るところでもある。」(Kindleの位置No.1781-1785)

と、それを否定しています。ただ、人間以外にも動物が病気を媒介する可能性は認識されたようで、

「当時殺されたそれらの家畜類の数字たるや、じつに信ずべからざるほどの多数にのぼった。たしか犬だけでも四〇、〇〇〇匹、猫はその五倍の二〇〇、〇〇〇匹が殺されたということだった。たいがいの家が猫を飼っていたし、なかには一軒で数匹の猫、時には五、六匹も飼っている家があったからだった。小鼠や大鼠の類に対する撲滅策もたてられ、そのためにあらゆる努力がなされた。(Kindleの位置No.2906-2910)」

犬や猫、とんだとばっちりですが。ただ、ペストを媒介するらしいネズミもそのため退治されたようですが。

日本でも新型コロナ流行の初期において「コロナ疎開」なるものがよく記事になっていましたが、本書でも「ペスト疎開」とでも呼ぶべき現象がかなりのボリュームをもって語られています。ペストを避けようとロンドンから逃げ出す人々の姿。
前にも書いたように本書は淡々とした一人称のルポルタージュスタイルが基本なのですが。中ほどに貧しかったけど、ペスト疎開をうまくやった人たちのおはなしが挿入されています。
また、主人公の直接の見聞として、テムズ川の船上に疎開した人々の話も出てきます。

主人公自身は悩みながらも「ペスト疎開」はしないと決め、ロンドンにとどまり、そして本書を書いたという設定です。たぶん作者のデフォーもそうだったのでしょう。

ロンドン市がとったペスト流行への対策。

まず、「監視人」を置く。ペスト患者を出した家は封鎖され、「監視人」がその見張りに立ったそうです。昼勤と夜勤の2名で24時間監視すると。そして監視人は封鎖された家のお使いで買い物とかも引き受けたそうです。今でいえば「ロックダウン」でしょうか。
この家屋封鎖とそれを破って脱出しようとする封鎖家屋の住民の丁々発止のしのぎあいのエピソードもまた本書で多く紹介されています。
そりゃ、患者と一緒にされて伝染して死を待つのみの状況に置かれれば何としてもそこから脱出しようとするでしょう。
そして本書でもその対策はあまり意味がなかったと書かれています。

巨大な穴を掘って遺体を埋めていったエピソードも語られます。凄惨です。

お芝居や宴会、そして料亭やコーヒーショップ、居酒屋も禁止されたそうです。これも現代の『自粛』要請と重なって見えます。
そして、この疫病の流行で直ちに仕事を失い、窮迫した職業についても語られています。不要不急の品物、奢侈品を作っていた製造業、貿易が停まったのでそれに関係する職業の人、大工さん、海運業者。それは現代と比べてどうかしら。

「㈠ あえて言うまでもないことかもしれないが、食糧はつねに潤沢に手に入れることができた。値段もそう高くはならなかった。㈡ 死骸が埋められないまま、あるいはむき出しのままごろごろ放任されているということは絶対になかった。試みに市の端から端まで歩いてみても、埋葬ないしは埋葬の気配は昼間は一つも見ることはできなかった。ただ、前にもいったが、九月の初めの三週間には、昼間でも埋葬が若干あったことは事実であった。」(Kindleの位置No.4281-4286)

ただ、昔の疫病の流行というと街角に死体がゴロゴロしてるってイメージがあったのですが、本書によると死者数がピークを迎えて処理しきれなくなったわずかな期間を除いては、それはなかったそうです。そして食料品の高騰もなかったと。当時にしてそれをなし得ていたというのは驚きです。

ロンドン市長の対応にも本書では好意的に書かれています。当時の人々が社会福祉や行政に求めるものは今日の我々と違うでしょうが。また、デフォー自身の政治的スタンスがどちらに寄っていたかはわからないのですが。今日の政府の後手後手の対応に対する批判の声があちこちで上がってるようであるのと対照的かなぁと。

そして流行の終焉。回復率も上がったという指摘。ここらへんは「(ペストに)弱い個体」が『淘汰』されたことが理由なのかなぁ。
とりあえず流行は終息に向かい、しかし。

「前に私がいったことだが、ロンドンの人々が一時に警戒心を捨ててしまったのは、しかもいささか性急に捨ててしまったのは、まさにこういった時であった。相手が頭に白い帽子をかぶった男だろうと、首のまわりに布切れを巻きつけた男だろうと、鼠蹊部の腫物のためにびっこをひいている男だろうと、市民たちはもはや少しも恐れることなく、そのすぐそばを歩いて平然としていた。」(Kindleの位置No.5819-5822)

ここらへんも、今日、パンデミック第2波第3波が懸念されてる現在、ううむと思ってしまいます。人間はそんなものだろう、そんなに我慢しきれないものだろうなとも思うのですが。新型コロナよりはるかに感染力や死亡率の高いペストの流行下でさえそうだったのだから。

本書が語りかけてくるものと今日の日本の新型コロナ流行とでいちばん違うと思ったのは、宗教的なものの有無でした。

「この好転は、最初われわれの頭上に裁きとしてこの病気を下し給うた神の、あの見えざるみ手のなせる業であった。」(Kindleの位置No.5789-5790)

まさにこれがデフォーのこのペスト流行に対するスタンスなのかなと。

ざっと通読して。小説的な「ストーリー」を求めいたのですが、ルポルタージュスタイルだったです。でもだから、当時のロンドンの様子を(多少のフィクション部分はあるにせよ)見ることができて、そして今日の新型コロナ禍の状況と照らし合わせて、いろいろ示唆される部分がありました。
この新型コロナの時代にも『疫病流行記』が書かれると思います。それはどのようなものになるのかなぁと考えたりします。

しかし、「疫病患者の出た家の扉は、すべて釘づけにされた。そして釘づけにされた扉の中では、新しい世界がはじまっていたのだった。」というくだりはちょっと見つからなかったです……

 

| |

« イメージフォーラム映像研究所2019年度卒業制作展 | トップページ | 村井理子『兄の終い』 »

コメント

いま、寺山修司が生きていたならば ?

 「週刊現代」2021年5月22・29日合併号・「いま、あの人が生きていたならば」 ↓

 「疫病流行記」について、 萩原朔美(元「天井桟敷」劇団員)、三上寛(映画「田園に死す」出演)。

投稿: Dデフォー | 2021/05/30 23:04

「寺山修司がご存命だったら現代のあれこれをどうお書きになっていたかなぁ」と想像するのもファンの楽しみです。
今の政治トップでさえ、自分の抱いておきたい「幻想」のために「事実」を改竄してる時代ですから。
うんと出来の悪い寺山演劇を見せられているようで、うんざりします。

投稿: BUFF【Blog主】 | 2021/05/31 22:07

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« イメージフォーラム映像研究所2019年度卒業制作展 | トップページ | 村井理子『兄の終い』 »