村井理子『兄の終い』
『兄の終い』(村井理子:著 CCCメディアハウス:刊 Kindle版)孤独死をした兄を「終う」ことになった、その顛末を描いた手記です。
村井理子さんはツイッターでフォローしています。実はご著書は未読なのですが(汗)、時々あげられるわんこの写真が好きなのでフォローしています。そうやってツィートを拝見しているうち、新刊情報としてこの『兄の終い』に関するツイートが流れてきました。そして、その内容に「ギクリ」としました。
なぜなら私もいつか「終われなきゃならない」『兄』だからです。
そのことは時々考えます。自分にも「老い」がやって来てるのを自覚しているし、その先に死があるのだろうなとぼんやり考えます、そして死んだら誰かが終っちゃう羽目になるんだろうなと思います。そしてそれはかなりの確率で『兄』として終われるのかなぁと思います。その義理なんて1ミリもないんだけど。
なので、本書に興味を持ちつつ、読むのがとても怖い気持ちがしてました。で、手を出しあぐねていたのですが。こういう事態はそのうちほぼ確実に「降りかかる」ことですし、どうなるかちょっと心の準備もしときたいと思って読んでみることにしました。老眼が始まってるので字が大きくできるKindle版があるのはありがたいですな。
ざっと一読した程度の感想ですが、書いてみます。
この手記は著者さんが警察から兄が亡くなったことを告げられるシーンから始まります。状況としては突然死、そして完全には孤独死ではなく、お兄さんは別れた奥さんとの子供と二人暮らししていたそうです。
そして、「兄の終い」に駆け回る日々。その、のべ5日間の騒動について語られます。
兄の乱雑なアパートの描写、埃まみれの汚れた様子や汚れたままか流しに置かれた食器、モデルガンやナイフやフィギュアの趣味の品物、それも埃まみれになってるの、ぎくりぎくりとしながら読みました。私のアパートと一緒です。
お金が出ていく様子も見が縮む思いがしました。ああ、そんなに負担をかけるのかって。そう思うだけなんで、気楽でもあるけれど。
兄の趣味の品物も委細構わずゴミ袋に突っ込んでいくシーンも身が縮む思いがしました。そりゃ、そうだよなぁと。それは近年自覚ができて、だから、コレクションについては近年急速に興味を無くしていってるのですが。
でも、筆致は優しいです。それまでいろいろあって、疎遠になったのでしょうが。そこらへんは筆を抑えているのだろうなと思いました。親に金の無心をする下りなんかはこれもまたギクギクしながら読みましたが。
また、それこそがまた「終い」なんだろうなと思います。兄を怨む気持ちが残ってる間は「終い」は終わらないと思います。兄を最後は「赦す」ことによって、自分の中の兄を終うことができるのではと思うのです。
今回の騒動に関わる周りの人たちもみんないい人と描かれています。こういう時、嫌な印象を与える人が一人や二人現れるものじゃないかなと漠然と思っていたのですが。
兄の元奥さんとお嬢さんも現地に乗り込むのですが。元奥さんは遺された息子さんを引き取ります。育てなきゃいけない子供がひとり増える、その負担を考えたらもろ手を挙げて歓迎もできないのではと思うのですが。それでも元奥さんは朗らかにそれを受け入れているようです。
遺された息子さんの同級生や先生方も暖かい人たちのようで。これもまた貧しい父子家庭の子供なんて恰好のいじめのターゲットにされそうな気もするのですが、周りの人たちから暖かくされていて、別れも惜しまれていたようです。
ついついそういうネガティブな事を考えてしまうのが、私の悪いとこでしょうが。
そして、読み終えたからふと気がついてまたまたギクリとしたのですが。本作には兄の交友関係があった人は出てきません。ひとり暮らしなら住所録的なものが見当たらなかったという場合も考えられるでしょうが。息子さんがいるのならある程度の心当たりは教えてもらえるでしょうが、それもなかったと。
まぁ、いなかったんだろうなと。学校の同級生も職場仲間も趣味の仲間も行きつけの居酒屋の常連仲間もご近所の付き合いも、訃報を知らせるような相手もいなかったんだろうなと。それはほぼ私もそうですしね。
兄は工具をたくさん積んだワゴン車に乗っていたそうです。体が動く限りはフリーの職人さんみたいな仕事をしていたのかなと思います。特に会社に属さず、呼ばれたら仕事場に行くような。そういう中で職場の人間関係を作るのも難しそうですし。
まぁとにかく、暗い、絶望的な話にならないように注意が払われていると思いました。暖かい、やさしい読後感まで導いてくれました。
あとがきにあった
「今でも兄を許せない気持ちはある。そして、そんな気持ちを抱いているのは私だけではないと思う。兄はさまざまな問題を引き起こし、多くの人に辛い思いをさせ、突然去って行った。 そんな兄の生き方に怒りは感じるものの、この世でたった一人であっても、兄を、その人生を、全面的に許し、肯定する人がいたのなら、兄の生涯は幸せなものだったと考えていいのではないか。だから、そのたった一人の誰かに私がなろうと思う。」(Kindleの位置No.1239-1243)
がすべてだと思います。もしこういう風に考えてくれたら、それはとてもありがたいことです。もって冥することができると思います。
そしてそれがまさにヨイ「終い」なのでしょうが。
本書を読んでいちばん辛かったのが兄の息子さんのこの思いです。
彼は、自分がどうにかしていれば、父を助けることができたのではと考えているのだ。(Kindleの位置No.1111-1112)
人は、家族や大切に思っている人が突然死ぬと、それを防ぐことができたんじゃないか、自分が至らずに死なせてしまったのではないかと「たら・れば」に苦しむと思います。そして、それに耐えきれなかったら、それは誰かを憎む方向に転嫁されてしまうと。だから、そういうので苦しまないでほしいと思います。
エピローグは「兄をめぐるダイアローグ」として、あちらの役所の担当の方や、息子さんを預かってくれていた方へのインタビューが収められています。
私事ですが、私は渋谷の(以前は四谷三丁目にあった)「映像作家」養成のための研究所・イメージフォーラム映像研究所の卒業制作展を見に行くのが好きなんですが。セルフ・ドキュメンタリー系の作品で(離れて暮らす)亡くなった家族をモチーフに、その人の周囲にいた方たちへの改めてインタビューを行うって趣向の作品がたまにあって、そういう作品が私の好みに合うのですが。『私が選んだ父』『男のサービスエリア』『映画はエンジン』とか。このインタビューもそういう事かなぁと思って読みました。
そういう作品は、カメラを使った、「別れの儀式」なのかなと思ってます。そして本書もまた「別れの儀式」なんだろなと、そういう意味で著されたのかなと思ってます。
読後感もいいし、私もこういう「終われ方」をされたらとても嬉しいのだけど。
まぁ、でも、やっぱりいろいろ考えますな。
いちばんやるべき事はとにかくそこそこまとまったお金を用意して、託けることなのでしょうが。傾いた会社に勤める身としてはそれはちょっと難しいです。もちろん最低限の暮らしをする覚悟があればそれはできるかもですが。
語弊はありますが、「兄」の死に方は羨ましいと思います。高齢になり、働けなくなり、たぶん生活保護で補填しつつ年金暮らしになるでしょうが、それでも動かない体でひとりで生きていくのは大変だと思っています。スーパーでだいぶご高齢の方がよろよろと買い物をしている姿を見かけると、自分もああなるのかなと思います。だから、あのような死に方が理想です。体がそこそこ動く間、まぁ、働ける間に急死するのが理想かなとは思ってます。老後の蓄えもたっぷりの年金もご縁がないですし。
そして、「コレクション」のこと。一般的な価値が誰にもわかるような美術品とか金目のものではない限り、本書にあるように、ゴミ袋に突っ込まれてそのままゴミですな。それを思い知らされました。まだ動ける間にぼちぼちヤフオク等で処分していくのが理想かなぁと思いはしますが。でもそれもまだ踏ん切りがつかないし。でもそうすべき時も近いかもとも思います。
という事どもがざっと通読しての感想です。
やっぱりわが身につまされてギクギクするくだりがたくさんありつつも、身が縮む思いをしつつも、でも、作者さんの人柄もあるのでしょうが、読後感は暖かい物でした。そして、こういう風に「終って」もらえるのならいいなと思いました。
(この本、送ってみたいけど、送ったら嫌がられるかしら?)
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