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2019/09/11

岸田秀『唯幻論始末記』

『唯幻論始末記-わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか-』(岸田秀:著 いそっぷ社:刊)
「唯幻論」の提唱者、岸田秀の今年1月に出た新刊です。読了。

「唯幻論」。自分なりの(間違ってる可能性もある)理解ですが。まず大前提として「人は『本能』の壊れた動物である」という考えがあります。『本能』と言われると、「あいつは本能のままに生きてるがめつい奴だ」とか、決していい意味では使われないのだけど。でも動物にとって『本能』とは、それに従って生きていれば、大過なく生きていける、動物に組み込まれた行動様式・システムであります。

これが人間においては「壊れている」。なので、人はおのおのがてんでばらばらの『私的幻想』を抱えて生きている。しかしそれでは人は社会を形成して生きていけないから、それぞれの『私的幻想』から各人で共有できそうな要素を取り出し、『共同幻想』を形成し、それによって社会を形成し、生きている。しかし各員の内面は『共同幻想』から取りこぼされた『私的幻想』がくすぶっていて、それが社会の不安定の原因となっている。そう私は『唯幻論』を理解しているのですが。

本書の目次はこうなってます。

第一章 性的唯幻論と私的唯幻論

  • 人間は変な幻想に基づいてしかセックスができない
  • 性交に興味を失った人類がつくりあげた「嘘」
  • 弱くなった男の性欲を女性記に向かわせるための屁理屈
  • なぜ人間は、性的興奮のために倒錯的行動が必要なのか
  • ユダヤ教とは、無理してつくられた不自然な例外的現象
  • 歴史は、その国民がどんな幻想を抱いたかで動かされる
  • 有り得たかもしれない事態が想定されて、初めて歴史は成立する
  • 母との関係に対処するために形成したのが唯幻論
  • 個人心理を集団心理に当てはめるのはおかしいか
  • 人間の思想や行動の原因は、心や脳の中に見出せるのか
  • インチキ心理学が去り、インチキ脳科学が出現
  • 織田信長をサイコパスと呼ぶのは何の意味もない

第二章 わたしの略歴

  • 養子として岸田家に
  • くも膜下出血になった十九歳のとき
  • 家業の劇場を継ぐも、大赤字に
  • ぶっつけ本番、行き当たりばったりの授業
  • 研究者になるには不遇で場違いな家庭
  • 人にものを尋ねないという、という習癖
  • 借りていないお金を返さねばならないという、という強迫観念
  • 受験勉強をしてはならない、という強迫観念

第三章 偽りの理想的母親像

  • 愛情を注いだからと、子に同じことを求める親こそ悪質
  • 献身的に尽くしてくれた母親に、献身的に尽くす
  • わたしの中にあった、卑屈さと傲慢さ
  • 無理に自分は幸福と思おうとしていた
  • 母殺し、祖母殺しの事件が問いかけること
  • わたしを一種の性格破綻者に追い込んだのは何か
  • ほとんどの人間は、変な親から変な人格を受け継ぐ
  • 母は身勝手な父の被害者だったのかもしれない

第四章 強迫観念から生まれた性的唯幻論

  • 自分が変だと気づくのは用意ではない
  • 「有益な」ことをしたと思い込むための読書
  • 相反する強迫観念から本を遠ざけることに
  • 献身的に尽くすが、セックスは求めない「清らかな」恋
  • 要求に従うように見せかけて裏切るパターン
  • なぜわたしは「インチキな熱烈恋愛」に嵌ったのか
  • 性的虐待を受けた女性が惨めな男関係を繰り返す理由
  • なぜセックスをしない男女関係は「清らか」なのか
  • 「女には性欲がない」という嘘が必要だった
  • 女性器も陰毛も乳房も、隠されたから性的魅力になった

第五章 現実感覚の不全

  • 幼いころから狂っていたわたしの現実感覚
  • 頻繁な紛失癖は何かの無意識的願望なのか
  • 非現実を現実と信じてしまう、歪んだ認知構造

第六章 でっちあげられた「天孫降臨神話」

  • 目に飛び込んできた「日本兵の死体の写真」
  • 欧米の一神教に対抗するための「万世一系」
  • 現実をしっかり認識してなかった日本軍
  • 主観的心情が大事で、客観的現実は軽視する傾向
  • 白村江での惨敗、という屈辱を隠蔽したかった日本
  • 真珠湾奇襲は屈辱を否認する「内的自己」の爆発だった
  • 皇国史観と東京裁判史観はともに隠蔽史観
  • アメリカのイコールパートナーという自己欺瞞
  • 無意識へと抑圧された「アメリカへの怒り」
  • 他国の怒りに鈍感なアメリカに議論を吹っ掛けるべき
  • 朝鮮もロシアも中国も、日本に怒っているだろう

第七章 善意の加害行為

  • なぜ近代ヨーロッパ人は、かくも残酷で攻撃的だったのか
  • ペリーのやり口を朝鮮に強いた日本
  • 「アジアを解放するため」という大日本帝国のタテマエ
  • 幕末の屈辱を晴らすために軍事力一辺倒に
  • 「死ぬために戦争を始めた」かのように見える日本人

第八章 消えた我が家

あとがき

私は本書をどのくらい理解できたか自信はないのですが、私的な感想など。
実はこの感想、書きたい書きたいと思いつつ、何ヶ月も書きあぐねていました。
あまりうまく書けませんでしたが、現時点における感想です。

本書のあとがきにもありますし、腰巻にも書かれていますが、本書は岸田秀が最後の著作としてお書きになったものとか。
そのせいか、第一章が「唯幻論」のおさらいになっていて、第二章以降は岸田秀の自伝と、それに対する岸田秀の自己分析がメインになってます。
自伝的な内容でした。

岸田秀が『唯幻論』を発想したのは、岸田秀ご自身が神経症に苦しみ、それを解決しようとして過去のことを分析し、母親との確執を発見したことからでした。だから岸田秀の唯幻論に関する書物には、岸田秀の個人史は頻繁に登場します。でも本書は(私が今まで読んできた中では)いちばん詳しくご自身の越し方について語られています。

興味深かったのは、書いた論文がけっこうリジェクトされたってエピソード。やはり岸田秀のスタンスは大学の「学問」的なものからは少々逸脱していたのかなと。中学か高校のころ、学校の先生に「心理学ってなんですか?」って聞いた事があります。先生には「哲学の一種だよ」って言われて、だから今でも自分の中には「心理学は哲学の一種」という意識があるのだけど。でも本来は心理学は自然科学の一種で、実験とか調査とか統計とか、そういうのがとても大事になる学問だと思います。ただ、岸田秀の心理学はそういうものではない、もっと思弁的な、「哲学」に近しいものなのかなと。そういう意味で「心理学」としての論文も通らなかったと。しかし「哲学」と考えても、そういう先達の著作からの引用もあまり無いみたいですが。

そして、そういう人物を教授として置いていた昔の和光大学のリベラルさって、とてもいいなと思います。あの、赤塚不二夫の伝説のむちゃくちゃ映画『下落合焼とりムービー』に大学の建物をロケーション場所として提供するぐらいですし。

うん。そう。岸田秀の『唯幻論』は私にとってこの世界を見るにはいちばんしっくりした枠組みです。

人は「脳内」を生きる。脳内に映った「虚像」を「現実」と呼んで生きる。近年はそう思っています。昔のギリシャの哲学の洞窟の壁に映った影がなんとかっていうに似た考えかな?あまりよくは知らないのだけど。
まず、動かせない「事実」(物理法則みたいなのとか)。そして各種の個人的な社会的な「幻想」、それらをこね合わせて、人は自分の中で「現実」を生成して、それで生きている。そしてその「現実」を基本的には人々は共有していて、人は「社会」を形成して生きている。そういうことだろうと思います。

だから、社会を形成している各個人の中で認識している「現実」は、他の成員の認識している「現実」とは、精査すれば、矛盾点があるのだろうけど。それが社会を壊してしまうほど矛盾しているということは無い程度に抑えられていて、だから人は社会を形成して生きていけてるのかなと。

つまり、社会を形成する各員の「現実」は、精査すれば各員において多少の相違点は存在するであろうけれど、社会が存続できないほどの致命的な矛盾は、無意識にでもすり合わせをやってできる限り避けられている、そういうセーフティー機能がついていると思うのです。それで「共同幻想」を形成し、それを「現実」としてやっていけてると。しかし近年、その「すり合わせ」の機能が毀損してきているのではないかと思うのです。

何かもう、この国のトップの動きでさえ、稚拙な「幻想」をベースに進んでいるように思われてなりません。この国のトップたち、彼らは「嘘」をついてるのではない、彼ら自身は、自分たちは嘘なんてついていない、彼らにとっての「現実」を元に政権を運営していると自認してるのではと思うのです。そしてそれは「嘘をついている」と自覚しているより、はるかに厄介なのではと思っています。
「歴史修正」なんてそのいちばんの動きではないかと。

その「現実」がてんでバラバラになったこと。それは人々が隔絶してきているって事なのかなぁ。共に「現実」を「共有」していこうという動きがなくなってきて、てんでバラバラになってきたこと。そしてもうひとつはやっぱりSNSという「幻想ブースター」の普及のせいがあるのかなと思います。
どのようなとんでもない、稚拙な「幻想」も、ネットを検索すればそれに賛同する人が見つかることも多い。そしてSNSではお互いに「そーだそーだ」と言い合える、その「幻想」を強化できる(『エコーチャンバー』とか言うんでしたっけ?)。だからお互いに「現実」をすり合わせることもなく、対立する「現実」を抱え込んだ人々が併存しやすくなってきたと。

正直に告白すれば、最近わたしは、自分に、世の中に対する「現実感」が希薄になってきたのに悩んでいます。苦しんでいるといってもいい。何らかの精神病に罹患している可能性も大ですが、でもその精神病もこの現実感が希薄になってきてる近年の世の中の動きのせいかもしれない、だから治しようがないのかもしれないなとも思っています。いやいちどきちんと精神科を受診すべきだとは強く思っていますが、その勇気はまだないけれど。

ま、極私的感慨はここまで。閑話休題。

岸田秀はあまり乗り気じゃないまま、親から家業の劇場を受け継いで、そして潰してしまったそうですが。本書によると岸田秀の祖父は日本最初の常設映画館、浅草の電気館の雇われ支配人をなさっていたそうです。すごいです。
そして乗り気の無いまま岸田秀は家業の劇場を潰してしまったそうですが。でも時代の流れなら、早晩そういう映画館は消えていったと思います。よほどのやり手で無い限りは。

ほんと、岸田秀は本書が最後の著作であるとお書きになっていますが。
まだまだ岸田秀の新刊は読みたいです。
いや、もう今は、岸田秀の『唯幻論』をベースに、自分で考えてみるころあいなのかもしれません。
『唯幻論』をベースに、あとに続く方の本も読んでみたいです。

岸田秀の『唯幻論』、そして私は寺山修司も好きなのですが、寺山もまた「虚構と現実」のあわいを撹乱して、挑発してきた人です。
寺山修司と岸田秀に出会えたおかげで、「現実」が崩れていこうとするこの時代の様子がある程度は認識できます。だから苦しいのかもしれないけど。そしてまた逆にそういう事が認識できないまま、その渦に巻き込まれていってる人がたくさんいるであろう事も理解できます。(偉そうですね)

この時代、どうにかなってくれないかな。
それともこれはもっと深刻化していって、我々が「社会」を維持できなくなるぐらい「現実」は崩壊していくのでしょうか。
ひとつの時代がこれで終わるのでしょうか、それとも人類そのものが終わるのでしょうか。

「ああ、復活の前に死があるね」かな?

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