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2018/12/12

『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』

『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』(三方行成:著 早川書房:刊 Kindle版)読了。
古今東西の昔話や童話をSF仕立てにした短編集です。今年の第6回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作だそうです。(優秀賞の上に大賞があるようですが、今回は該当作なしとか)

短編集ということで、お試しとして本書に収められた「地球灰かぶり姫」がKindle版として無料公開されています。それを読んで面白かったので、購入しました。
Kindle本を買う場合、紙の本と比べて中身を確かめるのがなかなかに難しくて、まだまだ戸惑うことも多いのですが。お試しとかありますけど、やっぱりそういうのに拘束されずぱらぱらと眺めてみたいですしね。でも本書は短編集のおかげか、1篇無料という事で、とっつきがよかったです。

本書に収められたおはなしは

  1. 「地球灰かぶり姫」(シンデレラだと思います)
  2. 「スノーホワイト/ホワイトアウト」(これは白雪姫になるのかな)
  3. 「<サルベージャ>VS甲殻機動隊」(これはなんになるのかちょっと。タイトル的にはアレが元ネタかもしれませんが、アレは昔話でも童話でもないしなぁ…)
  4. 「モンティ・ホールころりん」(これは「おむすびころりん」ですね)
  5. 「アリとキリギリス」(これはそのまんま)

の全5編。それから「第6回ハヤカワSFコンテスト選評」として審査員の方々の選評が載ってます。これについては本作以外への言及もあります。
三方行成さんご自身の前書きやあとがきはありません。

本書の世界観はタイトルそのまんま。人類はそのほぼすべてが「トランスヒューマン」という存在になってるようです。ヒトは肉体を捨て、その本質はデータになってます。コンピュータ上のデータ、かな?また、体をもつこともできるようです。それはこの世界では「具体」と呼ばれてます。今の生身の体そのものから、ナノテクを駆使した代物まで。仮想現実も拡張現実もありまくり。また、具体等が壊れても、サーバにアップロードした人格データをバックアップにできるので、「不死」になれるようです。

私はあまりSFを読まないし、だから詳しくもないのですが、人間がコンピュータ上のデータになる、必要とあれば実体の体を持つことができるって世界観は、以前読んだケン・リュウの短編集『紙の動物園』にそういう設定のお話がありました。未来、人類はそうなっていくのかな。

ただ、ケン・リュウのその作品を読んでも思いましたが、そういう世界において「自我の連続性」はどうなるんだろうってちょっと思います。生まれたままの肉体の「私」、コンピュータのデータとなった「私」、機械の体に入った「私」。それはぜんぶ「私」なのかなぁと思ったりもするんですが。

スタニスワフ・レムの『泰平ヨンの航星日記』という短編集に、住人がしょっちゅうあまりにあっけなく死んでしまうので、常に自分のクローンのバックアップを用意しておいて、死んじゃったらそのクローンに交換するって星の話が出てきました。その星の住民はその死んじゃった自分とバックアップの自分と、同一の自分であると認識しているのですが。どうなのかなぁ。

逆に考えたら、「連続してる」と考えてる自己、それは幻想かもしれないとも思ってます。それは文化的に埋め込まれた「幻想」かもしれないと。
例えば、ヒトの肉体の細胞は、数ヶ月か数年かは忘れたけど、一定期間でほぼぜんぶ入れ替わるそうです。それは「クローン」の私となにか違いがあるのかなと。

脳細胞は入れ替わらない、さらに脳細胞は死んでも補充はされないそうですが。そのうち脳の損傷の治療用に、脳細胞を再生させたり、コンピュータに脳の機能の一部(そのうちにぜんぶになるかも?)を肩代わりするような治療法ができたら、それはほんとに今までの「自分」と同じであると言えるのだろうか、とか。

そんなことを考えると頭がとてもややこしくなってきて、ちょっと怖いのだけど……

それから「ガンマ線バースト」ですな。「ガンマ線バースト」、あまりよく分からないけど超新星爆発とかで起きる強力なガンマ線の発生現象かな。この「ガンマ線バースト」がすべてのおはなしに関わってきます。おはなしの途中に起きるのも、おはなしの前に起きたと語られるのも。

という事は、すべてのお話はひとつの世界のエピソードなのかなぁ、それとも別の世界のお話なのかなぁって思いながら読んだのだけど…。

いや、、閑話休題。余談の方が長い感想文になりそう……

本書の感想をひと言でいうと。うん、おもろかったです。お話、楽しみました。

なんて言えばいいのかな、うまく説明できないんだけど。本書のSF世界の設定が、どこか不思議な馴染み方をしてるって印象を受けました。う~ん、うまく説明できないんだけど。ただ、今まで読んだ(そんなにたくさんないけど)SFとSF的なものに対する馴染み方がちょっと違うような印象を受けました。

あとけっこうちくりとする現代批判もありました。

あとそれと、「トランスヒューマン」なるものが我々の「おはなし」の器になれるのかなぁってちょっと思ったかしら。我々よりはるかに存在形態が自由で、しかも情報処理能力もはるかに高い、そんなトランスヒューマンなる存在が我々の「物語」の担い手になれるものだろうかって。「物語」を共有できるのかって。

例えば動物小説なら、ある程度は動物を擬人化してお話にすると思うのですが。動物、それだけ純粋には「物語」にならないような気もするのですが。そういう意味において「トランスヒューマン」の物語はどうなるのかなぁと。

本作では「トランスヒューマン」よりさらに進んだ「ポストヒューマン」なる存在も語られます。「ポストヒューマン」になると本格的に現人類と「物語」の共有は無理になりそうな気も。

そんな自分でも持て余してしまうややこしい事も少し考えながら読みました。

でもほんと、面白く読みました。
おススメ本であります。

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