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2018/11/19

万有引力公演『狂人教育』

昨日は下北沢のザ・スズナリで演劇実験室◎万有引力第67回本公演『狂人教育-人形と俳優との偶発的邂逅劇-』を観てきました。楽日になります。

元になる戯曲は寺山修司が演劇実験室◎天井棧敷を立ち上げる前の1962年に、人形劇用に書かれたものだそうです。寺山が色々な戯曲や台本を書いていたころ。ラジオドラマとか、篠田正浩監督と組んで映画の台本を書いていたり、そういったころの1作になるのかな。

ザ・スズナリは初めて行く場所になるのかしら。小劇場ブームの歴史的建造物と言っていいのかなぁ。ここらへんはあまりよく分かりません。雑誌とかで名前はよく目にてきましたが。
これも劇場とはちょっと思えない場所かな。1階に居酒屋やレストランが入っていて。これはおととし惑星ムラリスさんの公演を拝見した下北沢の本多スタジオも同じで、本多系列の劇場の特徴なのかしら。

昔よくあった万有引力さんの客入れは、整理番号順にお客さんを並ばせて、開演直前に一気に客入れ、座席は自由、ってスタイルでした。それから最近は普通のお芝居の客入れみたいに指定席制で開演前に開場し、三々五々の客入れ、ただしもう役者さんは舞台上をうごめいているってのが多かったです。

今回は座席指定番号順にお客さんを並べて開演直前に一気に客入れって両者のハイブリッドスタイルでした。これも面白かったです。

席は小さめ。デブ的にはちょっときつかったですけど。でも小スペースながらできる限りの事はしているって感じでした。ぺったんこの座布団で固い床に座るってスタイルでもないし。
ただ、最前列の一群よりは、後ろの方が椅子も大きくてクッションも厚めなので、こんどザ・スズナリに行く時はそのことは注意して席を選びたいと思います。次々回の万有公演もスズナリのようですし。

入場直後の舞台立ては。白木の舞台の床、舞台の真ん中に白木の大きなテーブル。高い背もたれの椅子が散らされていて。その周囲を馬蹄形に囲むように一段高い黒く塗られた台。その左奥は階段があって、2階に通じています。
あとから気がつきましたが、舞台中央のテーブルの下は奈落になってます。落ちちゃわないのか心配しました。

お人形のオブジェが天井からぶら下げられています。マリオネット。不思議なつくりをしたお人形。不思議で面白いかたちのお人形。最初はこのお人形の中のひとりかふたりは役者さんが扮しているかと思いましたが、いつもの万有パターンだとそうかなと。でも今回はみんなお人形でした。

ややあって役者さんたちが登場します。黒い衣装。精悍な感じ。なんていうかな、映画『マトリックス』のポスターみたいな感じです。黒のロングコートのような衣装に逆台形の胸当てで精悍です。髪型も精悍なショートカットです。女性はお団子ふたつ。目元を黒く精悍に塗って。
この人たちは「人形使い」という役どころのようでした。「人形使い」なんていうと私は『攻殻機動隊』を連想しますが。

この、人形遣いさんたちがうごめくシーンのあと、操り人形の一家が登場します。彼らはベージュ色をベースにした衣装で、人形使いたちとは対照的です。髪もベージュにしてました。
人形一家、おじいさん、おばあさん、お父さん、お兄さん、お姉さん、妹(かな?)。お父さんの首から高麗人参を提げ、裾にリポビタンDがぶら下がってる衣装が面白かったです。精力剤マニアのお父さん。

自分を偉そうに見せるために嘘つきなおじいさん、切り抜きマニアで切り抜いた猫にミルクをあげるおばあさん、蝶コレクターで人間もコレクションしたがってるお兄さん、男好きのお姉さん、そして、皆からちょっとはなれて座っていることの多い妹。この妹の名前は「蘭」でしたけど、天井棧敷の名女優・蘭妖子さんとなにか関係があるのかなぁ。

この一家に「母親」がいないという指摘がありました。確かに。寺山の母親に対する複雑な感情はもうすでにあって、創作物にも表現されていたんだなと。

お兄さんは蝶を捕まえてきて、自分の部屋に放し、自分自身はその部屋に入らずに、蝶が逃げないように番人となってドアの前に寝ています。
これは寺山オリジナルの戯曲にはないという話もちらと耳にしました。人間をコレクションしようとする蝶コレクターというと、映画『コレクター』を連想しますが。改めて調べると『コレクター』はこの戯曲のあとの1965年の映画。原作小説も1963年の作品(日本語訳が出たのはずっとあとのようですが)。

そして、蝶を部屋に放すというと『毛皮のマリー』を連想します。マリーが息子の部屋に蝶を放つエピソード(だったかな?)

ある日、人形一家は「ドクター」から、この一家にひとり、「狂人」が混じっていると告げられます。この「ドクター」はお芝居には登場しません。百年誤診した事がないない「ドクター」だそうですが。百年間医者をやれる人間はいませんな。
そして一家の主のおじいさんはその一家に一人だけ混じっている「狂人」を見つけ、殺して埋めてしまうと宣言します。そして一家の狂人探しが始まります。

狂人探し、誰かを決め付けて見せたり。そして最後、他の人と違うことをしている人物を狂人にしようと言って。みなでいっせいに同じことをするようになって。でも、それはおかしいと言った、末っ子の蘭は自分が思うようにふるまって。そして狂人と決め付けられて、殺されてしまいます。狂人を排除できたとひと安心する一家、しかし残りの家族ももろともに始末されていって。操りの糸を斬られていって…。

蘭は誰が狂人なのか、「人形使い」に訊いてみたらいいと提案します。確かに彼らは人形、操られる存在。それなのに狂人という事は、操ってる人間が「狂人」としてその人物を操っているということになるので。しかし、「狂人」として操る。それもまた、いくつかの偶然の積み重なり、つまりは「空気」がそうさせていて。

我々はまたそういう「操り人形」の側面もあるのだろうなと。もちろん「人形使い」の側面も。
この操り人形の図式ってのは天井棧敷時代の『邪宗門』を思い出させます。
寺山修司の操り人形論、なんかあれば読みたいのですが。

私は『狂人教育』もまたこのように「現代」の抱える問題の象徴として見ました。「空気」の支配する現代、そのなかでちょっとでも皆と違う人間をノミとり眼で探して排除しようとするこの現代。SNSとかの「炎上」騒動もそう。先日青葉市子さんというミュージシャンさんがそういうような事を歌った歌を聞いたせいかもしれませんが、私はそう見ました。

かつてはインターネットの普及によって相互の情報流通が進み、相互理解が進み、理解と受容の世界が開けると思われていました。しかし、SNS等の発達は、自分たちと違う考えをしている人たち、ちょっとでも逸脱している(と思われる)人たちをノミとり眼で見つけて、その人たちを晒し上げて排除するツールとなってしまいました。「正義」の名の下にね。
それは、この社会の「断裂」を深めているんだろうなと思います。そしていつかその「断裂」は破断点を迎えるかもしれません。ま、私はそれで人類が滅びるなら滅びりゃいいと思っていますがね、滅びたとしたら、それが『人類』の種としての限界だったに過ぎないでしょ。

私は、そういう「寓意」として見ました。異論のあるムキもございましょうが…。

人形役の皆さん、人形っぽい動きを取り混ぜて、とてもよかったです。長女人形役の森ようこさん、すばらしかったです。とても印象深かったです。そして末っ子(?)の蘭役の方も、とてもかわいらしく映りました。お顔のあれは木目だったって、最後の方にやっと気がつきましたが…。
ほんとに万有の皆さんの動き、見事です。体がだんだんシドロモドロになっているわたくしとしてはうらやましい限り。

完全暗転もすごいですし、真っ暗闇の中、音だけ聞こえてくるって場面もあって、よかったです。ある暗闇のシーンで、なにか光のようなものがちらちらした感覚がしたんですが。あれは幻覚だったのかしら。その閾値のような状態、よかったです。

今回、ラストは、(たぶん)蘭のお人形がひとりテーブルの後ろの椅子に腰掛けて、テーブルの上に置かれたテープレコーダーから蘭の台詞が流れてくるという趣向でした。周りに合わせる必要はない、自分のしたいように振舞えばいいって語る蘭の台詞。蘭のお人形、可愛らしかったですわ。
今回使われたお人形たちはどこかで展示されないかなぁって思ってます。

万有の次回公演は来年1月に『リヴォルヴィング・ランターン』これはたぶんショートコーナー集みたいな、言ってみれば「レビュー」みたいな演目になるかなぁ。そして4月に『チェンチー族』だそうです。

楽しみにしています。観に行けるといいなと思ってます。

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