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2018/11/05

やっとこさ『ひなぎく』

この週末は『ひなぎく』って映画を見てきました。1966年のチェコの映画です。
『ひなぎく』って映画の存在はずいぶん前から知っていたのですが、実際に見たのはたぶん初めて。

この映画を知ったのは、四谷三丁目時代のイメージフォーラムでした。今は渋谷のミニシアターのイメージフォーラム。昔は四谷三丁目の雑居ビルにあって、常設の映画の上映はやっておらず、週末だけ実験映画の上映会をやってました。それに通っていた時期が私にはあるのですが。
その上映コーナーの受付に『ひなぎく』のポスターが貼ってありました。あの、水着だか下着だか分からないけど、セパレーツを着たふたりの女の子が並んでぺたんと座ってる写真のポスターだったと思います。もう四半世紀以上前のことになるかしら。その女の子の様子、なんとなくは気にはなっていたのですが。

たぶん、イメージフォーラムにかかっていたこともありましたし、他でも見る機会はあったとは思うのですが。ただなんとなく見ないままで今日まで来てしまいました。
「女の子映画の傑作」なんて評判も目にして、「あ、あの映画か」とか思ったことはありましたが。

ンで、今回、某名画座にかかってるのを知って、ちょっと見てみようと重い腰を上げた次第です。四半世紀以上たってやっとこさ。

さすがにちょっとどきどき。

オープニングは戦争の記録映画とメカメカしいギアとクランクの映像が交互に出てきます。「女の子映画」と思っていた出鼻をくじかれます。戦争の記録映画は空爆シーンがメインで、人間の姿は無いのですが、攻撃を受ける艦船とか、そこでは確実に人が死んでるのでしょう。

そして登場するふたりの女の子。あの、ふたり並んでセパレーツを着てぺたんと座った姿。
本作には確たる「ストーリー」はありません。このふたりのやり取りや行状、いたずらや悪ふざけが描かれます。普通の劇映画を「小説」とすると本作は「詩」かな。断片的なエピソード、イメージの積み重ね。

そう、本作は「劇映画」というより「実験映画」と言ったほうがいいと思うのですが。私も実験映画についてはあまり詳しくはないのですが。ただ、「劇映画」と思って見ると、「ストーリー」を追おうとして見ると、頭の上に疑問符がいくつもいくつも浮かんできます。ナンセンスであり、シュールですし。チェコでシュールレアリズムというとヤン・シュヴァンクマイエルしか知らないのですが、本作のヴェラ・ヒティロバ監督もまたシュールレアリストなのかなと。実験映画っぽい映像の加工・お遊びもまたたくさんありました。

ふたりの女の子、ふざけあう様子。ふたりだけ、孤立した存在なのかな。他の家族や親友などは出てこないですし。自転車で通勤途中の労働者たちとふたりがすれ違う時、労働者たちは完全にふたりの存在をスルーしてます。彼女たちは彼らに私たちは見えてないって述懐します。そういう、見えてない存在の女の子。

彼女たちの外の世界との接点はおふざけやいたずらを仕掛けること。
なんとなくそれは分かるような気がします。「女の子映画」として。いや、「男の子」もそうかもしれない、いたずらで世界との距離を測る。手触りとしての悪戯。

彼女たちのよくやるおふざけのひとつに、オジサンと一緒に食事をし、オジサンを汽車に乗せるってのがあります。まぁ今の日本で言えば「援助交際」的なものなのかな。そういうことが当時のチェコで流行っていたのかなと思ったり。

そうそう、食事のシーンが多いです。そしてブランドファッション的な部分はありません。彼女たちはお洒落ではありますけど。普段の外出着はシンプルなワンピースですし。もちろん当時のチェコにはファッションブランドなんてないでしょうし。高級衣料はもちろん存在していたでしょうが。

それぞれのシーンにも、当時のチェコを踏まえたものがいくつもあるのでしょうが。残念ながらそれはよく分かりません。
そしてもうひとつ、「女の子映画」という先入観を除いて考えてみたほうがいいかもなんてのも考えましたが。本作のレビューを見ていると、本作は1966年の映画。その2年後が「プラハの春」事件であるという指摘もありました。

そして終わらせ方。おふざけが過ぎた彼女たちは突然水中に放り込まれ。反省してまじめにやりますってなって、めちゃくちゃにした部屋をばたばた片付けて、疲れてテーブルの上に横になったとたん、彼女たちは落ちてきたシャンデリアに押しつぶされるようです。終わらせ方はこうなるのかな。確たる「ストーリー」がない以上、ストーリー的な終わらせ方がない以上、終わらせ方はこうなるかしら。主人公が突然死んで終わるのはニューシネマっぽいです。

この最後の彼女たちが着ける、新聞紙を縛り付けたような衣装も面白いです。
そいや別件で新聞紙ドレスなんてのを見かけましたが、これが元ネタなのかなぁ。

そして最後にも戦争の記録映像が流されます。これはもちろん「この子たちは悪戯が過ぎたかもしれないけど、何もかも破壊つくす戦争よりも彼女たちの悪戯の方がはるかに罪がないじゃないか!」って抗議だと思います。

まぁ、私はどれだけ本作を分かったかは自信がないのですが。
でも、楽しみましたし、ほんと四半世紀を過ぎてやっとこさ観ることができてよかったです。

でも、なんでそれだけかかったのかな?

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