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2018/10/09

横浜での寺山修司展

この3連休は、横浜の神奈川近代文学館で開かれている寺山修司展を見てきました。

横浜は1年ちょっとぶり。ゆっくり観光したいなと思いつつなかなかできていない街ですが。
みなとみらい線の元町・中華街駅で降りて、元町方面の出口。このみなとみらい線は有事には核シェルターにでもするんでしょうか、かなり深い場所にあって、エスカレーターを何回か乗り換えてやっと地上の改札に出ます。そして改札から今度は違うエスカレーターに乗り換えて5階まで上がります。出たらそこは公園でちょっとびっくり。丘の山腹に組み込むようにエスカレーターつきのビルが建ってる形でしょうか。そこはアメリカ山公園というそうです。

そこからゆるい上り坂。右手に墓地が見えるのですが、なんかちょっと変わった墓石が並んでいます。外国人墓地だそうです。外国人墓地はそれこそ上京前から知っていたはずですが、実物を見るのは初めてかな。突き当りの道路を左に折れて。

アメリカンスクールがあるみたい。なんとなく米軍施設の雰囲気も漂っているような。横浜もかつては米軍基地があったんでしたっけか。そして港が見える丘公園。これも上京前から知ってたし、歌謡曲のモチーフにもなってたと記憶しています。ここも実際に訪れるのは初めてかなぁと。

テーマのある庭園とか、あーとちっくなオブジェとか、昔のイギリスの商館とか、大佛次郎記念館とか、ほんとコテコテの横浜っぽい公園です。その公園を横切った場所に横浜近代文学館はありました。丘を利用した風情のある建物です。

2棟あるのかな、寺山修司展は上のほうの展示室で開催されていました。デブ的には色々上ってきてちょっときついかしら(笑)

今回、この寺山修司展を見るにあたり思った事は、「どういう語り口になるんだろう」って事でした。
多方面に活躍してきた寺山修司を紹介すること、いや、どういう人物に関してもそうでしょうが、その人物を紹介すること、描くこと。それはどういう風にやればいいのか。
例えば「画家」だったらキホン、その絵画を展示すればいいのですが。寺山修司のように文筆や演劇で活躍された方は、どう紹介すればいいのか。例えばこういう寺山修司展に行くより、その時間があったら寺山修司の本や寺山修司の評伝を読んでいたら、それでじゅうぶんじゃないか?なんて思ったりもするのです。とても僭越ながら…。

今回の寺山修司展、「寺山修司を描写するこころみ」。今回は三浦雅志氏、田中未知氏、祖父江慎氏、お三方の手になるもののようです。

三浦雅志氏。ごめんなさい、ほとんど存じ上げません。もちろんその影響を受けたものを私も目にし、愉しんだ事もあると思いますが。
田中未知氏はもちろん寺山修司の元秘書でいらした方。寺山修司没後、長い間の沈黙を破って、その回想録『寺山修司と生きて』を著された方。もちろん私も『寺山修司と生きて』を大変面白く拝読しましたし、その本での氏の主張に影響を受けました。そして、寺山修司の仕事を丹念に発掘されるお仕事をなさっていて、その成果物である本も楽しく拝読しております。
祖父江慎氏。本読みだった私は装丁家としてのお仕事しか存じ上げないのですが。印象に残っているのは吉田戦車の『伝染(うつ)るんです』の装丁でしょうか。印刷屋の悪夢みたいな印刷・製本ミスをわざとやってるそのアナーキーさに感銘を受けました。

そのお三方による、「寺山修司を描写するこころみ」。それは神奈川近代文学館の展示室という、ちょっと変わったかたちのスペースを舞台にして。

まず、入場前から寺山の言葉が柱なんかに書かれてます。公園内の文学館に向かう途中、ポスターの掲げられたところにも、レンガに書かれた言葉が。入り口の自動ドアにも。
寺山の「言葉」があふれ出してきています。

入場すると小スペースでビデオ上映をやってます。寺山修司率いる演劇実験室◎天井棧敷の公演ダイジェストのようでした。てくてく歩いてちょっと疲れたので、そこでひと休みしながらビデオを見て。

途中に小スペースがあって、常設展の一部らしい展示がありました。夏目漱石の漱石山房の遺品とか。ここにあるのはどういうご縁なのでしょうか。漱石は早稲田大学の近所に住んでいたようだから、早稲田大学に在籍していた寺山修司ともちょっとだけご縁があるかなぁ、なんて。あと鎌倉の紹介。あ、そうか、神奈川だから鎌倉もカヴァー範囲になるんだ。鎌倉文士をカヴァー範囲とするとかなり強そうです。

それから小説とかのゆかりの場所が紹介されている(?)、その場所のボタンを押すと地図上に電気がともる立体地図とか。
今回の特別展のために片付けられていたみたいですが、常設展には萩原朔太郎の展示もあるそうです。天井棧敷に在籍していらした萩原朔美さんの祖父、ですね。

さらに進んでメインの展示場に進むと、まず寺山修司のパスポート写真がお出迎えです。パスポートの拡大写真、寺山修司の自筆のサイン。下にはそのパスポートの現物かな?、天井棧敷の劇団員証(かしら?)オリジナルデザインのタロットやトランプ。

そして、寺山修司の生い立ちから俳句や短歌、文筆業での活躍の紹介。
この展示スペースは不思議な形をしていて。3/4円みたいな感じかなぁ。寺山修司の言葉を書きつけた垂れ幕、言葉の切り抜きが積まれていて。

寺山の学生時代の詩のノートを一冊の詩集のように拵えた作品の展示もありました。何冊かあるみたい。先日は田中未知さんの寺山修司のお仕事発掘の一環で『秋たちぬ』は書籍化され、それを読むことができましたが。
寺山の手になる学校新聞や同人誌なんかもそうですが、寺山修司はガリ版でそういった物を作ってきたので、読みやすい字を書くスキル、カットぐらいは自分で描けるスキル、を身につけていたそうです。そのノートの詩集も、その寺山のスキルが活かされていた物となっているようです。手紙なんかもカットが多いですし。ほんと、字がド下手、絵心なしの自分としてはとてもうらやましいです。

「ロミイ」が紹介されていて、ほう、そうだったのかと思いました。先日、『ロミイの代辯: 寺山修司単行本未収録作品集』というのを買ったのですが。ほとんど手を着けていませんが。その冒頭に「ロミイの代辯」ってのがあって。その文章でもそう解説されていましたが、寺山の分身としてのキャラだったようです。そして寺山のその初期の活動に「ジュリエット・ポエット」と寺山自身が呼んだものがあるそうですが、「ロミイ」がいわゆる「ロミオ」なら、それと対置されるものでしょうか。そいや『ロミオとジュリエット』の関係を論じたものがちょっと読みたいなと思ったり。

寺山が下馬257のマンションで開催してたのかな?、詩の会の招待状がありました。あのイラストは宇野亞喜良さんのようですが。きれいな招待状です。
寺山は劇団活動を始めた際、その資金稼ぎとして詩の会を催していたそうですが。当時としてもけっこう参加費は高額だったそうですが。こんなきれいな招待状が来るのなら…、って思いました。

『不思議図書館』で紹介されてた本が並べられてるのも興味深かったです。ちょっと読んでみたいなぁって(外国語は読めないけど…)

ここから渡り廊下があって、もうひとつの会場に繋がってます。この渡り廊下にも休憩できるように椅子が出ていて、寺山修司の映像作品『檻囚』が上映されてました。ただ、これが、渡り廊下を横切るようにプロジェクターとスクリーンが配置されているので、人が通ると上映がさえぎられます。この「さえぎられた映画」もまた寺山のコンセプトにあったかと。『蝶服記』とか。

この、もうひとつの会場では、寺山の演劇活動・映画活動が紹介されていました。市街劇、「観客」がすべてを見渡せないシステムを工夫された公演。観客が「安全地帯」にいられない作品(これはちょっとシャレにならない話も他所のトークショーで聞いたことが…)。
その、「演劇」というシステムをメタに扱う態度。

海外公演の話。いや、今の若い人には海外旅行なんてちょっとがんばってお金を貯めれば行けるものって感覚でしょうが(私は行ったことないけどさ…)。あのころ海外旅行ってのは夢のまた夢の話。それこそ『兼高かおる世界の旅』なんかで、憧れるけど、行く事は一生ないんだろうなと思いつつ眺めるしかできなかった海外旅行。その時代の海外公演ってのがどんなに凄かったことか。

「寺山修司、最後のフランス公演」というようなタイトルの記事の切抜きを見かけました。寺山修司ご存命のころに出た記事のようです。当時、寺山修司の病が篤いことは多くの人が知っていたのかなと思いましたが。それ以上に、生前にそんな記事を出すなんて酷いなと思いました(私の勘違いだったらごめんなさい)。

市街劇『ノック』の各演目の配置の地図がとても興味深かったです。あれのコピーが手に入るなら、それを片手に阿佐ヶ谷界隈を徘徊してみたいのですが…。

そして、お芝居関係の展示物の解説に数多く「サルバドール・タリ」さんのお名前が出てくるのにため息が出ました。

私は天井棧敷のお芝居は観る機会がなかったので、天井棧敷でのタリさんは知らないのですが。寺山修司の映画、そして、寺山没後に天井棧敷の衣鉢を継いだ、J・A・シーザーさん率いる演劇実験室◎万有引力の公演でタリさんのお姿は拝見した事があります。あの、ひと目でタリさんだとわかる風貌、その存在感、素晴らしかったです。
残念ながらタリさんは、この寺山修司展の始まる前日、9月の28日に亡くなられました。もう舞台でお姿を拝見する事はないというのはとても残念です。

最後の方にも少し、寺山修司の多方面の活動に関する展示が。
競馬のこと、ボクシングのこと、加工された写真、偽絵葉書。

今回の寺山修司展、楽しみました。

ただ、やっぱり、私は、寺山修司の事はよく分かってないなと思います。本を読んだり映像作品を見たりこういう展覧会に行っても、いや、そうすればするほど、寺山修司という存在が茫漠としてよく分からないと感じます。遍在するという意味においては私にとって寺山修司は神のような存在で、神だからよくわからないのかな?

そして、寺山修司の周囲にいらしたたくさんの方々、魅力的な方々が多いと、寺山修司にまつわるものを巡っていて、そう思います。
「職業・寺山修司」と言いますが、『寺山修司』というものは、ただひとり個人のものではなく、たくさんの人々を巻き込んだ『事件』だったのかなという思いが強いです。

私ごときが偉そうですけど。

こういう展覧会とか開かれて。寺山修司に出会う人が増えて、その遺したものをわしわしと取り入れる人が増えて。潜在的な寺山修司ファンが寺山修司と出会い、寺山修司ファンがその理解を深めるような機会、どしどしあればいいと思っています。

この、歴史修正主義が跋扈する昨今。それもまた寺山の「作り変えることのできない過去なんてない」という言葉がワクチンとなって、それにいち早くに気がつくことができました。
「寺山修司的なもの」が閉塞に向かいつつあるこの時代の突破口になってくれるかもしれません。私はそう思っています。

だから私は言い続けます。「寺山修司はヨイぞ」と。

(今回の記述に私の勘違いがありましたらごめんなさい…)

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