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2018/09/12

『ヨコハマ買い出し紀行』

『ヨコハマ買い出し紀行』(芦奈野ひとし:著 講談社:刊 Kindle版 全14巻)読了。
コミックスです。
ここんとこ、まとまったボリュームの小説とかコミックスがとんと読めないメンタルコンディションなんですが、この夏は本書に出会い、面白く拝読できて、久しぶりに長い作品を読了できました。

本書の事はずいぶん前から気になっていたような気がします。もうだいぶ前に書店に平積みになっていたのを見て『ヨコハマ買い出し紀行』って面白い題名だなって思って見てた記憶があります。でもその時は、そのタイトル通り、横浜の(隠れた)名店を紹介するウンチク漫画みたいな物なんだろうなと思っていました。そういうのはあまり食指が動かないし。

ちょっと前にたまたま本書の内容を知る機会があって。自分の好きな世界観だなと思って、試しに買ってみました。それから面白いなって思って、気がついたら全巻買って読んでました。

舞台は関東地方の海沿いのどこか。ちょっとだけ未来のお話。優しく滅びつつある世界のお話。この「優しく滅びつつある世界」ってのが私にはとてもツボなのです。

確たる理由は明らかにされないのですが、衰退に向かっているらしき世界です。地球温暖化のせいかそれとも何か地殻変動のような現象のせいか、海面が上昇し、陸地がどんどん海に飲み込まれていっているようです。人口も減ってるのか、街はどんどん寂れていっているようです。

不思議なハイテクガジェットがいろいろあります。何十年も着陸せずに飛んでいるらしい飛行機、街灯は生きている素材でできてるようで、外部から動力を与えなくても自前で光るみたい。だから、廃墟と化したり水没した街でも街灯だけはともっていて、それもまた美しい景色のようです。
人の形をした植物のような鉱物のような存在。

そして、人間そっくりのロボットもいます。通常のSF用語なら「アンドロイド」と呼ぶべき存在なのでしょうが。本作では、あえてでしょうが、「ロボット」と呼んでいます。

そういうかつてはハイテクが進んだ世界であったようですが、それはどうも衰退しつつあり。作中の人々の生活レベルは昭和30~40年代くらいかな。そんな感じです。
その昭和30~40年代を感じさせる、ちょっと古い感じの軽トラックとかあります。ハイテク時代が衰退しての品物なら、そのハイテクデザインは残ってるとは思うのですが。

今の日本で言う県とかそのレベルの範囲が「国」と呼ばれる行政区分になってます。だとするとそれぞれに国会とか国レベルの行政機関があるのかなぁと思うのですが、それは描かれません。っていうか小国寡民?

主人公は初瀬野アルファ。彼女も「ロボット」です。若い女性の姿をしたロボット。その海沿いの町で喫茶店を切り盛りしてます。喫茶店のオーナーは他にいるようですが、オーナーはずっと旅行中で姿を現しません。

『ヨコハマ買い出し紀行は』はそのアルファと彼女の周囲の人々とのおはなしです。といっても大事件が起きたり、人類の命運がかかったりするような「大きなおはなし」ではなく、人々の日常をベースにした「小さなおはなし」です。
「ヨコハマ買い出し」ってのは、アルファがたまにコーヒー豆とかの買い出しにヨコハマへ行くからそういうタイトルみたい。

その、「優しく滅び行く世界」。人々もそれを受け入れ、その日々を穏やかに生きているようです。ただ、滅び行く世界といっても、子供も生まれています。どんどん人々が死んでいってるのではなく、穏やかに滅びつつあるようです。
アルファも彼女の周囲の人々も基本優しく、人々との交流もとても穏やかなものです。基本、悪意を持っているような人物は登場しません。ほんとうにここはとても優しい世界。

私は好きよココ。
すべてはもう終わったもので
なんにも
わたしを
傷つけないもの
(鈴木志保『ヘブン…』)

ただ、読み進んでいるうちにふと、「こういう優しい人たちの世界だから滅んで行ってるのかもしれないな」と気がついて、そう思った自分に少し驚きました。ただ、それは確かにそうかもしれないなと。

今の人々の社会を支えているものは、その貪欲さではないかと愚察します。貪欲だからこそ、この「社会」はここまで発展できたのではと。
しかし、その貪欲さゆえに、その貪欲さが行き過ぎ、人々は他人を「競争相手」としか見られなくなって、奪い合い、頭を抑え合い、だまくらかしても利益を得ようとする。その貪欲さがエスカレートすれば個人レベルなら窃盗や詐欺といった犯罪(もちろん「ブラック労働」問題もそう)、それが国家間になればもちろんそれは「戦争」であり。また、その貪欲さの結果として地球温暖化が進み、海面上昇し、陸地は海に没しつつある。

最近、よく考えます。

この我々人類の繁栄が「苦痛」でしか得られないものならば、この人類はもう滅んでもいいのではないかと。「苦痛まみれの繁栄」より「ハッピーな滅亡」(もしそういうのがあり得るのなら、ですが)に向かえばいいのではないかと思うのです。
この国の上のほうの人々、政治家や高級官僚や財界トップなんかの人々は労働者にさらに重荷を課そうとしています。そうしなければこの国は「繁栄」できないとうそぶいて。さらに低賃金重労働、ブラック労働を課そうとしています。その上でさらに税金を増やそうとしています。

この世界が「自由競争」であるなら、そうせざるを得ないのもある程度は理解します。「自由競争」はわずかな「イノベーション」できる層を除けば、いかに「低賃金重労働」に耐えられるかの競争になるでしょう。労働もまた「市場経済」のものであるなら。

そうして、その苦痛を耐え忍び競争に勝たないとその繁栄を持続できないなら、「苦痛にまみれた繁栄」しかありえないなら、「ハッピーな滅亡ってどうかしら?」と考えざるをえません。

もちろん私も基本的に人類の滅亡は怖れます。ただ、それは、その「滅亡」の直接の原因となってやってくるであろう、異常気象、飢餓、疫病、戦争といったもののもたらす「苦痛」を怖れる部分が大きいです。
もし「滅亡」がその「苦痛」を伴わないものであったら?そして「繁栄」のためには必ず「苦痛」が伴うものでしかないのなら。「ハッピーな滅亡」のルートがありえるなら。
だったら「苦痛まみれの繁栄」より「ハッピーな滅亡」を選ぶのもアリじゃね?って思います。

いや、私がここでぐたぐたと私論を述べる前に、この国の少子化の動きこそ、国民がその意識の底で「ハッピーな滅亡」を選んだ結果であると思うのですが。どうかしら?

『ヨコハマ買い出し紀行』はその「ハッピーな滅亡」のシミュレートとして楽しめました。あと、同様の作品としては例えば『人類は衰退しました』(私はアニメ版しか知らないのですが)、アニメ『フラクタル』のフラクタル・システムに支配された社会(作品そのものはハッピーな滅亡を描くものではないですが)にそれを感じます。もちろん例えば『人類は衰退しました』の妖精さんたちの存在するような世界はリアリティ0ですが。

もちろん『ヨコハマ買い出し紀行』の世界観にどれだけリアリティがあるかはわかりません。無いと言った方がいいかもしれません。そして今はハッピーな滅亡の日々を穏やかに過ごしているかもしれませんが、衰退がさらに進み、必要な物資の入手も難しくなるような時代が来れば、それは苦痛を伴うものになるのかもしれませんが。

まぁ、その衰退の先に、考えを変えた人類はその勢いを取り戻すのかもしれませんが。その貪欲さとそれに裏打ちされたダイナミズムを取り戻して。

そう。『ヨコハマ買い出し紀行』の世界では「戦争」はもう無くなってるのかもと思っています。その貪欲さをなくした事と引き換えに。昔のミサイルを「花火」として打ち上げるイベントがあるようですから、もうそういう兵器は要らなくなってる世界なのかも。しかし、人類がその貪欲さを取り戻せば、また戦争もするようになるかもしれません。

まぁ、アルファと彼女の親友のひとりは護身用の拳銃を持っているのですが。致死性の弾丸は装填されてないようですが。そういう部分もありますけれど。

作中、アルファからある人が「なぜもっと商売熱心にやろうとしないのか」と難じられるエピソードがあります。それが作中いちばん心に残ったエピソードかな。そのくだりだけは気持ちがざわっとしましたから。たぶんそれは「貪欲を取り戻せ」という事なのかなと。

ほんと、『ヨコハマ買い出し紀行』は今の私の好みにいちばん合う、穏やかに滅び行く世界の穏やかな日々のお話でした。
ほんとに長い小説とかコミックとか読めなくなってる近年の私ですが、読了できたのはそのせいだと思います。

楽しみました。読み終えてちょっとさみしいです。

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