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2018/09/18

池内恵『シーア派とスンニ派』

『シーア派とスンニ派 【中東大混迷を解く】』(池内恵:著 新潮選書)
「『シーア派』と『スンニ派』」をはじめとする近年の中東情勢の流れの概観を紹介した本です。ちょっと前に読了。

中東情勢。産油地帯であり、日本はもちろん世界の生命線を握っている場所ではありますが。でも、そういう場所なのに、いや、そういう場所であるからか、しょっちゅうドンパチしているという印象もあります。

私の近現代の中東史の理解は…。まずイスラエルの建国があって、それに対立する中東諸国、そしてパレスチナ問題、PLOとかPFLP。そして日本赤軍。それからイランでイスラム革命があって、イスラム教をバックボーンとする反米国家が生まれて。それからイランとイラクの戦争とか湾岸戦争とかイラク戦争とか。民主化の流れがあって、でも、イスラム原理主義が勃興し、イスラム国とか言うのが人々を虐殺し、異教徒の遺跡を破壊して回っていて。それから『シーア派』とかいうのと『スンニ派』とかいうのがなんか宗教戦争みたいなのをやってて。なんかそういう断片的なイメージはあるのですが、それのつながりとかなんかはあまりよく解りません。

もちろん日本や世界の生命線な場所ですから、訳知り顔にそれを解説したい人もいるようで。つまり、「単純化して理解したつもりになる」って事かな?そういう動きもまぁあるっぽいですな。
そういう「単純化して理解」って手法の一つが本書にもある「マジックワード」化って奴なんだろうけど。そのその解りやすい「マジックワード」として立ち現れてるのが『シーア派』と『スンニ派』というキーワードで。「中東問題とはつまりシーア派とスンニ派の宗教戦争なんだよ」って言い方が近年はよくあるそうで。

そういうわけでたまには中東情勢の解説本でも読んでみようかと思って手を出してみました。
著者の池内恵氏は『イスラーム国の衝撃』(文春新書)を読んでます。それが面白かったので本書も手を出してみました。

本書の目次は

はじめに

第一章 中東問題は宗派対立なのか
1.決まりきった問いかけ
2.中東現代政治の「宗派対立」
3.レバノン-宗派対立の「元祖」
4.「アラブの春」と宗派対立
5.宗派の相違は「原因」か「結果」か
6.「宗派対立」概念への批判
7.宗派対立の虚実

第二章 シーア派とは何か
1.「宗派」と「宗教」
2.シーア派は「少数派」なのか?
3.シーア派は「異端」なのか?
4.シーア派の誕生
5.ムハンマド死後の政治権力-正当性と実効性
6.実効支配か血統か
7.アリーの血統への「あるべきだった権力継承」
8.歴史の肯定と否定・優越感と劣等感

第三章 それはイラン革命から始まった
1.イラン革命の衝撃
2.イラン革命の四つの要素
3.イスラーム革命の思想
4.革命の輸出と反発
5.一九七九年という年
6.「一九七九年以前のサウジ」?

第四章 イラク戦争が解き放った宗派対立
1.イラク戦争
2.「任務完了」果たせず
3.「同盟者としてのシーア派」
4.イラク新体制の設立と宗派問題の浮上
5.米国のイラク三分割論
6.「シーア派の弧」への警戒

第五章 レバノン-宗派主義体制のモデル
1.レバノンという国
2.ブッシュ再選に沸いた民主化勢力
3.聖ヴァレンタイン・デーの爆殺と「レバノン杉革命」
4.レバノン政治の複雑怪奇
5.二〇〇六年夏-レバノン戦争という転換点

第六章 「アラブの春」と「まだら状の秩序」
1.「アラブの春」がもたらしたもの
2.「まだら状の秩序」の時代
3.非国家主体の台頭
4.地域大国の台頭と「拒否権パワー」

あとがき

となっています。

第一章 中東問題は宗派対立なのか。
池内氏は公演や出張講座で「シーア派とスンニ派の宗教対立について話してください」とよく言われるそうです。しかし、池内氏は、そういう問題ではないと、現代の中東の混迷をもたらした経緯について語ろうとすると。しかし、「シーア派とスンニ派」について語られない事に講演や講座を依頼した側は不満に思うと。「中東問題の本質はシーア派とスンニ派の対立である」という彼らの中東観を裏付けるものでないと不満に感じると。

シーアはスンニ派以前に勢力争いをしている集団があって、その勢力を伸ばす手段としてシーア派やスンニ派の伝手を辿っていったという見方のほうがよいみたいです。
それは理解できます。勢力を伸ばそうとする集団が宗教団体を利用しようとするのはよく解ります。宗教団体は人と人の結びつきが強いし、リーダー格の人を篭絡すればその集団みなが味方になりますし。

第二章 シーア派とは何か。
実は私も知りませんでした、『シーア派』と『スンニ派』の違いって。
イスラム教の開祖、ムハンマドの没後のイスラム教指導者の系譜で、「その系譜は間違っている、本来あるべき系譜はこうだった」と主張しているのが『シーア派』だそうです。そして、その史実のイスラム教指導者の系譜に疑義は挟まないのその他の人々が『スンニ派』と呼ばれるそうです。

なので、『シーア派』は少数派だそうで。トータルのイスラム教徒の数に対しては15%くらいだそうです。ただその15%はイスラム世界に均等には存在していないそうで。多数派を占める国もあるようです。また、イラクのようにシーア派が多数を占めているのに、かつての支配層はスンニ派というややこしい国もあって、それが「民主化」に伴って後々の火種となったそうです。

第三章 それはイラン革命から始まった
イラン革命は色々驚きのエポックでした。なにしろイスラム教の革命ですから。それまで『革命』とは、現代化の流れのために起きるものと思っていましたが。王制の打倒とか。ある意味、歴史を逆行する革命。

そして反米路線。ただ、この反米路線は最初から方向づけられたものでもないそうです。テヘランの米国大使館占拠事件。この盛り上がりに乗っかるようにして反米へ大きく舵を切ったそうです。

このイラン革命もシーア派のものだったようです。少数派のシーア派ゆえの革命志向だったのかな。
そして「イスラム革命」をかつての共産主義革命のように『輸出』しようとする動き、それに対抗する動き。

第四章 イラク戦争が解き放った宗教対立
イラクはシーア派が多数、ただ、権力層はスンニ派というややこしい国。これがイラク戦争で米軍をはじめとする国々に倒されて。そして「民主化」を進めようとしたと。

しかし、旧権力層のスンニ派は「選挙」で勝てるわけもなく。それによる混乱。

「普通選挙制度」は「民主主義」のキモでありますが。ただ、バカの一つ覚えみたいに「選挙」して「民主化」されて「平和」がやってくるのではないと。それは多数派と少数派の融和の態度こそがむしろ選挙より大切なんだろうと思いますし、そのリテラシーができなければ、「普通選挙」による「民主化」は頓挫し、場合によってはさらに混迷が深まるんだなと思ってます。(これはだいぶ私見ですが)

第五章 レバノン-宗派主義体制のモデル
レバノンはかつては
「宗派の分裂を前提とし、むしろ宗派単位で権限や利益の配分を行うことで共存を図る、特異な政治体制を築いてきた」(本書109p)だそうです。

しかしもうここら辺の状況の混沌っぷりは私の理解の範囲を超えてるなぁと思います。

第六章 「アラブの春」と「まだら状の秩序」
「アラブの春」のもたらしたもの。それは単純な「民主主義」の流れには決してならず、イスラム国の勃興も招いてしまったのですが。

想像としては予想されるふたつの流れ。ひとつは民主化が進むだろうという流れ、もうひとつは対立が深まり、混沌が増すであろうという流れ。
しかしいまだにどちらかひとつの流れにはなることもなく、「まだら状の秩序」であると。

さて、本書を通読して。ほんと、どれだけ理解できたかはわからないけど。

「マジックワード」を超えて、中東情勢が解ったとは思いません。ただ、その、「マジックワード」に頼った情勢理解は危険なのかなとは解りました。
残念だけど、中東情勢に限らず、「マジックワード」で「わかったつもり」になってる物事は世間にも自分にもたくさんあると思います。

今までの飲み屋でのバカ話レベルならそれでもよかったのかもしれません。なんかちょっと賢くなった気がして愉しかったのかもしれません。
ただ、現代のSNSの発達により、専門家でない個人がそういったカンチガイを強固に主張できる時代になってしまいました。歴史修正主義とか。
そういう時代になってしまった以上、我々はそういう単純化しての物事の理解に対して、ある程度の警戒心をもって接した方がいいように感じます。酒場のバカ話程度ならまぁいいかもしれないけど…。

そしてやっぱり中東情勢の適切な理解は専門家の意見を最大限に尊重した方がいいかもしれないと思います。いや、中東情勢に限らず。この国のかつての歴史に関しても。

ま、私がこの国の中東政策に関われる部分はほとんどないとは思いますが。まず当事者以外で関われるのは、米中露クラスの大国ぐらいでしょう。そしてこの国・日本はせいぜいが米国の腰ぎんちゃくとしての立場しかありません。かつてはPLOのアラファト議長を呼んだりしましたけど。

もし日本が中東の混迷に助太刀できるとすれば、その最大の功績になるかもしれないことは、こういう戦乱を逃れてきた中東諸国の難民たちの受け入れぐらいしかないような気もします。そしてこの国はそんなのはとても嫌がるでしょう。「奴隷」としてならほしがる企業はいくつかあるでしょうが。

ま、そんなことをつらつら考えながら本書を読みました。本書を読んで「中東情勢が解った」のではなくて、「解らない事が判った」レベルの理解しかできなかったのでですが。「解らないこと」に対するスタンスはどうあるべきか、なんて考えました。

いや、私は本書をあまり理解してないと思うので、こういうぐだぐだした感想を読むより、直接本書をお読みになることをおススメします。

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