« 清水真理個展「クンストカメラ」 | トップページ | 『歴史修正主義とサブカルチャー』 »

2018/05/07

2018年の寺山忌

180506

5月4日は寺山修司の御命日なのですが。今年も高尾霊園の寺山修司のお墓にお参りしてきました。

JR線で高尾。そしていつものように高尾駅から出ている高尾霊園の無料送迎バスで高尾霊園へ。驚くほど緑が濃い景色。街なか暮らしにとってはありがたいもの。
あ、そうそう。お線香に火をつけるのにターボライターが欲しかったのですが、持っていたはずなのですが、タバコを吸わなくなって4年半以上。さすがに行方不明状態。
お線香に火をつけるのに手こずりました。次は持ってこなくては。

この1年も、寺山修司をめぐるご縁。とても面白くて。感謝の気持ちでお参りしました。
ほんと、ご縁であると思います。ありがたいです。

4年前に亡くなられた九條今日子さんのお墓にもお参り。もう4年。寺山忌での九條さんのお姿も憶えております。その姿、忘れたくはありません。できれば忘れずにいたいです。

3日午前は雨模様だったので、今年の4日はどうかなぁと思ったのですが。今年もほんといいお天気。毎年上着を着ようかどうしようか迷って、結局上着を着てくるんだけど、お参りの時間帯はそれを後悔するような陽気になるのが例年なんですが。今年は上着はよしといたので良かったです。

それからいつものように霊園入り口の休憩所で昼ビール。
関係者の方のとても面白いお話を伺ったり。
でも、ほんとに、とても貴重なお話がまたいつものように私の右の耳から左の耳に流れていって。どれだけ自分の中に残せたのかしら…。

貴重な思い出たち。それもやがて消えていくのかしら。雨の中の涙のように。
それが思い出というものかもしれないのだけど。でも、とても、惜しいとも思うのですが。

寺山修司晩年の「父親になりたかった寺山修司」の事もまた考えさせるお話も伺って。子供のいなかった寺山修司。でも、寺山修司の子供たちはたくさんいると思います。ちょう僭越ながら私もそうかもしれないし。いや、あの若い衆は孫といってもいいかもと思いますよ。

昔、イメージフォーラムフェスティバルで見た、萩原朔美さんとかわなかのぶひろ先生の作品「映像書簡」(何作目かは失念したのですが)で偏陸さんが「寺山修司の子供たちを探したい」というような事をおっしゃっていましたが。たぶん、これがそうなんだって、思っています。

よもやま話伺っていて、気がつくと夕方。日が傾くとさすがにシャツ一枚では肌寒く感じたり。霊園から出るバスに乗り込んで。

今年もとても良い寺山修司忌の一日でした。

ほんとに皆さん、お元気でいらしていただきたいです。それは私が心の底から神様にお願いしたいこと。ほんとうに。

最後に、ですが。

この「ポスト真実」の時代。寺山のうそぶいていた「作り変えることのできない過去なんてない」って思想が、むしろ権力の側によって、なんかとても醜悪な形であちこち具現化されつつあるこの時代。人が「虚構」に生きていることがますます身も蓋もない形であらわになっていってる時代。

寺山修司を読んできたから、そのことにいち早く気づけたと思いますし、そしてそれに巻き込まれずに済んだと思ってます。

これからも寺山修司の遺したものでそれと向き合っていければと思います。

|

« 清水真理個展「クンストカメラ」 | トップページ | 『歴史修正主義とサブカルチャー』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 清水真理個展「クンストカメラ」 | トップページ | 『歴史修正主義とサブカルチャー』 »