イメージフォーラム映像研究所2017年卒業制作展
イメージフォーラム映像研究所第41期(2017年度)卒業制作展を観に行ってきました。
今年のプログラムはAとBの2プログラム。ただ、BプログラムはOBさんたちの卒展制作と近作の上映で、卒展はAプログラムの3作品でした。
まず、Bプログラムから。
BプログラムはYUKA SATOさんの『in the room』(2014)と『Camouflage』(2017)、三ツ星レストランの残飯さんの『妙な肉』(2013)と『外テ物』(2016)、三木はるかさんの『もうアイドルなんかならない』(2012)と『三木はるかるた2017』(2018)の2作品づつでした。いずれも前者の方が卒業制作展での発表作になります。
ちなみに改めてこのブログを検索してみると、これらの卒展での作品、ぜんぶその卒展の時に拝見しているわたくし。講師さんとか以外では珍しいのではと。
YUKA SATOさんの作品はさまざまな映像を詩的に構成した作品。ある意味もっとも実験映画的な手法でしょうか。
映像で描かれる「詩」。うまく説明できないけど、例えば「言葉」なら、ふだんはそれを何か具体的なことを伝えるためのツールとして使うわけですが。「この道をまっすぐ歩くと八百屋さんがあります」とか「今日は帰りが遅いので冷蔵庫のご飯をレンジでチンして食べてね」とか。
その「言葉」は詩になるとその機能が変質し、言葉のまた別の貌が現れますが。うん、うまく説明できないけど。そんな感じがあると思うのですが。そういう事を言葉ではなく「映像」で行うというのがこの作品の手法で、「実験映画」のあり方のひとつのスタイルだと思うのですが。
もちろんこのふたつの言葉の貌はまったく分離できるものではなく、「この道をまっすぐ歩くと八百屋さんがあります」も詩の部分もあるように、その配合比だと思うのですが。いや、うまく説明できないや。
三ツ星レストランの残飯さんは、ごめんなさい、失礼ながら、卒業制作一度限りのペンネームかと思ったら、のちのちも同名義で同じような作品を作っていらっしゃるようで、驚きました。
グロテスクなコラージュのクリチャーを使ったアニメーション。まさに三ツ星レストランの残飯のような物体のコラージュ。
三木はるかさんは自虐エッセイとでもいった作風の方です。『もうアイドルになんかならない』は2年目、映像研究所の専科の方の卒業制作になるかと。
彼氏と一緒にNHKからのファッション番組(?)の出演依頼がきた三木はるかさん、その顛末を自分がアイドルになったら~というイメージ映像を挟みつつこしらえた作品です。もちろん自虐もたっぷりで。
『三木はるかるた2017』は自分の自虐ネタをカルタにこしらえ、それを使って勤務先の受験予備校の同僚にカルタ取りをしてもらうという、よくこんなもの思いつくなぁという高度な自虐ぷれいを描いた作品です。
ふと気づいたのですが。
この、自撮りで画面に語りかけるスタイル、昔なら実験映画とか個人映画でなきゃ見かけないスタイルでしたが。今ならユーチューバーとかいう奴でありふれたスタイルになりましたな。ユーチューバーとか大嫌いなのでほとんど見ませんし、ユーチューブで検索してそういうタイプの映像を見かけるとよほど参考になるもの以外は即ブラウザを閉じるのですが。そういう時代の流れって面白いです
『もうアイドルになんかならない』では、撮影中に三木さんがケーブルテレビの番組で映画紹介を担当されていた時のファンに出会い、思わず次の番組の撮影中ですと嘘をつくシーンがあるのですが。それはほんとか演出かはわからないけど。でも今ならユーチューブでそういう番組もやれますな。そういうのもいいかもと。卒展での本作の公開時にはそんな考えは浮かばなかったけど。時は流れる時代は動く、ですな。
しかしこれだけ自虐ネタをかましてくる三木はるかさん、たぶんとてもプライドの高い方なんだろうなと思います。
お次はAプログラム。
『Spiral』(丸本聡/5分)。螺旋階段とその向こうの青空の映像をモチーフにした抽象的な作品です。BプログラムのYUKA SATOさんと方向性は似ています。上映後のお話によると丸本さんは音楽をやっていらっしゃるそうで、劇伴のピアノが印象的でした。
この風景、実景でどこかにあるのかしら。それとも合成とかCGIなのかな。ちょっと見に行ってみたいなと思いました。
『シーラの革命』(M.Tosa/45分)。ドキュメンタリーです。上映後のお話によると文化人類学をなさっていて、それを映像化したいためにイメージフォーラムに学んだというお話しでした。
ドキュメンタリー系の作品もいくつか卒展で拝見して、記憶に残っているものもあります。日本の「無国籍」の人たちを描いた作品とか、ネパール情勢を描いた作品とか。「無国籍」という「国籍」が存在することに驚いたり、山々に囲まれた牧歌的な国かと思っていたネパールが王室での殺し合いとか、マオニストのゲリラが暗躍してるとか、血腥い情勢に置かれている事を知って驚きました。
本作『シーラの革命』のモチーフは香港で働くフィリピン出身の家政婦さんたちのお話でした。
国内産業は振興せず、人間をまるで「商品」のように輸出して外貨を稼ぐフィリピン。苛烈な競争ゆえに家政婦を雇わないとやっていけない香港。しかし、家政婦さんたちの待遇は悪く、奴隷のような扱いで。雇い主より早く起き、遅く寝なきゃいけない生活。この早朝から真夜中まで働きづめの姿に母親を思い出しましたが…。
登場する家政婦さんのひとりが遠距離恋愛でフィリピンに住む男性と結婚します。その結婚式の様子と友人へのインタビュー。男性はフィリピンの社会改革の「活動家」さんで、そのようなおはなしがあります。その、フィリピンは国内産業が貧しく、国民を「商品」として海外に「輸出」して外貨を稼ぐ状況とか。
また、香港での家政婦さんの待遇改善を目指すデモ。この様子を見れば日本のウヨクな人たちは「嫌なら来なければいい」とか「移民なんて受け入れるとこんな事になるぞ」とか言うのでしょうが。でもそれは働きに出なければいけない事情も含めて、一国での枠組みではもう語れない事なのでしょう。
奴隷のような労働をさせられてる香港で働くフィリピン出身の家政婦さんたち。香港の人たちは酷いと思いますけど、でも、そういう「奴隷」がいないと人々がやっていけないう香港の社会そのものもどこか酷くて病んでいて惨めな気もします。
しかしなんでこういう状況に人類は立ち至ってしまうのかなとつくづく思います。なんかどこかスキーマを勘違いしていて、それがころっと変わるところっと世の仲良くなるんじゃないかとも思ったりもしますが。
ちなみに英国のヴィクトリア朝の時代、メイドさんの時代、メイドさんは決してちょう富裕層のものだけではなく、中産階級の世帯でもメイドさんがいたそうです。香港の家政婦事情はそういう英国の影響なのかもしれないなと。
アニメ『ボルテスV(ファイブ)』を巡るエピソードも語られていました。フィリピンで大人気だった『ボルテスV』しかし、終盤、その作品に民衆の蜂起が描かれていて、マルコス政権下のフィリピンで放送が突然打ち切られたというエピソード。アニオタ的な知識として知っていましたが、フィリピンの方が直接に語るのを拝見するのは初めてです。
『84年、お父(とう)と沖縄万華鏡』(杉本美泉/40分)。こちらもドキュメンタリー。「セルフ・ドキュメンタリー」になるのかなと。「個人映画」としての「ドキュメンタリー」。
このセルフ・ドキュメンタリーの面白い作品もいくつも卒展で拝見しています。『男のサービスエリア』『私が選んだ父』『中村三郎上等兵』『しんやのばぁばん』『映画はエンジン』等々。
本作は沖縄音楽研究に生涯を捧げた作者さんの父親をモチーフにしたセルフ・ドキュメンタリーです。どうもWikipediaに項目があるくらいの方だそうです。
父親の足跡をたどる旅、教え子さんたちへのインタビュー。「セルフ・ドキュメンタリー」としてオーソドックスな手法ですが、そこから立ち上がる父親の姿。やはりそれは「家族」としての重みがあるかと。
例えば私が自分の家族の誰かをモチーフにセルフ・ドキュメンタリーを撮れといわれても、それは無理だろうな、逃げてきたもんナ、逃げたまま、終わりそうだもんナ……
本作は尺が長くなって今回は「前編」としての卒展での上映になったそうです。後編は父親が沖縄に引っ越してからのお話になるみたい。沖縄音楽の発掘に尽力された方のようで、Wikipediaに項目があるくらいですから、ドキュメンタリーが作られてもおかしくないぐらいの方だと思いますが。それを娘さんがこしらえるというのも面白いと思います。
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という方向で、本年もイメージフォーラム映像研究所の卒展、愉しみました。もう純粋な卒展としては3作品になってしまったのがちょっとさみしいですけど。昔は全作品見ようと思うと根性が要って、
去年はドキュメンタリー系の作品がありませんでしたが、今年は3本中2本がドキュメンタリーだったのも面白いです。
来年の卒展も拝見できたらいいなと。
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