『帰巣譚』
土曜日は久しぶりに渋谷のイメージフォーラム3階へ。
『帰巣譚 <映像作家福間良夫没後10年追悼映像個展>渋谷上映』という上映会へ。
映像作家のかわなかのぶひろ先生の上映があるということと、福間良夫さんが私の故郷の方の方ということで、ちょっと興味を持って行ってみました。
プログラムはAとBのふたつ。Aプログラムは福間良夫さんの作品ではなく、インスパイアされたほかの方の作品でした。福間さんのパートナーでいらした宮田靖子さんの作品もありました。そして、かわなか先生の作品『人である。~福岡フィルムメーカーズフィールド~』でした。
8ミリ作品の上映中、軽い違和感を感じました。なんだろと思ったのですが。かわなか先生の作品での上映会の様子を見て、はたと膝を叩きました。映写機の音がぜんぜんしなかったんですな。かわなか先生の上映会とかでも、いつも映写機のカタカタいう音がしてましたから。だからそれが聞こえない上映会でなんか不思議な心地がしたと。
私は2009年のかわなか先生の映像作品上映会『映像の地下水脈#19』でそれを拝見していたのですが。その上映が終わったと思ったら、同じタイトルで続いていて。追加パートがあるつくりでした。福間良夫さんの回顧展は去年京都から始まったらしく、それにもこの追加部分があったそうです。なので、2017とクレジットされていますが、今回再公開にあたって再編集されたらしく、編集が終わったのが当日だったとか。
追加部分はさまざまな方々の追悼が主題でした。亡くなっていった方たちの思い出。「あ、あの方、亡くなっていたのか。またお会いしたかったな…」という方もいらして。
私はかわなか先生よりだいぶ下ではあるのですが、それでもまた、自分が尊敬していた方、好きだった方の訃報がぽつりぽつりとあり。それに辛い思いもしたりします。もっとたくさん生きていらっしゃるかわなか先生は、その何倍もそれがあるのかなぁと。
かわなか先生は「散る花を惜しむだけではなく、昇る月を待て」と仰いますが。確かに新しい出会いもあるのでしょうが、でもやっぱりツラいなとも…。
Bプログラムが福間良夫さんの映像作品集。そしてそのあとにトークショーもありました。
こういう見方は邪道かもしれませんが、福岡、そして博多にも一時期いた者として、故郷の空気というのを感じました。いや、それに飢えている事に気がつきました。もう何年も帰省していないのですが。
あの神社はどこなんだろう、とか。博多時代、神社にお参りとかほとんどしなかったし、お祭り見物もしませんでしたし。まぁほんと、ぐだぐだの博多時代だったのですが。
『帰巣譚』。スクリーンに浮かぶ車窓から見える町明かり、どこらへんなんだろうと思ったり。あの家々の明かりのひとつが、自分の暮らしを照らしているものであったらどんなだっただろと思ったり。
櫻井篤史さんとの映像書簡シリーズ。櫻井さんの、音楽もあるでしょうが、きらきらした映像のコラージュ、素敵でした。
かわなか先生の『人である』にあった西新の風景。あのころ、確か、西新近辺と天神と博多駅に名画座があって。タウン誌の名画座の上映案内をチェックしてちょくちょく行ってました。ひょっとしたらその名画座の上映案内と並んで、フィルムメーカーズフィールドさんの上映案内も載っていたのかしらと思ったり。そのころはぜんぜんそういう世界のこと、知らなかったけど。
トークショーでもあったのですが、地方でシネマティークとして長い間活動を続けてきたのは福岡のFMFさんくらいだそうです。
海外を含む実験映画の上映会を行いつつ、当地の映像作家さんたちが集い、その作品発表の場として「パーソナルフォーカス」も主宰されていたフィルムメーカーズフィールドさん。その活動。あのころの、実験映画なんて知らない私の、すぐそばで行われていたいのだなと。
そして色々あって、逃げるように上京して、そしてかわなか先生から実験映画の世界を知り、そしてまた故郷のほうで行われていた実験映画運動について知る、と。面白いものです。
しかし、あの映像って、どうやって撮ったのかしら。そして、ほんと、8ミリの映像って不思議です。たぶん、記憶や夢の手触りにいちばん近い記録メディアじゃないかしら。
上映終了後、トークショーもありました。イメージフォーラムの歴史、FMFの歴史。日本における実験映画史の大きなパートだと思います。その貴重なおはなしとかも。
まぁ、ほんと、博多…
私のかえる場所はそこではないにしろ。(いや、あるのかしら?そんな場所)
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