堀井憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス』
『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』(堀井憲一郎:著 講談社現代新書 Kindle版)読了。戦国時代のキリスト教伝来から今日までの日本でのクリスマスの扱われ方を「あるユニークな視点」から資料を駆使して概観した本です。
堀井憲一郎さんの著作は何冊か読んでいます。そして『若者殺しの時代』がとても印象深かったです。本田透さんのいう「恋愛セックス資本主義」の勃興、80年代あたりからの『恋愛』をコアにした消費市場が立ち上がり、若者を取り込んでいった歴史を解き明かした書物でした。
その『若者殺しの時代』にクリスマスの話もあって、どうやってクリスマスが恋人同士のカネを使わせるイベントとして成立させられていったかという話も載っていて。とても面白かったです。
だから堀井憲一郎さんが日本におけるクリスマスの歴史をお書きになった本書もとても面白いだろうなと思って、買ってみました。
本書の章立ては以下のようになってます。
序 火あぶりにされたサンタクロース
1章 なぜ12月25日になったのか
2章 戦国日本のまじめなクリスマス
3章 隠れた人と流された人の江戸クリスマス
4章 明治新政府はキリスト教を許さない
5章 “他者の物珍しい祭り”だった明治前期
6章 クリスマス馬鹿騒ぎは1906年から始まった
7章 どんどん華やかになっていく大正年間
8章 クリスマスイブを踊り抜く昭和初期
9章 戦時下の日本人はクリスマスをどう過ごしたか
10章 敗戦国日本は狂瀾する
11章 戦前の騒ぎを語らぬふしぎ
12章 高度成長期の男たちは、家に帰っていった
13章 1970年代、鎮まる男、跳ねる女
14章 恋する男は「ロマンチック」を強いられる
15章 ロマンチック戦線から離脱する若者たち
終章 日本とキリスト教はそれぞれを侵さない
あとがき
参考文献
となっています。
最初に書きますが、『愛と狂瀾のメリークリスマス』のユニークな視点ってのは、
「クリスマスを盛大に祝うことは、キリスト教から逸脱していくことになる。だから、積極的に祝いだした。キリスト教と敵対せず、しかしキリスト教に従属しない方策として、クリスマスだけ派手に祝うことにしたのだ。」(「序」より)
という事です。なぜそうしたかといえば。
「キリスト教を背景にした西洋文明は、自分たちと同じルールで動く社会しか認めようとしない。そして自分たちが善であることは疑うことのない前提となっている。あきらかに狂信的な暴力集団であり、立ち向かうと善意によって滅ぼされる。
キリスト教は、信じないものにとっては、ずっと暴力であった。」(「序」より)
だからです。日本古来の、それでずっとやっていたものを、それを壊そうとする「キリスト教」から守ろうとしたと。
この、「キリスト教は邪教」という歴史観を堂々と述べた書籍も近年は出ているようですが。
この視点からキリスト教伝来以来の日本における「クリスマスの歴史」が語られていきます。
戦国時代にやってきたキリスト教。そのころのクリスマスは、信徒でない者も参加してるとしても、キリスト教がその中心にありました。布教のきっかけでもあったのかも。娯楽の少ない当時、キリスト教の劇なども行われ、それがまた人を集めたそうですが。
そして鎖国時代、キリスト教が禁教となり。そのころもクリスマスはキリスト教徒のもので。
そして開国。いちおう表向きはキリスト教の禁教は解けたにせよ、それは積極的な受容ではなかったと。
またいっぽう日本の近代化が急務となり、キリスト教の欧米の文化は取り入れつつ、キリスト教化は避けたいという、矛盾した課題が発生して。
「しかし西洋の国になるわけではない。外側は真似るが、芯の部分では日本なるものを守り続ける。(中略)
原日本(日本が古来持っていたもの)の懸命の模索と(模索して見つからない場合は次々と造りだした)、異質な西洋文化の受け入れを、同時に行った。かなりキツイ状況である。振れ幅が尋常ではない。ひとつの人格が無理してこういう状態にあると、だいたい精神に破綻をきたす。」(第5章より)
日本の対米外交史を見ると、米国べったり期と米国憎し期が交互に現れて、その中庸がない、統合失調的情況を呈している、という指摘はよくなされると思います。
たとえば私の好きな岸田秀は、それを日本が米国にレイプされるように開国させられたから、とその原因を考えます。愛をもって抱かれたと考える米国べったり期と、米国にレイプされたという憎しみがつのる米国憎し期とが交互に現れ、その統合を失調していると。
またこれもファンな(現在では是々非々と思ってますが)内田樹は
「日本のナショナル・アイディンティティはこの百五十年間、「アメリカにとって自分は何者であるのか?」という問いをめぐって構築されてきた。その問いにほとんど「取り憑かれて」きたと言ってよい。」(内田樹『街場のアメリカ論』より)
事がその原因だと指摘していますが。
本書における堀井憲一郎の指摘もまた目からウロコで面白く感じます。歴史を「読み解く」面白さを感じます。
クリスマスに騒ぐクリスチャンではない日本人。私はそれを漠然と戦後のものかなぁと考えていたのですが、だから、明治時代からあったそうです。
「日本のクリスマスのひとつの区切りは1906年にある。
ここが、キリスト教と関係のない日本的なクリスマスが本格的に始まった年である。
1906年以降、クリスマスは“羽目をはずしていい日”として日本に定着していく。」(第6章)
日清日露戦争に勝利し、日本が列強の一翼と伸していった時代。
萩原朔太郎による面白い指摘も紹介されています。
「下町の町家や職人等には、神田祭や山王祭があるけれども、学生やサラリーマン等の知識階級が、一所に山車をひいて引いて騒ぐわけには行かない」(第6章)
神田祭や山王祭は「江戸っ子」のための物だったのでしょう、しかし新たに生まれた階層、学生やサラリーマン等の都市生活者たちの祭りはなかった。全国民共通の祭日はなかった。それをクリスマスが担うようになったと。そう、確かにそうですね。
しかし日中戦争が勃発。暗い時代に向かっていき、クリスマスも下火になると。
警察も目の仇にしだすと。民間によるアメリカかぶれ狩りも始まったと。
そして敗戦。人々はまたクリスマスに浮かれはじめ。いや、ほんの数年前まで命のやり取りをしていた人々は、大暴れをして。1948年から1957年は“破壊的狂瀾クリスマス”の時代であったと。
戦前も戦後も大騒ぎのクリスマス。そういう意味では地続き。しかし、人々の認識では、なぜかその「戦前」と「戦後」のクリスマスは断裂している感があると。
そして、高度成長期を迎えてクリスマスは、家庭に帰っていったようです。
ここらへん、高度成長期のクリスマスって、サラリーマンのお父さんたちがキャバレーに押しかけて三角帽子をかぶって大騒ぎっていうものだと思っていましたが。それはつまり表に見えて記事にしやすい部分だからそう記録されていたのであって、むしろクリスマスは家庭の物になっていったそうです。
そして70年代。クリスマスが若者たちのための、恋人たちのための、女の子のための、クリスマスになっていくと。
「最初はロマンだった。女性にとってのロマンが少なかった時代にクリスマスをロマンチックな日にしたいと希求した。願いはかなえられたが、スーツを着たおとなたちがやってきて若者向けのイベントとしてシステム化し、収奪機構として整備し、強迫観念として情報を流し続けた。」(堀井憲一郎『若者殺しの時代』「1983年のクリスマス」より)
と。
そして現代。2009年を境に「クリスマスは恋人と過ごそう」という煽り記事は消えたそうです。また、2010年代はハロウィンを盛り上げようという動きもあり。
恋人と過ごすクリスマスという煽りはまだやってるんじゃないかと私は思っていましたけど。
そして終章では、その日本におけるクリスマスの歴史を振り返り、
「クリスマスの大騒ぎは、キリスト教の教えを受け入れないという宣言でもある。」(終章)
と、説いています。
さて、本書はとても面白く読めました。自分がクリスマスに感じている、なんていうかな、どこか「居心地の悪さ」の原因がある程度はわかったような気がします。
まぁだいたいぼっちで生きてきて、クリスマスパーティーなんかの思いでもほとんどないのですが。それでも人恋しくなって、イブの夜に行きつけの酒場に出かけていったりした事もあるけれど、それでさらに自己嫌悪を募らせたり。まぁほんと、ぼっちには居心地の悪い時候ではあります。
そして、日本古来の、よいかは悪いかはわからないけど、それでやってきて、それなりに安定していた日本の社会・宗教のシステムをキリスト教から守ろうということ。それはいいか悪いかは分かりません。先日の相撲界、日本的な社会・宗教システムを煮詰めたような相撲界のあのシステム由来の不祥事。それを筆頭とする各種「日本式」のシステムの劣化と崩壊を目にしてると、それは守るべきものかな?と思ってしまうのも事実であります。
日本的なよいところと、キリスト教世界のよいところを組み合わせて、もっとよい日本を目指せればいいかもしれません。でもだいたい、えてして、いや、ほとんどの場合は、日本的なシステムの悪いところとキリスト教的なシステムの悪いところの組み合わせになるかもしれません。っていうか、今の日本のあまりよろしいとは思えない状況はそういう状態かもしれないとも思います。
とまれ、本書はとても面白く、知的興奮を感じながら読めました。
精査すればまた突っ込みどころもあるかもしれませんが、知的好奇心を満たしてくれるエンターティンメントとしてとても面白かったです。
おススメ本だと思います。
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