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2017/11/24

月蝕歌劇団『盲人書簡 上海篇』

昨日は都立大学の千本桜ホールさんで月蝕歌劇団さんの公演『盲人書簡 上海篇』を観てきました。元演劇実験室◎天井棧敷の女優さんで、『15歳◎天井棧敷物語』をお書きになった高橋咲さんご出演というので。

月蝕歌劇団さん、寺山修司の側近だった高取英さんの主宰される劇団、ですね。寺山系劇団の雄として、公演もこまめに拝見したいと思っているのですが。傾きかけの会社に勤める身としてはいささか手元不如意で、なかなか行けないのですが。

今回、高取英さんのツイッターで高橋咲さんが月蝕の次回公演にご出演だとの書き込みがあって。それ最初に読んだとき、頭がぽかんとして何のことか分からなくなくて混乱して、しばらく後にその意味が分かると、「おおお!」と声が出ました。高橋咲さんの舞台が見られるなんてぜんぜん思ってもいなかったのです。

高橋咲さんの小説は『15歳◎天井棧敷物語』と『本牧ドール』を拝読しています。『15歳◎天井棧敷物語』は、文字通り高橋咲さんが天井棧敷に在籍していらしたころをモチーフに書かれた小説。あのころの天井棧敷の雰囲気を伝えてくれて、面白く拝読しました。

『本牧ドール』は咲さんがあるグループサウンズのメンバーと恋人関係になっていたころのことをモチーフにお書きになられた作品。そして未読なのですが、もう一冊、高橋咲さんの小説があるそうです。
そして、高橋咲さんのトークショーも何度か拝見したことがあります。

ほんと、その咲さんの舞台が見られるなんてまったく思っていませんでした。で、いそいそと月蝕歌劇団さんのホームページで公演を予約して、当日を楽しみにしてました。あ、あと、日曜は天井棧敷直系の演劇実験室◎万有引力公演『Q』も行きましたから、11月下旬は思わぬ寺山修司ダブルになりました。『Q』は場所が渋谷時代の天井棧敷館があった場所の近辺でしたし、渋谷時代の天井棧敷を舞台にした小説をお書きになった高橋咲さんご出演のお芝居ですし、面白い取り合わせにになったなと。

都立大学駅へ。都立大学駅というとライブハウスのAPIA40さんで、ライブを観に行くのに何度か利用したことがあります。
千本桜ホールはその反対側を少し行ったところにある劇場でした。デブ的に小劇場で心配なのは、「デブに優しいか?」って事です。たとえば私が状況劇場はあまり見てないのは、あのテント芝居がデブにはきついからって事があります。テントで縮こまってお芝居を見ていると、30分もすると体のあちこちが痛くなってきて、お芝居どころじゃなくなりますもの。某小劇場であった寺山修司のお芝居も、しばらくして体が痛くなってお芝居どころじゃなかったですし。

入場待ち。どうやらここの近くにもライブハウスがあるらしく、エレキギターの音が響いています。ややあって客入れ。千本桜ホールさんは椅子席でした。ひと安心。

今回一緒に『詩劇ライブ』というのも拝見してみました。『盲人書簡』の前です。

開演前、劇団員さんたちによるおみくじ。これにあたると(「凶」「大凶」だそうですが)生写真がもらえるというおみくじだそうです。そして『詩劇ライブ』。皆さんによるお歌や踊りや小芝居。「詩劇」というのも寺山修司が駆け出し時代、自分のお芝居につけていたキャッチフレーズだったようですな。

中入りで物販コーナー。なんと!高橋咲さんの『本牧ドール』の販売もあって。

『15歳◎天井棧敷物語』も『本牧ドール』も今は手元にありません。お貸ししていた方が突然失踪してしまうという劇的な紛失をしました…。古本ででも探さないとなぁと思いつつ、まだ探していなかったのですが。さすがに『15歳~』の方はなかったけど、『本牧ドール』が手に入って嬉しかったです。
あとは『15歳~』を探さなきゃなとも思うのですが、ただ、せめて、『15歳~』だけでも文庫でいつでも手に入るようになってくれたらいいなと思います。あのころの天井棧敷の雰囲気を伝えてくれますし。

あと、物販では高取英さんの『盲人書簡』の演出ノートというのを買いました。月蝕さんのパンフレットはだいたいがコピーをホッチキスで閉じて生写真をぺたぺた貼り付けたというスタイル。今時なら同人誌でももっといい製本にしそうなつくりなのですが。
でも、作品解説についてはさすが寺山修司について日本でもトップクラスにお詳しい高取英さんのお書きになったもので、以前のある公演で購入した時もその内容にたまげました。だから、今回もこれを買おうと。このシリーズはほんと一般の書籍になってほしいのですが。

昭和精吾さんの公演でおなじみのある外国の歌を、日本語の歌詞で歌うのがありました。日本語の歌詞もあったんだと思いました。『黒猫のタンゴ』は今の若い人にはどう思われるんだろ…?

ライブのあとはチェキコーナー。ここらへん、月蝕さんの「地下アイドル」的な部分かしら。
いや、月蝕さんは地下アイドルブーム以前から地下アイドルスタイルでいらしたのでしょうが。
そして、晩ご飯食べてから、劇場に戻り、いよいよ『盲人書簡 上海篇』です。

『盲人書簡』、暗闇の演劇。

『盲人書簡』は万有引力さんのを拝見しています。また、寺山修司のエッセイにも「暗闇の演劇」としてコンセプチュアルなものが書いてあったと思います。たとえば暗闇の中で進行するお芝居で、観客に3本マッチを渡し、好きなところで火をつけてその明かりでお芝居を観る、なんて構想が書かれていたと思います。

万有引力さんの盲人書簡は法政大学学生会館大ホールでの公演でした。なんか昭和40年代の学生運動華やかなりし時代からそのままタイムスリップしてきたような場所。もう取り壊されてしまったそうですが、あのころの史跡として保存しておいてもいいくらいな場所でした。ちなみにこのホールの杮落としもまた天井棧敷の『盲人書簡』だったそうです。

暗闇の中のお芝居。闇が現代では最高のぜいたく品になってしまいましたな。闇の中でも動ける万有の皆さんの技量。何も見えない闇の向こうから、確かにする気配。あと、万有のお芝居だと3年前の『観客席』もそういう闇のシーンがあって、とてもよかったです。

ただ、その、だいぶ前に見た万有の『盲人書簡』はどういうストーリーのお話だったかは思い出せません。いつもの万有の断片的なシーンが積みあがっていくというスタイルのお芝居だったとは思うのですが。

今回の月蝕の『盲人書簡 上海篇』はある程度はストーリーというか、人物配置というか、そういうものが分かりやすかったです。ただもちろんふつうのお芝居のようにストーリーがずんずん進んでいくというスタイルではないのですが。

少年探偵団のめしいとなった小林少年と明智小五郎、清の皇帝(だったかな?)の子息の少年とその教育係(?)、黒蜥蜴。時代は戦前、いや、「戦前」ではなく、太平洋戦争は始まってないけど、日中戦争は始まっていて、大陸での抗日運動最盛期の上海。小林少年と明智小五郎、そして子息の少年と教育係のお話がメインに、交互に進行していき、まじりあい。

その、明智小五郎役が高橋咲さんでした。もちろん男装、大きな眼鏡をかけていらして。それが意表をついてぴったり。すばらしかったです。そういえば、高橋咲さんは天井棧敷では盲人書簡に出演されたのかしら。出演されたとしたらどんな役だったのかなぁ。

あと、存じ上げているお方てすと、漫画家の田村信さんがご出演でした。子息の少年の教育係の役でした。
田村信さんは『マンガ少年』の連載を憶えています。正義の味方のチーム、最終回は圧倒的な敵を前にして、自爆攻撃を決意し、白装束でそれに臨むのですが。しかし彼らを乗せた戦闘機は外れてしまい、あらら…、っていう外し方に衝撃を受けました。

マンガ少年を読んでたころももう40年近く前ですな。その作者さんのお芝居を見られるなんて夢にも思いませんでした。

舞台立ては奥大体中央くらいに出入り口があります。万有さんの舞台装置でも大体そうですから、天井棧敷からの伝統かしら。いや、寺山系以外のお芝居はほとんど見ない私ですが、それでも舞台奥に出入り口のあったお芝居がありましたし、ありがちな道具立てなのかしら。

それからその出入り口脇に、鳥居の支柱を模したような朱塗りの柱が2本。舞台前にも小さな鳥居がありました。
海外から見て鳥居ってのは日本を感じさせるアイテムのようで。在日米軍の横田基地でも鳥居を飾りにしてるのを見かけたことがあります。沖縄の米軍基地でトリイステーションってのがあるそうですし。日本の象徴であると。

寺山のお芝居でたまに見かける、浴槽の底に全裸の男を隠したシーンの、セルフパロディみたいなのもありました。

あのころ、中国を侵略していた日本。
その悪夢を、繰り返さないよう。

フィナーレはあの、暗闇の中、めいめいが明かりをつけて自己紹介の口上を述べるおなじみのシーン。
あの時の音楽がJ・A・シーザーさんの『1970年8月』で、歌詞があるのを知ったのも対数年前ですが。

終演後、トークショーがありました。月蝕歌劇団の当代トップの方と先代トップの方の対談でした。そうか、歌劇団さんだから宝塚みたいにトップ制なのか。そういうのすら気がつかなかったです。

久しぶりの月蝕歌劇団さんのお芝居、楽しみました。
ほんと、もっとこまめに拝見できるといいのですが。

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