『この世界の片隅に』(映画のほう)
封切りから半年にしてやっと『この世界の片隅に』、観てきました。原作本もだいぶ前には読了してスタンバっててたんですが。空いてから行こうと待ってて、そうしてるうちに大絶賛の話をあちこちで見かけて、そしてなんか観てしまうのがとてももったいない気がしてして。んで、やっと観に行ってきました。
片渕監督の作品は『マイマイ新子と千年の魔法』を観てます。豊かな想像力を持ち、千年前にそこにあった国府と、そこに暮らす千年前の少女ともその想像力で繋がることのできる女の子、新子の物語。といっても単純にファンタジックというものでもなく。憧れの女先生が実は不倫していたり、同級生の警官の父親が酒場の女に入れあげたあげく、金銭トラブルで自殺する、とか。そしてその敵討ちにその同級生と新子は女のいる酒場に乗り込むけど、彼らもまた単純な悪党ではなく…。そんな、苦いエピソードも散りばめられたら映画でした。
原作のこうの史代さんの作品はこの原作本の前は『夕凪の街 桜の国』と『長い道』を読んでます。あまり読んでないけど、独特の空気を感じさせる方だと思ってます。
んで、やっとこさ『この世界の片隅に』観て。ほんと大傑作だと思います。そして、とっときのごちそうを食べてしまったような寂寥感も感じます。もちろん二見三見してもいいし、観るたびに新しい発見のある映画だと思いますが。
以下、感想を書いていきます。ストーリーに触れていきますのでネタバレご容赦です。
本作の考証はすさまじい物があるそうですが。史実に即した時系列とか当時の町並みの再現、そして軍艦とかの軍事考証とか。
高射砲弾の炸裂する時、色つきの煙が出るのがありました。当時の日本海軍の砲弾には、撃った艦が分かるようにでしょうか、色つきの煙が出るものがあったそうです。それを再現してました。
空襲のシーン、爆弾じゃなくて、銃弾とも違うような金属片が落ちてきて瓦を割ったり、地面に穴をあけるシーンがあったのですが。あ、高射砲弾の破片かなと。昔、軍事関係の豆知識本で、敵の爆弾より、自軍の高射砲弾の破片の方が被害が大きかった空襲があったという話を思い出しました。そこまで「空襲」を描いた作品は無かったんじゃ?と。
さすがに原作をそのまま映像化するには尺が足りないですから(たいていの原作の映像化はそうですけど)、原作の取捨選択はありましたが。
それを失敗すると原作ファンにはがっかりポイントですけど。本作ではとても上手だったと。
ボリュームは減っていますが遊郭のくだりもありました。主人公・すずと出逢う遊郭の女性、幼少期のすずと因縁があると描かれていて。これは原作にあったかな?気がつかなくて、アニメで気がつきました。
すずの旦那さんとその遊郭の女性の関係はアニメでははっきりとは描かれていませんでした。エンディングで勘のいい人は気がつくかなというくらい。
映画でもちらとあの表紙を切り取られたノートは出てきますから、映画でも関係はあったかと。
すずさんの旦那さんは以前すずさんに出会っていたようなのですが、それがなんだったのか原作読んでも分からなくて。映画の終盤の橋の上での会話シーンでやっと、あ、あの人攫い鬼の籠に一緒に入っていた男の子かと気がつきました。原作を改めて見るとあのシークエンスの台詞と同じだったし、その終盤、その人攫い鬼とすれ違うシーンも同じくあったのですが。気がつきませんでした。
ここらへんは漫画原作のコマでの描かれ方とフルスクリーンの映画のシーンの違いもあるのかしら?
リアリティを出すために深く考証をされている本作ですが、冒頭にこのようなリアリティを感じられないエピソードがあるのって面白いです。このエピソードがなければ、すずさんは呉にお嫁に来ることもなく、あの水兵さんになった幼なじみと結婚していたのかもしれません。
すずさんは少々ぼんやりとした人物として描かれています。それは空想力が豊かで、しばしばあちらの世界に行ってしまうせいもあるみたい。こういう人物造形はこうの史代さんの自家薬籠かしら。
片渕監督の前作、『マイマイ新子と千年の魔法』の主人公・新子も空想力の豊かな女の子でしたし、そこらへんが片渕監督のお好きな世界なのかなと。空想力。この世ならざるものとつながる力。新子のそれは千年前の世界でしたが、すずさんのそれは生者と死者のあわいを超えていき、もうこの世に居ない、喪ったものともつながれる力。
すずさんの中では、この世のもの、この世ならざるもの、その境界は曖昧なのかもしれません。そしてそれはちょっとうらやましいです。
この世に、「この世界の片隅に」居ていい理由。「居場所」のこと。私が本作から受け取ったものとしてはそれが大きなテーマのひとつだと感じました。ぼんやりとした性格で、いつも怒られているすずさん。「これではお嫁に行けませんよ」と言われ。これは日本人独自なものなのかはわかりませんが、隙さえあれば「自己否定」を心に埋め込もうとしてくるこの日本の心根。
オタクもどこか社会から遊離してる部分もあるから、そこらへんを悩むことも多く。その部分をグサグサと刺してきたのが『新世紀エヴァンゲリオン』だったなとも。ちょっと話はそれますが、オタクがコミケに足しげく参加するのも「存在していい理由」を得られる部分もあるのかなぁと。
原作的にはこうの史代さんの、広島の原爆を扱った作品、『夕凪の街 桜の国』を思い起こします。あの作品のヒロインもまた、原爆で生き残ったことに罪悪感を感じ、そして自分は「ここに居ていい理由」などないと苦しむ物語でしたが。
そして、すずさんが「家族」を持っていることがとてもうらやましく感じました。「居場所」を与えてくれる「家族」それをすずさんは持っている。それを与えることもできる。あの、すずさんもまた人攫い鬼のように、誰かの子供を連れていくエピソードのように。私はそれ(家族)をうまく持てずにいたし、多分これからも持つことはないだろうし。その部分、きっついなぁと(笑)
ほんと、本作はとても楽しめました。戦争という悲劇に巻き込まれる「メロドラマ」。あるいは単純な、サヨク的な、「反戦映画」を軽々と飛び越えて、「反戦映画」の新しい地平を見せてくれたとも思ってます。邪悪なこの国の政治家VS善良な庶民という単純な二極化を越えて。
2度3度観れば新しい発見もあるでしょうし、原作も読み返せばさらに理解も深まるでしょう。もう映画館に足を運ぶ気はないですが、ソフトが出たら欲しいなとは思います。ただ、買っても積読になっちゃうだけだろうなとも心の隅で思ってますが。
ほんと、ちょうおススメ映画であります。
P.S.私が書いた原作漫画のほうの感想はこちら>>『この世界の片隅に』(漫画のほう)
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