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2017/01/23

Project Nyx『時代はサーカスの象にのって』

先日は新宿FACEでProject Nyxさんの公演『時代はサーカスの象にのって』を観てきました。オリジナルは寺山修司率いる演劇実験室◎天井桟敷のお芝居です。
『時代はサーカスの象にのって』、ずっと見てみたいなぁと思っていたお芝居でした。たぶん、昭和精吾さんからの影響だと思います。

昭和精吾さんは天井桟敷の劇団員だった方。あの、伝説の、『力石徹の葬儀』で弔辞を読まれた方です。
そして寺山没後は「天井桟敷の語り部」「寺山修司の語り部」としてそのころの思い出話や当時の演目の一節の再演をなさっていました。昭和さんの公演、何度かお伺いし、とても楽しかったです。
その拝見したレパートリーにどうやら『時代はサーカスの象に乗って』の一節らしいものがあって、オリジナルはどんなお芝居なのかなぁってずっと興味を持ってました。
残念ながら、おととしの夏の終わりに昭和さんは急逝されてしまったのですが。

あと私のつたない寺山修司と天井桟敷の知識からですが。
(以下、間違いがあったらごめんなさい)

『時代はサーカスの象にのって』、渋谷にあった天井桟敷館の地下劇場でロングラン公演された演目とか。天井桟敷館が「はとバス」ツアーのコースになったこともあるそうですが、そのコースになったときの演目が『時代は~』だったかなぁと。あと、その、はとバスツアーのコースになったおかげで劇団に定期収入ができて、劇団の経理のおじさんが寺山修司にかけあって、無給だった劇団員にお金が出るようになったそうです。

でもやっぱりそればっかりでは…、という話が出て、公演は終了、はとバスコースもおしまいになったとか。そこらへんのエピソードもいくつか読んできた寺山本にあったかなぁと。

あ、あと、寺山没後に萩原朔美さんの演出で『時代は~』の公演があったそうですが、そのときはご存命だった寺山修司の母・はつさんが朔美さんに抗議の電話を入れたとか。天井桟敷館で行われた公演ですから、桟敷館の喫茶部のマスターだったはつさんも『時代は~』を何度もご覧になっていて、だからこそ、「修ちゃんのとちがう!!」って思って激怒されたのかなぁと思ったりもします。寺山修司の母・はつさんは元関係者の手記など拝読するとほぼ異口同音に「おっかない人だった」と書かれていますけど…。

いや、閑話休題。

期待にドキドキしながら新宿FACEへ。新宿FACEさんはJ・A・シーザーさんのコンサートもあったし、寺山系にはおなじみの場所になってますな。

Project Nyxさんのお芝居は数回行ってます。ここんところはご無沙汰なのだけど…。寺山修司の少女世界を描いてこられた宇野亞喜良さんが美術で、天井桟敷にもご在籍だった蘭妖子さん、素敵なロリィタユニット、黒色すみれさんご出演だったりして。それで何度かお伺いしました。

今年でProject Nyxさんは10周年とか。

入場すると。まず舞台装置ですが。オリジナルのステージから短い花道に続いて、リングがしつらえてあります。寺山修司的にはボクシングのリングかなぁ。出入りを考えてかロープは2段です。
このリングがメインステージで、オリジナルのステージは後述のバンドのコーナーになってました。

客席にもいくつかのオブジェが配置されています。アメコミヒーローみたいなスタイルのトランプ新大統領の像と、面影がオバマ前大統領を思わせる少女っぽい自由の女神像(ウェストに大きなリボン!)が対置されていました。美術はさすが宇野亞喜良さんの世界です。独特の風情があります。

客席はリングの三方を囲むように配置されていました。東、南、西と名づけられていました。席の指定も南の何列の何番とか、そういう形式。先日生まれて初めてプロレスに行ったのですが、その座席も東・南・西となっていました。そういう習慣なのかしら。

東席と南席の背後にはスクリーンがありました。客入れのときはそのふたつのスクリーンとステージの下りた緞帳にトランプ新大統領の演説の映像が流されていました。

さまざまな政治的な動き、そしてトランプ大統領が誕生して、「時代は"Post-truth"に向かってる」って、最近ネットで見かけましたが。なんか寺山修司の思想が悪い方向に行き着いてしまってるような気がします。人は「虚構」を生きている。「虚構」と「現実」があるのではなく、「虚構と呼ばれる虚構」と「現実と呼ばれる虚構」しかない。寺山修司の思想を私はそう解釈していますが。
そしてこれもまた好きな岸田秀の思想と合わせて、「現実」はしょせんは「共同幻想」であると思ってます。ただ近年その「共同」がどうも揺らいでいるような気がします。その「共同幻想」の共同の範囲がどんどん狭まっていて、てんでばらばらのタコツボ状態のような。

「作りかえることのできない過去はない」。そして、人は、信じたいことしか信じない。そしてそれを「現実」と呼んで生きている、と。それはキホンと思ってますが、その屋台裏が悪い方向でさらけ出されてきているというか。

いや、これもまた閑話休題。ま、そこらへんに気づかせてくれたのも、私の「素養」に寺山修司があったおかげかなぁと。

お芝居はショートコーナー集といった感じでした。寸劇や歌と踊り。「レヴュー」と呼べばいいかしら。前衛アングラ不条理といった部分もありますが、やっぱりなによりもそれ以前にとっつき良く楽しませてくれます。だいたいアングラを気取る劇団なんて、観客がよくわからずにあっけに取られてぽかんとしてるのを、難解をもてあそんでドヤってる場合も多かったでしょうけど。でも、天井桟敷はそこらへんエンターティンメント性が高いし、にぎやかな小コーナーの連続で飽きさせないようにしてますし。そこらへんがはとバスツアーにもなった理由なのかなぁと。

舞台がリングという趣向で、それぞれの小コーナーもラウンド制になってました。それで転換をはっきりさせるのも、とっつきが良くなる工夫かなぁと。

私は演劇にも疎くて、ご出演の方もほぼ存じ上げないのですが。若松武史さんがご出演でした。確か演劇実験室◎万有引力も参加した渋谷のパルコ劇場での『青ひげ公の城』にもご出演だったと記憶しているのですが…。
若松武史さんも「ここは天井桟敷オリジナルだと昭和精吾さんだったのかなぁ」と思う役もなさっていまいました。

公演は2時間でした。確か天井桟敷版の『時代は~』は1時間くらいだとチラと聞いた記憶があったので、オリジナルの倍くらいの尺ですね。
これもちらと聞いた話でほんとかどうかはわからないのですが、『時代は~』は寺山の戯曲集には収められてないそうです。これもロングラン公演中にいろいろ差し替えとか変更があって、定本と呼べるものがないのかなぁ、だいたいこういう「レビュー」形式の公演は戯曲集に収めないものなのかなぁ、といろいろ推察したりするのですが。
そしてそれをぜんぶ集めるとこのくらいの尺になるのかもしれないなぁと思ったりもします。ここらへんは妄想レベルの推察なので、たぶん間違ってるでしょうが。

FACEさん本来の舞台はバンドコーナーになっていましたが。ご出演のバンドさんもとてもよかったです。SHAKALABBITSさんとおっしゃるようですが。小柄でパワフル(ほんとにそうというよりイメージとして)な女性ボーカルのバンドさん。そのボーカルさんはお芝居されてもいました。

客席にもオブジェが置かれたりしていましたが、ある程度ステージと客席は渾然一体とする演出スタイルでした。万有引力の公演でおなじみの観客参加コーナーもありました。
そいやプロレスのリング外の場外乱闘って「市街劇」のプリミティブなスタイルかもしれないなぁとふと思い至ったり。

『時代はサーカスの象にのって』のテーマは『(日本にとっての)アメリカ論』かなぁと思うのですが。あのころの日本人は今よりもさらに「アメリカ」に拘っていたのかしら。いや、今もなのかなぁ、と。思います。アメリカに呼びかける、しかしアメリカは聞いちゃいないんだろうなとも。
そしてそこに現代性を持ち込むこと。いや、「日本にとってのアメリカ」はもちろん今日にも重大なテーマであり続けているでしょうが。その日本人としての自意識。

そして『時代はサーカスの象にのって』の惹句「やがて誰もが15分ずつ、世界的に有名人になる日がやってくる。」。これはもともとアンディ・ウォーホルの言葉だったようですが。これもまた現代、インターネットのせいでとても醜悪なかたちで実現しています。
自分を高めて人に見せられるだけの「芸」を身につける才能もなく、努力もしようとうせず、自己顕示欲に駆られた連中が、手っ取り早くその醜悪な行為によって目立とうとする現代。それもまたその言葉が最悪なかたちで現実化したなぁと嘆息もまたします。

ここで、寺山修司の思想はどう展開していくべきなのか、しばしば考えます。

いや、またまたまた閑話休題。

Project Nyxさんの『時代はサーカスの象にのって』、とても楽しみました。
ほんとノリノリになって楽しみました。よかったです。

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