万有公演『愚者たちの機械学』
昨日は新百合ヶ丘の川崎アートセンター アルテリオ小劇場で演劇実験室◎万有引力の第63回本公演『大反復劇-あるいは戯作者式イマジ音楽劇 愚者たちの機械学~劇は各自お持ち帰りください~』を観てきました。楽日になります。(なので、ネタばれは気にせずに書きます)
今回の公演、底本のひとつに種村季弘の『愚者の機械学』があるようです。調べてみると古書でなければAMAZONのオンデマンド版があるようですが。オンデマンド版ってのはプリントアウトしたのを製本して届けてくれるシステムみたいです。面白いシステムですな。いや、未購入&未読なのですが。いや、ま、以前の万有公演の原作だった『アフリカの印象』も近所の本屋さんにあるのを確認してながらまだ買っていませんが…。
アルテリオ小劇場は初めて行く場所。いい感じの場所です。ただ、客席の座席番号が劇場でよくある座面が跳ね上げ式の椅子の、座面が上がった状態でのてっぺんに書いてあるので、お客さんが座っていると座席番号が分かりません。なんで普通に背もたれのてっぺんに書いておかないのか、ちょっと理解に苦しみますが。
案内係の方が「席分かりますか?」って聞いてきて、なんでだろと思いましたが。私は早めに入場したのですが、開演直前になって、お客さんが満席になったころ、席に座席番号が見当たらないのに気がついて、「そいや、席に着いたとき、座席番号どこに書いてあったんだ?」って不思議な気持ちになって気がつきました。
大道具は入場時はぱっと見、奥に柱が何本か立っていて(これは舞台装置というより劇場の構造的なものかしら?)、上手下手に自転車。舞台中央奥に格子、これは「サード」のかなぁ。そして奥の壁にスライドが映写されていました。
万有のお芝居では開演前から役者さんがうごめいている場合も多いのですが、今回はそれはなしでした。(気がついてなかっただけならごめんなさい)
ややあって開演。
今回のお芝居の縦糸は精神科医で心理学者のユングと、そのいとこの女性、ヘレーネとの関係でした。ユングはヘレーネを題材にして論文を書くことで世に出たそうで。また、ユングのオカルトへの傾倒もヘレーネの家族の霊媒っぷりに影響を受けたようです。しかしまたユングはネタとしておいしくするためにヘレーネをさらに追い込んだこともあったようで。
年老いたユングがそのことを述懐するくだりから、過去に遡ってお芝居は始まります。
といっても万有のお芝居ですから、それが具体的にずんずん進行するというかたちではなく、イメージ的なシーンがたくさん挟み込まれます。もちろん万有ならではの歌と群舞もたっぷり。
寺山修司が初期に自分の演劇を「詩劇」と呼んだそうですが、まさにその詩劇。そして「論」が語られる部分もあり、そういう部分は「論劇」と呼んでもいいかもと。
このユングといとこのヘレーネの話、「そいやユングの不倫の話を心理学者で精神科医の斉藤環さんの本で読んだな。この人かなぁ。」と思って思い返してみたのですが、なんかつじつまが合いません。なんでじゃろ?と改めて調べてみたら、私が斉藤環さんの本で読んだユングと不倫関係になった女性はヘレーネとは別人でした。つかユング女性関係ユル過ぎ(笑)。
なんか面白い手法もいくつかあって面白かったです。
役者さんがついて舞台上をいろいろ動いていくスポットライト。舞台左右に折りたたまれて、場面によって展開するようになってる枠組みの柵(?)。操り人形。紙細工の着せ替えみたいに衣装に取り付ける自分の「役割」を示す衣装パーツ。夜光塗料で光る絵。ここらへんもどんどん進化して後の公演に活かされていくのでしょうか。
群集の動かし方もいつもとちょっと違ってたかなぁ。あまりよくは分かってないんだけど。
万有のお芝居の終わり方は緞帳が下りたりカーテンコールはなし、気がつくと俳優女優さんがはけて、客電がついて…、ってかたちなんだけど。今回は俳優さんたちのシルエットの切り抜きが舞台上にたくさん残ったかたちでの終わりで、「まだはけてない」と勘違いさせてくれた上に、きれいだったです。お見事。
そして万有のそういうお芝居のスタイルに慣れた人に対してはフェイント的に「もう終わり?」って思わせるシーンが途中に挟み込んでいて、腕時計をチェックして、天井を眺め、客電がつかないのを確認して、「まだ終わりじゃないよなぁ」って思ったりも(笑)
たぶんそれは「世界そのものがひとつのお芝居、虚構。だからこれには開演も終演もない」って思想の現れだと理解しているんだけど。そういう思想、いいと思います。
今回の公演は1時間20分くらいだったかな。いつもよりちょっと短めだったけど、楽しみました。
万有の次回公演は3月に『身毒丸』の再演だそうです。
当日チケットの予約も受け付けていて、予約しました。
楽しみにしています。
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