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2016/11/28

天野可淡少女人形展 最終章

昨日は銀座でマリアの心臓さん主催の『天野可淡少女人形展 最終章 髪帯之記~解かれたガラスのリボン~』を拝見してきました。

『解かれたガラスのリボン』、天野可淡さんのエッセイですな。あたしはシンフォレストのCD-ROM写真集『KATAN DOLL』に収められているのを読んだことがあります。
「人形にとって死より怖ろしいのは忘れられること」というようなくだりを憶えています。また、寺山修司の編んだアフォリズム集によるとマリー・ローランサンは「死んでしまった女よりかわいそうなのは忘れられた女です」と書いたそうです。

それは、なんとなく解ります。

オークションとか、懐かしオモチャのお店で、当時そのままの新品未使用の昔のオモチャが並んでいるのを見かけることがあります。そういうのを見かけると、懐かしいと思うと同時に「遊んでもらえなかったさみしいオモチャだったのかなぁ」と思います。
遊ばれずにきれいなままで長くてさみしい年月を過ごすオモチャより、さんざんに子供たちの遊び相手をつとめ、ボロボロになって、そして、壊れていったオモチャの方が幸せだったのかなぁと思うこともあります。

人生店ざらしのあたしはそう思ったりもします。

ま、その話は置いといて。

会場はいつも通りの場所でした。アンティークなビルとして有名な奥野ビルとも程近いです。会場の造りもだいたい変わらず、あの狭い入り口を通って入る展示スペースも相変わらず。いい感じです。展示内容もお人形と絵画、イラストなどいろいろあって楽しいです。作家物のお人形とアンティークのお人形、文楽人形も等しく展示されてる部分も一緒。そのセンス、好きです。

今回はカタンドール多目と感じました。つかこのくらいたくさんのカタンドールが一堂に会しているのを拝見したのは初めてかも。
あの、天野可淡独特の眉根というか、額の下真ん中をしかめたような独特のタイプのカタンドールもありました。あれはどういう表現なのかなぁと思うのですが。
今回のカタンドールは変り種というより、オーソドックスなタイプが多かったかなぁ。動物のぬいぐるみと一緒にディスプレイされてるのもかわいらしかったです。あのぬいぐるみも天野可淡作なのかしら。牙のある口がなんか口枷っぽく見える独特のスタイルでした。

たくさんのお人形さんたち、その視線の中を進みます。眺めているとふと何か語りかけてくるような気がしたり。表情を向けてきたような気がしたり。でもちょっと視線を外して元に戻すとやっぱりただの沈黙した静かな物体のように見えたり。まだまだ修行が足りませぬな。

今までここでのマリアの心臓さんのお人形展では書かなかったかな?今まで行った3つの人形展すべてで、会場の回廊、潜り抜ける関門をいくつか通った最奥部に恋月姫さんの『マリア・クローチェ』というお人形が安置されています。マリア・クローチェ、マリアの心臓。

木枠のガラスケース(棺っぽい?)に横たわる、白いドレス姿の瞑目した少女のお人形。横たわり、瞑目した少女。それがマリアの心臓。なんとなく、その機微はわかるような気もします。私も瞑目し、静かに横たわり、そのままずっと過ごしたいと思うときもありますし。終わりの刻まで。

いや、いや…

「せかいはかなしいことばかり
だから いっぱいにしなくちゃ!
かわいいもので
(ワタシヲ)
キレイなもので
(キズヅケナイモノデ)
ねえ そうでしょ?
ねえ…」
(鈴木志保『ヘブン…』)

なんてね。

私がお人形の世界を知るきっかけになった、故・三浦静香さんのお人形は今回もありました。嬉しかったです。ちょっと見つけにくいところにあって、今回は無いのかなぁと思ってたら見つかって、そこら辺のセンスもうれしいです。

ほんと、よい展覧会でした。11月28日でこの展覧会は終わりますが。
またカタンドールや三浦静香さんのお人形を拝見できるのは今度はいつになるのかなぁ。
マリアの心臓さんの東京での人形展はこれで終わりかなぁ。まだあるかなぁ。まだあると嬉しいけど。

京都のマリアの心臓さんも行ってみたいものですが…

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