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2016/03/07

『寺山修司からの手紙』

『寺山修司からの手紙』(山田太一:編 岩波書店:刊)
寺山修司19歳~23歳、山田太一20歳~24歳ころの書簡を中心にまとめられた本です。早稲田大学時代にふたりは知り合い、親友だったとか。

寺山修司未発表歌集の『月蝕書簡』、寺山修司撮影の写真集『写真屋・寺山修司』、寺山十代のころの未発表私家版詩集『秋たちぬ』に続く、寺山修司の秘書だった田中未知さんの寺山修司のお仕事発掘シリーズの一冊のようです。(書簡は「仕事」ではないかもしれませんが)

本書は近所の書店に発注したのですが、奥付を見ると2刷でした。山田太一の名前もあるのでしょうが、こういう書籍に重版がかかるのは嬉しいことです。

本書の構成は、全体のページ数の半分強が今回発掘された書簡。それからこれも未発表の当時の寺山修司の日記。それから関連アンソロジーとして寺山修司の書籍に採録された当時の手紙(創作部分もあるそうです)、寺山修司の葬儀のときの山田太一の弔辞。田中未知さんのあとがき「過去から現在・現在から未来」、山田太一さんのあとがき「手紙のころ」、が収められています。

寺山修司と山田太一の邂逅。やはり才能は才能を識る、でありましょうか。

本書に収められた書簡、時期的にはほぼ寺山修司の入院時代になります。書簡のほとんどは寺山から山田太一に宛てられたものが占め、山田太一から寺山の書簡は少しでした。
山田太一さんのあとがきによると、入院中の寺山のもとに山田太一さんが訪れ、語らい、語り足りない分をさらに書簡にして書き送っていたようです(あまり長居すると寺山の母親、はつさんがうるさかったということもあるようですが)。この件については他の寺山修司関連の書籍やトークショーにもありました。

いくつか寺山修司の書簡の画像も収められています。決して整ったとはいえないでしょうが、読みやすく味わいのある手書き文字。カットもいくつか添えられていて。
ここらへん、他の本やトークショーでのお話によると、寺山修司は昔からの学級新聞や同人誌作りで読みやすい文字の書き方やカット描きを習得していたという話です。読み辛くて気持ち悪い字を書いてしまう私はほんとにうらやましいです。
腹水が溜まってお腹がぼっこり出てる自分の様子を描いた小さなカットには胸が痛みました。そうか、ほんとこのころの寺山修司は大変だったのだなと。

自分の病気に屈託する寺山修司の姿。「葬式は五月。」ということば。この二十数年後、寺山はほんとうに5月に亡くなるのですが。それを予見していらしたか。いや、死ぬのなら5月という美学であったか。自らの死を5月、と考えていたなら、寺山の第一作品集『われに五月を』のタイトルもまた違った印象を受けます。

寺山が輸血を受けているのも書いていて、後年、寺山が肝臓を悪くしたのはこのとき受けた輸血が原因で肝炎に感染したからではないかという話も聞いたことがあって、「ああ…」とため息をつきながら読みました。

当時起きた砂川事件に対する態度。醒めていた寺山は山田太一とそれが原因でケンカしたようですが。寺山修司の政治に対する態度はそのころからそうだったのかなと思いました。
「エゴイストは孤独のときは感情に溺れ、集団に入ると集団の感情に溺れまいとして、自分を守ろうとしてヒロイズムを衒う」
詩劇の話。そうか、そうだな、寺山演劇って詩劇と呼ぶべきものだな、とか。ジュリエット・ポエムの話。
寺山が谷川俊太郎と知り合った話も出てきます。このあと寺山と谷川俊太郎は親交を深め、寺山修司と九條映子(今日子)さんの結婚式では谷川俊太郎が仲人をつとめるわけですが。

そして、恋人がほしくてジタバタする寺山修司の姿、もちろんあたしもジタバタした思い出があるので、「イテテ…」と読みました。

でもやっぱりこの書簡集を見てつくづくと思うのは、もちろん寺山修司と山田太一という大きな才能が若き日に、無名時代に出会った記録という部分もあるけれど、それ以上に「いいなぁ」って思うのは、なんでも腹蔵なく語り合える仲間がいるっていいなぁ、ほんと、うらやましいなぁってことです。なんでも語り合えて、たまにケンカもする。このころの私にはもちろんいなかったし、今日までここまで腹蔵なく語り合える仲間はいなかったな、と。

恋愛のことにしてもね。私は独りでジタバタしたあげく、思いつめたあげく、ストーカーまがいのところまで行ってしまったのだけど…。こういう風に語りあえる相手がいたらなぁと。

それがこの書簡集を読んだいちばんの感想です。

そしてまたいろんな資料をつき合わせていくという楽しみもあるかと思います。
あんまり根を詰めてそれをやる気力はないのですが、そういうのに気がついていくのも面白いものですね。

このころの寺山修司を考察した本として、先だって『寺山修司 その知られざる青春』(小川太郎 中公文庫)を読みましたが。それによると入院中の寺山にもファンが手紙を書き送ったり、語り合うことがあったとか。入院仲間とも。

その本に寺山修司が最晩年(いや、死の間際か…)、山田太一の家を何度か訪問したと書かれていましたが。そのきっかけらしいことが、本書の田中未知さんのあとがき「過去から現在・現在から未来」にありました。ちょうどそのころ、山田太一さんが脚本を書かれたテレビドラマが放送されたのがきっかけだったようです。
そして『寺山修司 その知られざる青春』にあった、そのときに寺山修司が山田太一に語った述懐「俺は父親になりたかった」は同じく父親になれなかった私の胸にも刺さってきます。

このころ、中野トクとの文通もあったのかな?まだその書簡集は読んでいないのだけど。それも今度読まなくちゃね。そういう風につなげていけるのも寺山修司ファンの楽しみでありますよ。

本書もとても面白く、興味深く読みました。次の田中未知さんの発掘はなんになるのかなぁ。楽しみです。

そしてやっぱり友達ってのは大事だと、作れればよかったなと、思いました…

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