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2015/11/24

『寺山修司 その知られざる青春』

『寺山修司 その知られざる青春』(小川太郎:著 中央公論新社 Kindle版)読了。
寺山修司が22歳で『空には本』を上梓するまでの評伝です。寺山修司の生い立ちからさらに遡って、あの、寺山修司の母・はつの生い立ちなどにも触れられています。

筆者の小川太郎さんは女性週刊誌の記者でいらして、生前の寺山修司とも親交があった方だそうです。

寺山修司の大好きな言葉のひとつに「事実は人間がいなくても存在するが、嘘は人間がいなくては存在しない」というのがあります。『嘘』は『事実』よりもむしろその人について雄弁に語るものなのかもしれません。

「今の筆者には、「実際に起こらなかったこと」というのは、寺山の場合、「実際に起こったこと」と光と影のような関係のようなものであり、「起こったこと」の影が、寺山が創造した「虚構」の言葉のリアリティーを複雑な回路を経て支えているのではないか、と思われてならない。寺山修司の評伝に意味があるとすれば、恐らくその回路を追求するという一点にあるのではないか。(本書「はじめに 実際に起こらなかったことも歴史の裡である」より)

というスタンスで書かれています。

そして、まず、寺山修司の母親・はつの生い立ちから書かれています。

私は近年、「『才能』とは『欠落』である」と言えるのかなとよく考えています。
『欠落』を抱え込んで苦しむ人が、その『欠落』を埋め合わせようとして何かを創る、そういえるのではないかと思うのですが。いや、それがすべてではないとは思いますし、また逆に、人が人たりえた、さまざまな文化や文明を創造してきたのは、人が根本として『欠落』を抱え込み、それを埋め合わせようとしているからではないかとも思っています。

寺山修司については、その『欠落』は、幼いころに父を戦病死で失い、また母も米軍基地で働くために遠くに行ってしまい、寺山はひとりになってしまった事ではないかと理解していたのですが。
寺山の母・はつの生い立ちもまた『欠落』であったのだなぁと思います。はつが私生児だったことなどは、寺山修司の著作や評伝にたびたび書かれているのですが、今の今までそこまでは考えが回りませんでした。

筆者もその『欠落』に気がついているのか、本書の冒頭。

何か拭いがたい負け目を持った少年が、自分がひそかに選ばれた者だ、と考へるのは、當然ではあるまいか。(三島由紀夫『金閣寺』より)

という言葉を置いています。

まさに

「人に負けるな」と教育した母の「執念」と、類いまれな寺山修司の自己顕示欲、そこになんらかの因果を筆者はどうしても感じてしまう。」(第6章)

と。寺山修司の欠落は母・はつからも連綿と続く欠落でもあったのかと。
…と考えると、寺山修司が病弱を省みず、命を削っても創作に打ち込んでいたのは、また、母からネジを巻かれていた結果でもあるのだなぁと。そして、母・はつもそれに気がついていたのかなぁと。

寺山修司関連の書籍を読んでいると、ほぼ異口同音に、寺山の母・はつはおっかない人だったと、いくつかのエピソードを交えて描かれています。トークショーなんかでもお話を伺ったことがあります。
寺山の周囲に集まってくる人たちを、健康状態の思わしくない寺山の命を縮める存在として蛇蝎のように憎んでいたと。入院中の寺山のもとにさえ、多くの人が集まっていたそうです。

しかし、その根っこには、息子に「人に負けるな」と教育していたせいでもあるのだろうなと。そしてそう教育した結果が病弱な体に鞭打って活躍を続けたことで。命を縮めたことで。そのこともまたはつは気がついていらしたのかなぁと。だからこそあれだけヒステリックだったのかなぁと。そう思うと切ないものがありますが…。

そう、その、寺山修司の『自己顕示欲』。

やっぱり読んでてちょっと鼻白むようなエピソードもありました。また逆に強烈に人をひきつける力、親分肌、カリスマ性といったものも。やっぱりそれもさみしい幼少期を過ごした寺山修司だからこそなのかなぁ。
例えば私が寺山修司に出会うことがあったとして、「この人についていこう」と思ったかな…。たぶん無理だったろうな。と、本書を読んでて思ったりして。

いろいろ面白いエピソードもたくさんあって、とても興味深く読みました。

キラ星の才能たちが集まってサロンのようになっていた寺山が入院している病室の話とか。

寺山修司が九條今日子さんとであったのは、退院後に映画の仕事を始めてからと思っていたのですが、入院中すでに九條さんにプレゼントを渡すよう頼まれた寺山の友人もいたそうです。もうすでに松竹歌劇団のレビューで九條さんを知っていたのではないかという指摘。

詩人の谷川俊太郎はこう語っている。
「寺山が短歌で青森県らしき場所を出したりするけど、それもぜんぶ根づいてないフィクションですね。あれを文字通り土俗性と読む人はコロッとだまされているんだと思う。ほんとうに青森県に生れ育ちながらも、それをフィクションにすることのできる強さはすごいね」(「シンポジウム寺山修司と文学」『現代史手帖』昭和五十八年九月号)
谷川俊太郎の指摘はその通りだと思う。(第十一章)

寺山のそういう世界って、つまりフィクションなのか。だからこそそういう世界をあまり知らない自分が惹かれるのかなぁと。なんかちょっとわかる気がします。

第十五章「「夏美」の歌」」での

寺山修司という作家の著しい特徴は、限りなく芸能人に近いという所にあるという言い方をしても、大きく外れないのではないか。」

という指摘。そうか、寺山修司って確かに「タレント文化人」のはしりみたいな部分もあったなぁと。今だったらワイドショーのコメンテーターなさっていたかなぁとか思ったり。

寺山修司の若き日の恋愛話とかも興味深かったです。読みながらこちらも少しこっぱずかしかったけど。

それからあの短歌盗作事件も。

本書で紹介されている寺山の若き日の詩劇『忘れた領分』の一節、

「誤解でしあわせになれるなら、誤解で満足できるなら、僕は誤解を愛するな、そして真理だと思っていたのが実は誤解で、誤解だと思っていたのが真理ということになる。誤解万歳じゃありませんか」

という指摘には深く頷きます。私はまだそこまでの境地には達してないけど。

そして*私的に*いちばん興味深いエピソードが「父親になれなかった寺山修司」のおはなしです。寺山の親友だった山田太一の

「死ぬ少し前にぼくの家に来た時「俺は父親になりたかった」って言ったんですよ。「まもなく死ぬかもしれないけれど、父親になりそこなっちゃったよなあ」って言ってましたね。(『現代詩手帖臨時増刊』昭和五十八年十一月刊)

という証言。先日拝読した白石征さんの『望郷のソネット 寺山修司の原風景』にも同様の指摘がありました。寺山の晩年(といっても40代…)の短歌「父親になれざりしかな遠沖を泳ぐ老犬しばらく見つむ」も紹介して。
ひょっとしたら寺山の「欠落」をほんとうに埋めることは、あのように才気煥発に活動することではなく、暖かい家族を持つことだったのかもしれないなぁとふと思ったりします。活躍すれば活躍するほど「渇え」は増していたかもしれないなぁと。しかし、暖かな家庭を持つことは寺山にとって、不可能なことだったのだろうなとも思います。あれだけの超人的な活躍はできても。

この「父親になれなかった寺山修司」のことは、その白石征さんの『望郷のソネット~』や本書を読んでつらつらと考えたりします。そしてそれはわが身における問題でもあります故。

ある映像作品で寺山修司の弟、森崎偏陸さんが「寺山の子供たちを捜したい」とおっしゃっていたのはそのような事だったかもしれないなぁとも。

本書は寺山が22歳で『空には本』を出版するまでの評伝でありますが、本書の巻末にある著者が見聞したその後の寺山修司のエピソードについても興味深いものが多かったです。

天井桟敷と状況劇場の乱闘事件の細かいお話とか。九條今日子さんとの離婚のエピソードとか、「のぞき事件」当時の寺山の様子とか。ここらへんは女性週刊誌の記者でいらした著者さんの筆致もあって興味深く面白く読めます。

そしてそこにも谷川俊太郎の

おれが結婚して、何となくマイホームでルンルンやってると、彼が「そういうのもいいなぁ」って、おれは極力止めたわけ、「おまえは違う」ってね。だって彼はマイホームなしに育ってきたんだもの。そんなものは必要じゃないんだよ。極言すれば彼は生活してなかったと思う。周りの人が生活させてあげてたんだよ

という指摘もあります。

事件があり、取り乱しつつ立ち直り、余裕をうそぶく「リアル」な寺山修司の姿。

ほんと本書はもっといろいろ面白い、興味深い話がたくさん載ってて、とても面白かったです。Kindle版なら簡単にマーカーもつけてあとから読み返せますし、検索も簡単ですし、もちろんいつも持っていられて、いつでも自由に読み返せますし、便利ですな。もちろん「紙の本」も好きだし、無くなってほしくはないのだけど…。

本書中たびたび引用されている中野トクとの書簡は本になってますね。未読なのですが。
山田太一との書簡も先日書籍になりましたし、そっちの方も読まないとなぁ。
そうやって資料をつき合わせて読んでいく楽しみというのもありますな。

もっと読んでいきたいなと。

しかし、ぼんやり生きてるあたしと寺山修司ってほんと月とスッポンだわ…

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