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2015/09/02

昭和精吾さんのこと

昭和精吾についてのおしらせです(こもだまり)(『昭和精吾の陸海空』)
昭和精吾さんがお亡くなりになられたとのこと。ショックです。

昭和さんは寺山修司率いる演劇実験室◎天井桟敷の元団員でいらして、今日まで「天井桟敷の語り部」「寺山修司の語り部」として、当時の天井桟敷のお芝居の一節や寺山修司の詩や短歌の朗読、そして当時の思い出話などの公演をなさってきた方です。そしてまたあの伝説の「力石徹の葬儀」で弔辞を読まれた方であります。

初めて行った昭和精吾さんの公演は何だったかしら。じぶんの古いネット日記の記事を検索すると、一番古い昭和さんの公演の記述は2002年5月4日、初台のThe DOORSでの公演『われに5月を』でした。それが初めてだったのかな。
行ったきっかけは何だったか。「月刊テラヤマ新聞」さんの紹介記事からか、それとも三上寛さんご出演ということからか。憶えてはないのだけど。ボロボロの星条旗を振って語る昭和さんの姿が印象的でした。

ちなみにそのボロボロの星条旗、その日は911テロの残骸から掘り出した物って少々アブナい触れ込みでしたが。実は昭和さんが『時代はサーカスの象に乗って』でお使いになっていて、後日映画か何かで火をつけて燃やすシーンを撮って、ボロボロになったそうであります。後日そういうお話しもありました。

私は天井桟敷のお芝居は見ずじまいになってしまったのですが。それでも天井桟敷のお芝居の断片を見せてくれる、当時のお話を聞かせてくれる、昭和さんの公演はとても楽しく、何度かお伺いしました。

昭和さんの公演で一番驚いたのは、当時の生原稿とか貴重な資料をお客さんに手渡しして回覧で見せてくれるってことです。ほんと超貴重な資料なのに、美術館か博物館のガラスケースの向こうに鎮座していてもおかしくない品なのに。ありがたかったです。

いちばん最後に拝見した昭和さんの公演は先月、8月15日・ザムザ阿佐ヶ谷での『「寺山修司をうたう」~思ひ出の沖縄ジァン・ジァン公演より~』という公演でした。(いや、この公演もブログに書こうと思っていたのですが、書いていなくて…)
「思ひ出の沖縄ジァン・ジァン公演より」というサブタイトルの通り、30年前の沖縄ジァン・ジァン公演に参加された原サチコさん、津田卓也さんをゲストにお迎えしての公演でした。

最初が昭和さんのコーナー。『李康順』がありました。「母殺し」をモチーフにした長編詩。これは最初に拝見した昭和さんの公演でも拝見した作品です。好きな作品です。
そして原さんと津田さんのコーナーがあり、そしてトークショー。トークショーには御三方に加えて、天井桟敷団員だった、今は沖縄在住の網走五郎さんんがスペシャルゲストでした。

網走五郎さんは手記『網走五郎伝』があります。天井桟敷時代、北方領土に泳いでわたったこと、尖閣諸島に手漕ぎボートで渡ろうとしたこと、などが書かれてます。天井桟敷時代のコーナーのボリュームは少ないのですが、他の寺山手記本とは少々違う寺山修司像が描かれています。そして網走さんのことは他の方がお書きになった寺山本にも出てきます。
天井桟敷時代の網走五郎さんの武闘派っぷりの思い出話。寺山修司さえ容赦しなかったそうです。

そのあと打ち上げにも混ぜていただいて、ほんと楽しかったのですが。そして昭和さんもお元気そうで。「こんどの公演はいつかなぁ。行けるといいな。」と思っていたのですが…。

いや5月3日の昭和さんの公演『寺山修司生誕80年記念 われに五月を 特別企画 「寺山さんってなんだった?」』に天井桟敷団員でいらした萩原朔美さんがゲストにいらして、「昭和精吾への弔辞」というのをお読みになりました。昭和さんは「『本番』も同じように読んでもらう予定です」と笑っておっしゃっておられましたが、その時はもう覚悟してらしたのかなと今にして思いもします。

昭和さんのいっとう好きな演目はやっぱり『李康順』です。そして『時代はサーカスの象に乗って』の一節になるのかな、それ。あと「1メートル四方1時間国家…」もいいな。いや、ぜんぶいいです。そしてあまり見る機会はなかったけど、『犬神』の一節。昭和さんが犬神の仮面をつけた瞬間、まったくの別人の風情になるのが凄くて、強烈な印象でした。

もうそれを見ることも叶わないのか…

8月15日の公演ももっと気合を入れて、何も漏らさずに集中して拝見してればと後悔してます。あれが最後の公演だったのに…。後悔はいつも手遅れになってから。

いや、まだ信じられないのです。亡くなったってのはウソで、またひょっこりと「昭和精吾復活公演!」なんてありそうな気がするのです。昭和さんは公演のたんびに「これが最後の公演」とおっしゃっていた記憶もあります。そして公演を続けていらしたから。

いや、いや……。

もう何度も、誰かが亡くなるたびに書いていますが。

もし遺された者にやるべきことがあるとすれば、できることがあるとすれば。

それは嘆き悲しむことではないのだ、と。そんな暇はないと。昭和さんの遺されたものを大切にし、「『天井桟敷の語り部』の語り部」「『寺山修司の語り部』の語り部」となり、そしてそれに「昭和精吾の語り部」を加えて、善きものを大切に語り継ぎ、後世に伝えていく事ではないかと思います。 

もちろん昭和さんの万分の一の力もない私にそれができるとは思えないのですが。それはわかっているのですが。

昭和精吾様

楽しい思い出をたくさんありがとうございます。

そのうちのいくつかはこれからもずっと、私の中で生き続けるでしょう、

私の番が来る日まで。

そして、その時までに、昭和さんから頂いたものを、少しは周りの人に、後の人に、プレゼントできるように。

そのことを、そうできることを…。

さようなら、であります。

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