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2015/04/23

中森明夫『寂しさの力』

『寂しさの力』(中森明夫:著 新潮新書)読了。

先日、著者の中森明夫さんがご出演のこじんまりとしたトークショーにお伺いする機会がありました。
トークショー、面白かったです。なのでなにか著書を拝読したいなと思ってたら、ちょうど本書が出て、新書で手ごろなボリュームと価格帯だったので、買ってみました。

そのトークショーでお話を伺う以前の中森明夫さんに関する知識といえば「『おたく』の命名者」ということでした。(『おたく』の語源については諸説あるようですが)
『おたく』という言葉が生まれ、人口に膾炙し。最初は悪い意味で使われてて。犯罪者予備軍みたいな感じでしたか。今はどうなのかなぁ。ネガティブイメージはだいぶ脱したと思いますが。ま、世間サマにとっては『おたく』はカネになるなら大歓迎って方向でしょうかしら。

まぁ、週刊誌の記事なんかでも特定の(読者が「私たちと違う」と思う)集団を「○×族」なんて呼んで記事にするというのはごく普通のスタイルだし。元々はそういうフォーマット的に作ってみた記事だったのかもしれませんが。
もちろんそういうのって、その記事が対象としている人たちから嫌がられたり、「ほんとうにいるの」ってツッコミが入ったり。そしてたいていはすぐに消えてしまうのでしょうが。そういった「○×族」記事作りの中では『おたく』はちょう大ヒットではなかったかと思います。

ただ、私は、別の意味で『おたく』という言葉にショックを受けました。
というのも私は小さいころ、二人称が「おたく」しか使えない子供だったのです。「きみ」とか「あなた」とか「おまえ」とかはなぜか口にできなくて。相手を呼ぶときは苗字にさん付けか「おたく」しか使えませんでした。そこにどういう精神医学的理由があったのかは解りませんが。それで世に『おたく』なる言葉が出てきたとき、愕然としました。

ま、もちろん、わたし自身『おたく』でありますよ。いや、岡田斗司夫のいう「知的エリート」という意味での『オタク』としてはレベルが低すぎるでしょうが。

いや、閑話休題。
本書の感想に入ります。

本書の章立ては以下のようになってます。

まえがき
序 章 人はなぜ泣きながら生まれるのか?
第一章 悲しさは一瞬、さみしさは永遠
第二章 さみしさの偉人たち
第三章 芸能界は、さみしさの王国
第四章 さみしさの哲学
終 章 自分が死ぬということ

文体はこちらに優しく語りかけるような口調でした。
それがちょっと気恥ずかしかったです。
あ、そういえば、あの「『おたく』の研究」も語りかけの文体だったかしら。

序章「人はなぜ泣きながら生まれるのか?」
中森明夫さんは私より少し上の年代。独身。結婚歴はなし。そして近年「さみしさ」をひしひしと感じている。独りでいる時よりむしろパーディーなんかで人が集まってにぎやかな場所でふと「さみしさ」を感じる。
なんとなく、「この方お手本にできそう」と思いました。私より少し上の年齢の方で。そして、独身、ひとり暮らしという部分は私もですし。そしてなんとなく「さみしさ」を感じるツボが私と似ていますし。そしてこの「さみしさ」をどう処理するかが自分の中で大切な課題でありますし。そのお手本が知りたいと。

第一章「悲しさは一瞬、さみしさは永遠」
この章では中森明夫さんの来し方について書かれています。
私はずっと変な思い込みをしていたのですが。中森明夫さんって東京とか横浜の良家のボンボン育ちとずっと思い込んでました。良家に生まれ、オシャレな私立のエスカレーター式の名門校に通い、どっかの大学のマスコミ研とかミニコミサークルあたりからキャリアが始まったのではないかと。なんていうのかな「ホイチョイプロ」的な。そういったオシャレな人だったから『おたく』をああいう風に書いていたのではないかと。

中森明夫さんの生家は地方の酒屋さんで、父親が商売を大きくしていたそうですが、早死にされたそうです。
高校からは東京の名門私立大学の付属高に行ったそうですが、ドロップアウトし、故郷に連れ戻され。
そして故郷で万引きグループの仲間になり、補導され、東京に出てきたと。そして東京で父親の訃報を知ったと。

まぁ私ももっとこじんまりとしてますが、ローカルエリートコースドロップアウト組でありました。だから、そういうのに少し共感を持ちます。ただ「仲間」と呼べる人はほとんど作れず、だから万引きグループみたいなのにも縁はありませんでしたが。引きこもってドロップアウト、でしたが。
あ、そうそう、高校生ぐらい、あたしは地元のそこそこイイ進学校にいましたが、やっぱり万引き自慢の奴はいました。エリート校ゆえのそういうのを衒うメンタリティというのもあるかと思います。

あ、それと中森さんは重い自家中毒にかかったことがあるそうで。私も軽いのにかかった事がありました。今は「自家中毒」ってあまり聞かないけど、あれはいったいなんだったんだろ。

そいや『おたく』という言葉のルーツで、名門校の、育ちの良い坊ちゃん嬢ちゃんがお互いを「お宅」と読んでいたのが発祥だという説を呼んだ事があります。中森明夫さんが『おたく』を『おたく』と名付けたのは、高校時代、名門校でそういう世界を垣間見て、それに嫌悪を感じたせいもあるのかしら。

第二章「さみしさの偉人たち」。歴史上の偉人を取り上げて、その原動力に「さみしさの力」があったのではないかと語る章。偉大な業績を遺した人物だけではなく、ヒトラーのように大災厄を起こした人物についても語られています。
第三章「芸能界は、さみしさの王国」。中森明夫さんはアイドル関係のライターもなさっているようですが。芸能人にもその原動力として「さみしさの力」があるのではないかというお話。

以前、人格障害についての本を何冊か読んだことがあります。人格障害、「基底欠損」を抱え込んでしまった人たち。「基底欠損」とは「基本的信頼感」の欠損。「基本的信頼感」とは生きていく上に必要な基本的な信頼感。(ここらへん、生半可な知識なので間違っている可能性があります。あまりあてにしないでください。)

基底欠損を抱えた人たちの芸術的才能。たぶんその欠損を埋めようとして…、なのでしょうが。その「基底欠損」が「さみしさ」なのかなぁとも思うのですが、どうかなぁ。また、人格障害の人には強い「見捨てられ不安」があるそうで、それはたとえば芸能人が一生懸命になって人気を得ようとする原動力になってるのかもしれないと思います。
しかしその欠損は埋まることなく、功績を残すとともに周囲をかき回したり、トラブルを起こしたり。そして時には自ら命を絶つ、と。そういうことじゃないかと思うのだけど。

近年やっと「才能とは『欠落』である」という言葉の意味が解ってきたような気がします。
その欠落が苦しいから、それを逃れようと人は(美術芸術のみならずビジネスなどの意味においても)創作する。欠落が大きければ大きいほど、それを埋め合わせようと創作に打ち込む。その欠落がもたらす力が「寂しさの力」ではないかと。

第四章「さみしさの哲学」
こちらは哲学者と「さみしさの力」についての章です。
哲学者の孤独観を紹介したり、ツッコミを入れたり。

終章「自分が死ぬということ」
この本をお書きになったきっかけについてのお話があって。
それは私にも…な話で。だからずしんときました。

本書を通して。

私は「さみしさ」の人であると思います。うまく人と付き合えずにきました。その事は仕方ないとは思ってるのだけど。ま、なにか原因はあるのだろうけど。それを怨んでも仕方はないし、そしてそれが私の人生なんだろうけどけど。何とか「さみしさ」にさいなまれずに人生を平穏な気持ちで過ごしたいなと思っています。その方法がわかれば。

ま、どうなんだろ。本書はクラスから浮いているような、上手く人間関係が行ってないと思ってるような、「さみしさ」に囚われているような若い衆には、「それは君が将来大活躍する原動力になるのだよ」と教えてくれる、慰めてくれる本になってくれるかなと思います。

ただ、どうなんだろ……。私のように中年の域も過ぎつつあり、なんの才能もないのを自覚してる、世に出る事もあまり望んでない、ただ日々を平穏に、どこか少しでも「満たされた」気持ちを持って生きたい人物にとって、そういうのって、どうかなと。

今でも自問自答します。なんで「普通の」人生を生きられなかったんだろうと。うまく立ち回って少なくとも潰れる心配のない、そこそこの収入の仕事について。30代頭ぐらいまでには結婚、子供を作って。ローンで家かマンションを買って。日曜日は白い車を洗って。今ごろは子供の教育費をどう工面するか頭を悩ませたりしてて。

どうしてそう生きられなかったのかな?

ま、本書でも最初の方に結婚しても「さみしさ」は消えなくて、結局離婚した中森明夫さんの友人のエピソードが出てきます。私もたぶんそうなってしまうでしょう。よほど我慢強い奥さんでも貰わない限り。

ま、あとは迷惑かけないようにですね。「この人は私をこの『さみしさ』から救ってくれるに違いない」なんて妙な思い込みをして迷惑をかけた記憶はあります。つかストーカー?ほんと、そこも。それも「さみしさ」の害悪のひとつと思います。どうすればそうせずにいられるか。

あと世の中の動きですね。今の時代、SNSが発達し、みんな自分の携帯電話にかじりついてメッセージを送りあい、承認欲求を満たしあっている。「承認欲求」に餓えている。それは人と人のつながりが希薄になり、「承認欲求」を満たしにくくなっている時代のせいか、それとも携帯電話みたいに承認欲求をいつでも満たせるツールの発達によってかえって餓えるようになったのか。つまり『中毒』になったのか。

現代は「さみしさ」の時代なのかもしれません。

本署は自分の中でもやっと考えていたこのようなことを改めて考えてみるきっかけを与えてくれました。とても良い本でした。
そして早く自分が「さみしさ」とうまく付き合えるようになりたいなと思ってます。それはたぶん消えないでしょうし、自分をさいなむ事をやめはしないでしょう。ただ、それを少しでも軽くできれば。そして、周りに迷惑をかけないようにできれば。

そう思ってます。

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