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2014/03/03

万有公演『観客席』

昨日は三軒茶屋のシアタートラムへ。演劇実験室◎万有引力公演『観客席』を観てきました。
ある意味、演劇実験室◎万有引力のエッセンスのぎゅっと凝縮された公演かと。

寺山修司率いる演劇実験室◎天井棧敷、そしてその衣鉢を継ぐ万有引力のお芝居は、その根底に、「この世そのものが虚構、お芝居である」という思想があると理解しているのですが。

だから、お芝居の始まりは定かではない、開演を観客に伝える緞帳は使わない。客入れ時点ですでに俳優さんたちが蠢いている。そして、お芝居の終わりも定かではない。役者さんがはけ、客電が点いて、なんとなく「お芝居」の終わりが判る。っていう感じ。つまり、「ほんとの意味」ではお芝居は始まりも終わりも無い。だってそもそもこの世そのものが虚構、お芝居だから、というコンセプトではないかと。
そしてさらにその考えを進めて、“演劇”を“劇場”から解き放つ「市街劇」もあったのではと。

そして、さらにさらにその考えを進めれば、その根底にあるのは「所詮全ては幻想で御座います」という岸田秀の唱えた『唯幻論』的な考え方であろうと思います。(ここで吉本隆明の『共同幻想論』も出さないといけないのだろうけど、そっちは不調法なので…)
それが寺山修司の思想の根底にあったのではと。

私は高校時代に寺山修司に出会いました。そして『唯幻論』を知ったのは、中年に入ってだいぶ過ぎた近年になりますが。『唯幻論』は、この現世に対する違和感を癒してくれる、私にとってとても大切な「おくすり」になりました。ただし、あまり人に奨める事ができる「おくすり」ではないかと。たぶん、ややこしい自意識を抱え込んでしまった私みたいな人のみに処方できる、普通の人にとっては劇薬みたいな「おくすり」じゃないかなぁと。ただ、必要な人にはとても必要な「おくすり」ではないかと。
そして、寺山修司ファンだったのも『唯幻論』的な考え方と自分が親和性があったのだなぁと改めて気づかされたりしましたが。いや、閑話休題。

そして、その世界観だと、俳優と観客というのも容易に立場が逆転する、入れ子細工になっちゃうんじゃないかと。“虚構”に身を置く俳優、“現実”に身を置く観客、しかし全てが“虚構”なら俳優と観客は容易に立場が入れ替わる。
その観客論と、その実験的なもの、(たぶん、その前身の演劇実験室◎天井棧敷から)受け継いだ、万有引力のお芝居にも通底している思想、そのエッセンスをぎゅっと凝縮したものが今回の演目『観客席』じゃないかと。

そう想像してましたし、理解しているのですが(外していたらごめんなさい)

だから、今回の公演はとてもドキドキしてました。万有のお芝居はいつも少しはそうなんですが、今回はさらに「客席は安全地帯ではない」という方向で行くのではないかと。

この『観客席』公演には昨秋には出演者募集のワークショップがあったそうで、
◎俳優を演じることになる俳優
◎観客を演じることになる俳優
◎観客を演じることになる観客
が募られたそうでありますし。この“俳優”と“観客”の入れ子構造を演出で取り入れられるでしょうし。そしてこのワークショップでは募られない、募ることのできない「俳優を演じることになる観客」もアリでしょうし。(今までの万有公演でもお客さんを舞台に上げることは何度かありはしたけれど)

という方向でいつも以上の緊張感を抱えながら三軒茶屋のシアタートラムへ。
シアタートラムでは万有の『奴婢訓』を見てます。小ぶりですが、きれいで、面白い感じの劇場ですね。客席も傾斜のきつい雛壇形式、そして小ぶりだけど天井の高い舞台もいい感じです。好きです。小ぶりなぶん、肉声で台詞も通しやすいかなぁ。(これ今回気がついたところ)

(現在公演中でありますし、ネタバレはなるべく避けたいと思いつつ、ある程度は内容に触れて書いていきます。ご注意であります。)

万有の客入れは整理番号順にお客さんを並ばせ、開演直前に一気に入場、そして席自体は自由席という事が多いのですが。今回はごく普通の入場。席も指定席。
まぁこれに関してはシアタートラムには普通の万有の客入れみたいにお客さんを整列させるスペースが無いって事情があるかと思いますが。しかしそのおかげで、今回の万有公演は、この『観客席』においては、普通のお芝居ぽく「擬態」させる演出にもなりましたな。

で、席について。前売り券は12月のJ・A・シーザーコンサートで先行発売されたのを買ってありましたので、前のほうのイイ感じの席になりました。
んで、開演を待ってると、なんか妙に違和感を感じるのですわ。なんかおかしい、いったい何なんだろうな…と思って、ふと気がつくと。

あれ、万有公演なのに緞帳が下りてるじゃん!(正確にはシアタートラムの緞帳は上下するタイプじゃなくて左右に開くタイプなので“下りた”は違いますが)
緞帳の下りてる万有公演って初めてのような…。これも普通のお芝居に“擬態”してたのでしょう。

自分の席から周囲をきょろきょろ。昨秋の万有引力のワークショップで募られた「観客を演じることになる俳優」が客席に伏兵として数多く潜んでいるに違いありません。背後からいきなり喉笛を掻き切られてももんくは言えません(チト大げさ)。

ややあって開演。1ベル2ベルのある万有のお芝居も初めてかもしれない。
(あとはネタバレになるのであっさり目に)

公演、楽しかったです。

今回はコンセプチュアルな演目だから、ひとつづきのストーリーではなくショートコーナー集、レビューといった感じ。観客席に潜んだ俳優、そして「俳優を演じることになる観客」もまた…。

(あたしは「観客を演じることになる観客」という役どころ、うまくやれたかな?)

暗闇の中のお芝居も素敵でした。あれはほんと暗闇の中でも動ける、鍛え抜かれた万有引力俳優陣ならではと。今は亡き法政大学大講堂であった『盲人書簡』でもそういうのありましたけど、やっぱりトラムぐらいの規模の劇場だと凝縮感があって臨場感が凄いです。

ほんと、面白かったです。

公演後、万有引力の高田恵篤さんと映画監督の園子温さんのトークショーもありました。
園子温監督は『書を捨てよ町へ出よう』がきっかけで映画監督になったそうです。かつて抱いていた寺山修司に対するツンデレ(?)な機微は、私にもおぼろげにわかります。

私はさいぜんグデグデとコンセプチュアルなことを偉そうに書きましたが、高田恵篤さんの実際に演出とご出演に関わっていらっしゃる方としての意見もまた。いや、ま、だから、コンセプトはともかくも実装面から言えばお芝居は始まり、終わってるのだから……。
私だって『唯幻論』とかゆーてますが、徹頭徹尾唯幻論で生きられてはいないよなぁと。それはまた「母殺し」を唱えつつ、その生涯けっきょく母親から逃れられなかった寺山修司もまた自身の“思想”と“現実”との間を生きていたと言えるかもしれないなぁと。

まぁ、寺山没後30と1年目、現代の世の中、「現実」がますます脆弱となり、「虚構」に侵食されていると思います。だから、この寺山の思想性の斬新さがあまり伝わらなくなってきてるかもしれませんね、確かに。

次回の万有公演は5月。『リア王』をかけるそうです。いや、教科書や子供向けの読み物のレベルでしか『リア王』は知らないのですが、それを万有式に料理するといかなるお芝居になるのか興味津々、楽しみです。
2ヶ月でまた本公演というのは、万有の皆さん、大変だと思いますが、楽しみにしておりますよ。

しかし、セカイが虚構、ひとつのお芝居なら、かわいい女優さんがやってきて、「私があなたの恋人の役を、あなたが死ぬまで務めます」という一幕を、誰かかけてくれないかなぁ。なんちてなぁ。無理かなぁ……。
(結局それかいっ!)

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