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2013/07/29

万有公演『邪宗門』

昨日は高円寺の座・高円寺へ、演劇実験室◎万有引力公演『呪術音楽劇 邪宗門』を観てきました。楽日の最終回になります。

『邪宗門』、寺山修司率いる演劇実験室◎天井棧敷の伝説的な公演。海外公演ではたびたびかけられた演目のようですが、日本国内では渋谷公会堂で1972年に1度だけかけられた公演(間違っていたらすみません)とか。その公演は大荒れに荒れて、野次と怒号と乱闘の中、上演されたとか。
日本刀持った客が舞台に上がってきたとか、寺山が懐にドスを忍ばせていたとか、そういう「伝説」があるようです。

どういう流れでそういう荒れた公演になったかはよくわからないのだけど。ま、当時はまだまだ若者が血の気が多かった時代、そして、寺山が挑発的な言動を繰り返していた時代だったのだろうかなと思います
ただ、そこらへんの寺山の挑発的な、特定の相手を怒らせるような言動についてはあまり読んだ事はないのだけど。どうだったのかなぁ。
ただ、あのころ、新宿ゴールデン街あたりの演劇関係者の集まる酒場で寺山の悪口を言うと、なんぼでも酒をゴチになれたという話は聞いたことがあります。

『邪宗門』自体は、3年ほど前にA・P・B-Tokyoさんの公演を拝見しています。それも面白かったです。元・天井棧敷団員の昭和精吾さんがかつての天井棧敷公演そのままの鞍馬天狗役でした。

だから、まぁ、どういうお芝居かの事前の知識は持ってるかたち、かな。
なんか72年のオリジナル公演についての書籍とかあるようですが、そちらは読んでないのですが。

(以下、ネタバレゾーンにつき)

1時半開場、2時開演という事だったのですが、1時半少し前に到着。もうその時点でお客さんは整理番号順に並んでいました。万有の客入れは整理番号順に並ばせて、開演直前に一気に入れるというかたちだったので、2時少し前についときゃいいと思いましたが、どうも早めに行かないといけないっぽい情報も入ってきていたので。

そしてぴったり1時半に客入れ開始でした。

万有引力の公演は、客入れ開始の時にすでに役者さんが舞台や客席を蠢いていることが多いのですが。今回はいつもよりパワーアップして、音楽も轟々と、役者さんたちも大勢動き回っていました。客席を回って出て客いじりとか。もう開演してると言っていいかも。(本稿的には「開演」という言葉は使いたくないけど)

舞台装置は正面真ん中に鳥居の一番上の横木を取り除いたような朱色のでっかい門、真ん中に出入り口のついたほぼ横いっぱいの大階段。梯子のついたやぐらなど。壇上に十字にはりつけにされた赤い襦袢姿の女性(お人形だったかもしれませんが)
そして、開場後、役者さんたちが垂れ幕や格子なんかを飾り付けていきました。

お話としては3つ筋があるかなぁと。ひとつは娼婦に「捨てたら嫁に来てあげる」とそそのかされて母親を捨てる少年の話。もうひとつは行方不明の父親を探す孝女・白菊という少女の話。そして、メタな部分から、角兵衛獅子と鞍馬天狗のおはなし。

たぶん、少年と少女の話は、寺山修司自身の来し方の反映なのではと。
寺山は幼いころに父親を戦地で亡くしてますし。寺山は終生、母親・はつの呪縛から逃れられなかったし。
しかし、面白いと思ったのは、父親を見つけた少女は、逆に父親に犯され、いったんは母親を捨てた少年は、娼婦の裏切りにあい、母親をまた連れて帰るって点。

前者はともかく、「母殺しの思想」を唱えていた寺山としては逆じゃね?と思ったりもするのですが。寺山自身の「悪夢」なのかなぁ。終生母親の呪縛を逃れられなかった寺山修司。それは心の底では寺山が願っていたからだったのかもしれない。そういう部分が、日本国内での公演は1度限りだった理由かもしれない。
この母親役を男優さんが演じてました。さすがに女優さんにすると生々しくなり過ぎるからかなぁ。

角兵衛獅子と鞍馬天狗。すべては傀儡の入れ子模様。

もちろん寺山芝居なのですから、それぞれのストーリーがずんずん進むという事はなく、イメージの積み重ねのように進行していきます。広い舞台を所狭しと駆け巡る、鍛えられた万有男優女優陣ならではのアクション、そして歌と踊り。アングラ和風テイスト。J・A・シーザーの音楽。
あの息子には決して体を開かない娼婦のイメージは、74年の映画、『田園に死す』に展開していくのかなぁと。実はイイ男がいて、彼の戻るのを待っているという設定とか。

鞍馬天狗はA・P・Bさんで知ってはいましたけど、鞍馬天狗の扮装ではなく、ああいう衣装で演じられるのは驚きでした。天井棧敷では昭和精吾さんの役。
天井棧敷版では三上寛さんもご出演だったようですが、どんな役だったのかしら?途中でマイク片手に歌う人が出てきましたが、あれだったのかなぁ。

終盤は、万有引力がなぜ緞帳を使わない、カーテンコールもない、突然ぷつりと役者さんたちがはけ、客電が点いて、終わったか終わらないかよく判らない終わり方をするのかという、そのスタイルがどういう考えから生まれたのかという解説になってました。もうこの世界そのものが虚構で、お芝居で、ただ、「演目が変わるだけ」。

そして、A・P・B-Tokyoさんのお芝居でおなじみの、役者さんたちがマッチを擦りながら口上を述べるシーンでラスト。万有でこのシーンがある演目は珍しい、いや、始めてかもなぁ。これは『邪宗門』から始まったのかしら?知らないけれど。舞台は壊され、客電が点いて。

いや、ほんと、あの『邪宗門』、楽しみました。2・3回は観たかったなぁ。1回だけしか見られなかったのがとても残念です。

次の万有公演も見たいものですが…

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