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2013/07/13

新アニメ『ガッチャマン クラウズ』

今期の新アニメ、『ガッチャマン クラウズ』を見てみました。
「ガッチャマン」、オッサンホイホイなタイトルですな。

『科学忍者隊ガッチャマン』はいっとう最初のを見てます。ストーリーとかほとんど忘れてしまったけど(オープニングの歌が記憶に残っている程度)、放送は日曜だったかな?毎週楽しみに見ていました。ゴッドフェニックスのプラモデルも買ってもらって、楽しく遊んでいた記憶もあります。ちょうオッサンであります。

だから、もちろん、「ガッチャマン」のタイトルを冠した『ガッチャマン クラウズ』というアニメが始まると知って、ドキドキしながら待ってました。続編が見られるのかなぁという楽しみと、リメイクってのはたいてい裏切られるものっていうちょいと怖い感情と。

第1話。「Avant-garde」。主人公になるのかな、「一ノ瀬はじめ」という女の子がガッチャマンの一員となり、バトルに参加していくというエピソード。概要・世界観の説明回だったかと。

ネットでの評判でもありましたけど、ざっと見た限りでは、「これ、『ガッチャマン』シリーズの名を冠する必要あるの?」って感想でした。

決して面白くなかったという意味ではありません。ストーリー展開はまだどうだか自分の中では固まってないけど、絵柄、キャラクターデザイン、画的な演出、面白く思いましたし好きなタッチでした(一ノ瀬はじめが少々ウザかったですけど)。ただ、ほんと、なんで、『ガッチャマン』である必要あるの?って印象は残ったのだけど。

ま、「『ガッチャマン』シリーズの新作を(現代風のアレンジを加えた上で)、リメイクする」って企画があって、でも、企画が進んでいくうちに「原形を留めない」かたちになっていって、でも、「ガッチャマン」の名前を残さないとアカンってことだったのなかぁと思いました。

だいたい、コスチュームも統一感ないっぽいですし(デザインそのものは好きですが)、ばらばらなデザインのようです。
そして、全員が一丸となって敵にあたる、という行動様式も1話を見る限りでは、ないっぽいです。
そして、旧ガッチャマンが発達した「人類の」科学技術により実現されたものという話ではなく、地球外生命体のもたらしたテクノロジーによるものっぽいです。

視聴終了後、つらつら考えてると、先日読了したばかりの『「個性」を煽られる子どもたち-親密圏の変容を考える』(土井隆義:著 岩波ブックレット№633)がふと思い出されました。

旧作はどうだか忘れてしまったのですが、一ノ瀬はじめがガッチャマンの一員に選ばれる理由はあいまいです。なんらかの「能力」を見出されたっぽいのでしょうが。「正義を成したい」という強烈な衝動の持ち主でもなく、努力によって鍛え抜かれた能力の持ち主でもなく、仲間を助けるために自己犠牲を行ったところを助けられたのでもなく。

彼女は、あるとき突然、彼らのリーダーであるJJにスカウトされます。それはJJは彼女の中から、ガッチャマンの証であるアイテムの手帳を取り出すというかたちで。そのシークエンスを見ていて『「個性」を煽られる子どもたち』、正確にはそれを引いた『ギャルと不思議ちゃん論 女の子たちの三十年戦争』(松谷創一郎:著 原書房)の以下のくだりを思い出しました。

個性志向。社会学者の土井隆義は、他者との比較のなかで社会的に構築される「社会的個性志向」に対し、現代の若者はそうではない「内閉的個性志向」がある と論じている。この内閉的個性志向とは、「あたかも実体のように自己の深淵に発見され、大切に研磨されるべきダイヤの原石のようなものとして感受され」、 その原石を「本当の自分」だとする「内発的な衝動」の事だ。(『ギャルと不思議ちゃん論』149p)

まさにそれをビジュアライズしたシーンではないかと。

一ノ瀬はじめは手帳マニアみたいです。何冊もきれいな手帳を持ち、それぞれに何を書くか決めているみたい。そのエピソードは『「個性」を煽られる子どもたち』の「濃密手帳」について説明したくだりを思い出しました。

わずかな時間さえ自分が保てないといういうこの焦りにも似た感覚は、近年、少女たちの多くが持ち歩いている濃密手帳にもよく反映されています。
濃密手帳とは、微細な文字で埋め尽くされたスケジュール帳のことです。帳面の上では、空白の時間は文字どおりに真っ白な空欄となって可視化されてしまいます。彼女たちは、この空白の時間を極度に恐れて、細かな文字で紙面の全体を隙間なく埋めつくのです。ここには、「いま」に対する切羽詰った感情がよく表れています。(『「個性」を煽られる子どもたち』35p)

このくだりを思い出しました。(一ノ瀬はじめの手帳が「濃密手帳」であるという描写はありませんが)
そして、前述のとおり、ガッチャマンたちの変身アイテムも「手帳」であります。

一ノ瀬はじめという女の子、ウザキャラです。早い話が「空気の読めない」キャラです。先輩どころかリーダーであるJJにもにもタメ口、なんとなく「場の空気」でできてるタブーも一切お構いなし。
それは彼女の素か、それともあえて「空気を読んで」、ああいうキャラを「演じている」キャラかどうかはわからないのだけど。
そういう演出手法のせいか、ガッチャマンの先輩メンバーたちも、どうも素かツクリかわからないけど、「集団の中のポジション」としてキャラやってるぽい感触を持ちました。

そして、その上だからそう感じたのだろうけど、一ノ瀬はじめは先輩メンバーに「新人」というその集団内での「ポジション」としての呼称で呼ばれるたびに「はじめッス」と“個”を主張するかたちで応えるのに引っかかりました(悪い意味ではなく)。そこらへんの描き方もちょっと興味を惹かれる部分。

そこらへんのキャラの「立ち位置」を意識して書かれているシナリオかなぁと。
そういった(どういった?)ものどもをわかった上で作られている作品かなぁと。

となると「ガッチャマン」という、オッサンホイホイな、オールドタイマー向けのタイトルをつけて、オッサン層をひきつけておきながら、あえてこういう作品にしたのではと、ふと思います。「あんたらオッサンたちの『正義の味方』像はこうだったかもしれないけど、オレたちの『正義の味方』像はこういうかたちだよ」という事を示そうとしたのではないのかと。
ガッチャマンに変身後の一ノ瀬はじめの得物がハサミをモチーフにしているのも、「旧作のしがらみを裁ち切る」という暗喩なのかもしれません。

その心意気、いいと思います。つか挑発?いや、今時の若い衆に「挑発」って言葉はいちばん似つかわしくない言葉かもしれないけどね。(挑発はしない、不可視化するだけ)

ところで、旧ガッチャマンは5人チームだったけど、『~クラウズ』ではあの人外パンダもどきを入れれば6人チームぽいです。序盤に誰かひとり死んじゃうのかなぁと思ったりもするのですが。それともこれも「あえて旧作はひっぱらない」という制作者さんたちの意思表明なのかなぁ。
(今回はメンバー全員が苦痛に顔を歪めながら「科学忍法火の鳥」をかけるシーンみたいなのあるのかしら?)

いや、まずは、「お手並み拝見」と思います。
継続視聴するかどうかはわからないけどね(なんかどんどん自閉化が進む我が身だから)。

いや、以上はうがち過ぎで手前勝手な感想だと自分でも思うけど…

しかし、『ガッチャマン クラウズ』って「クラウド化された『ガッチャマン』」って意味かしら?

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