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2013/05/06

2013年の寺山忌

5月4日は寺山修司の御命日。今年も高尾霊園の寺山修司のお墓にお参りしてきました。
4日の高尾霊園はいいお天気。そう暑くもなく。だいたいの年はいいお天気で暑いくらいの陽気で、汗まみれになるのですが。そこまでは暑くもなく、いいお日和でした。

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しかし、なんか、高尾駅のツバメが近年激減してるような気がします。高尾駅入り口にあったツバメの巣も去年あたりから見当たらないような?私はツバメの餌やりをぼんやり眺めるのが大好きなんですが。ほんの数年前までは京王線高尾駅のプラットフォームに立つと、行きかうツバメの鳴き声がうるさいぐらいだったんですが、それもあまり聞こえません。自然破壊とかあるんでしょうが、ちょっとさみしいです。

帰宅して、一服して。んで、、お次は新宿POOでの昭和精吾さんたちの「われに5月を」公演。
昭和さんの公演もほんとうに久しぶり。
こもだまりさん、イッキさん、そして昭和さんのお三方での公演でした。昭和さんの久しぶりの公演のせいか会場はちょうすし詰め。
こもだまりさんとイッキさんの「李庚順」、昭和さんの鞍馬天狗など、楽しみました。

昭和精吾さんは寺山修司の劇団・天井棧敷の団員でいらした方です。あの伝説の「力石徹の葬儀」で弔辞を読まれた方、というのがいちばん分かりやすい説明でしょうか。
最近オタクの間で、アニメやゲームの大好きなヒロインを「オレの嫁」と呼んだりするようですが。そういう風に、二次元の、虚構の世界の人物を、三次元の、現実世界の人物のように扱い、その死に際して現実世界で葬儀を執り行った、そういう意味で寺山修司はそういうオタクのメンタリティの嚆矢でもあったと思っています。また、その他にも虚構と現実の垣根を越境しようとする、解体しようとする行為を寺山修司は行ってきました。市街を舞台にした「市街劇」とかも寺山修司は行っています。

そいや、三次元から二次元のスクリーンの中に入っていくという、オタクの夢みたいなネタも寺山修司は実験映画『ローラ』でやってたなぁ。(いや、閑話休題)

今年は寺山修司没後30年です。節目の年のせいか、本屋さんでも寺山本をよく見かけますね。

私は高校時代、演劇部の部室に転がっていた、角川文庫版の寺山修司の戯曲集で寺山と出会いました。そして、寺山修司死去のニュースは故郷で知りました。寺山修司の棺を載せた黒いライトバンの映像、まだ憶えてます。
「家出」すれば、天井棧敷の末期ぐらいには間に合ったかもしれません。でも、そういう事をする根性もまたないのもわかっています。
しかしそれから数年後、いろいろあって、故郷にいたたまれなくなって、別ルートで上京しましたが。「家出」というにはちょう甘っちょろい行動でしたが。

そしてそれから幾星霜、このままじゃ近いうち人生詰むなぁと思いつつ、どこか焦燥感を感じつつ、まだ東京でふらふらやってます。ま、そんな人生を送っていますが。

ちょっと偉そうな事を書きますが。(ごめんなさい)

寺山修司没後30年。もし「現代のテラヤマ」が必要とされるのであれば、それは、30年前の寺山の言説をリピートするだけではなく、そこから学んだ「テラヤマ的」なものの見方、考え方でこの現代の世界を「さかさま」に見ちゃう事じゃないかなぁと。

「家出のすすめ」と寺山は書きましたが、もう「家出」しようにも、出るべき“家”は崩壊してしまってるのではないかと。「私が娼婦になったなら」と、娼婦に憧れる少女を寺山は書きましたが、少女が春をひさぐ行為は“援助交際”と呼ばれ、実態はどうかは分からないけど、“定着”したように見受けられます。「一点豪華主義人生」、その収入を趣味に集中的につぎ込み、暮らしの他の部分は貧しい事を受け入れる、そんな人生も、ソフトやグッズ類にその収入のほとんどを使い果たす“オタク”たちが実践していて、それはちっとも珍しい生き方ではなくなってるかと。

寺山修司が私の大きな助けになってくれたのは、そしてもし、「テラヤマ」が現代にも生き続けてくれるのであれば、それは、その時代の支配的な考え方や生き方にうまくなじめない、どうしても違和感を感じてしまう人たちに、この世の中だって、ちょっと視点をずらせば軽やかにひっくり返り「さかさま」になってしまう、という事じゃないかなぁと思ってます。

「家づくりのすすめ」「純潔のすすめ」なんかだって。それらを、過去の価値観のリバイバル、旧守ではなく、寺山式の、ほんのちょっと視線をずらして、軽やかにこの世の支配的な価値観や生き方をひっくり返して見せる、そういう行為の結果として見せてくれるのであれば、それもアリじゃないかなと思ったりもします。

30年というと一世代が過ぎたと思います。これからも「寺山修司」は生き続けるでしょう。
ある種の人たちの「特効薬」として。それは、必要としない人たちには、この世をありのままに生きられる人たちには、受け入れて生きられる人たちには、まったく理解もできないし、触れるべきではない、「劇薬」かもしれません。でも、必要としている人たちにはとても必要なお薬かと思います。この世に生きながら、どこか違和感を感じている、本田透さんが呼ぶところの「喪男」という人たちになるかなぁ、そういう人たちにとってはとても必要なお薬かと。

いや、岸田秀が書くように、この世は共同幻想。そして、「共同幻想」から取りこぼされた「私的幻想」は各人の中にくすぶっていて、それが社会の不安定要因になっている。「共同幻想」だけで生きている人はいない、程度問題、なのかもしれないけれど。

そういう「共同幻想」、つまり「虚構」からなる社会、支配的な価値観から取りこぼされた人たち、それに違和感を感じて生きている人たちにとって、「寺山修司的なるもの」はほっと息をつける、とても大切なものになると思います。そういう人たちが「寺山修司」という存在に気づき、それによって救われて欲しいと思います。出会ってほしいと思っています。

とまれ寺山修司没後30年。いいお天気のいちにちでありました。

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