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2012/08/03

自分の中の課題として

日本冒険小説教会が解散して。

個人的な事情ですが、ここのところ小説がまったく読めなくなっていました。ノンフィクションっていうか、軽めの教養本っていうか、そういうのならちょっとは読めるんですが。小説は読めなくなってる、読み始めてもすぐ放り出してしまう。部屋の隅にそういう読みさしの小説本が何冊も詰まれている状態。

たぶん、自分の心の中で、自分でもよく解らない変質が起きているのではと思うのですが。

でもなんかまたここんとこ小説本が読みたくなってきたかなぁと感じて。
そして、会員時代は、大賞の投票とかあるし、新刊本を読まなきゃと思っていたのですが、もうそんなことは気にしなくてよくなってしまって、だから、今まで読みこぼしていた昔の名作本とかいいかなぁと思って。

で、早川書房から映画化に伴ってジョン・ル・カレの「スマイリー三部作」が再刊されたと知って。実は恥ずかしながらスマイリー三部作は未読でしたので、読んでみることにしました。
再刊されたハヤカワ文庫の『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を買ってみました。
新訳版のようです。

本書には本編の前にジョン・ル・カレによる「序文」が収められています。本作を書くきっかけとか書かれた短いエッセイです。91年に書かれた文章のようなので、旧版には収められていないと思うのですが。オリジナルの『ティンカー~』が書かれたのが74年のようですから、17年後にどういうきっかけで書かれた文章かもちょっとわかりませんが。

この、序文だけで今まで自分がもやっと考えていた事をかたちにしてくれる文章に出会えました。それだけで本書を買ってよかったと思うくらい。

(BUFF註:ジョン・ル・カレが)フィルビー(BUFF註:キム・フィリビーのこと。有名な二重スパイ)をきらったのは彼がわたしとあまりにも多くを共有するからだった。(中略)大きすぎる男に育てられた子の対抗手段は、逃げとごまかししかないことを、私が知るように彼も知っていたのだ。わたしはまた、そうやって生まれた内向する怒りが、いかに容易に世間の父親像との愛憎、ひいては世間そのものとの愛憎関係になりうるかを知っていた、というか、知っているつもりだった。
(本書10p)

ああ、そうだったのだなと。 まさに「逃げとごまかし」の人生、 愛憎の人生だったなと

ま、正直言って、いろいろ無気力で迷走してる人生を歩んできたと思います。
たぶんそれは「大きすぎる男」に対するコンプレックス、強烈なアンビバレント、によるものだったかかなと。

もちろんそれで被害者面をしたり、誰かをなじったり、そういう事をしたいという訳じゃありません。被害者意識って不毛ですし。それにこれはなににも増して自分の人生。
ただ、「大きすぎる男」に抑圧と反発を感じることもありましたし、また逆にそういう「大きすぎる男」のおかげで自分の人生を怠けて楽して生きていた部分もあったかと。
ただ、そのアンビバレンツとコンプレックスが自分の人生の通奏低音だったかなぁと思うのです。

なんとなくそういう事はもやっとここ数年感じ始めていました。ただ、言葉にできるところまではなかなかいかなくて。
だから、この文章に出会って、そのもやっとした思いが形になって。言葉になった、「かたち」になったから、それに対峙できるかもしれないなぁと。

もちろんそれは自分が長い間生きていたことの通奏低音だし、それを否定すればそれまでの人生を否定することにもなりかねません。後悔する事にもなるかもしれません。ただ、そのことを自覚して、それと「折り合い」をつけて、どのくらい残ってるかわからないけど、自分の人生をちっとは心安らかに、有意義に過ごしていかなきゃなと。後悔に浸らずにね。

ま、いろいろ手遅れでしょうが、よりよく生きていくためにね。
せめてこれからの人生でも。

という訳で某氏構想中の『ぼくを殺したマチズモ』(でしたでしょうか?)も読みたいと思ってるんじゃがのぉ…。

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