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2012/06/19

名越康文『自分を支える心の技法』

『自分を支える心の技法~対人関係を変える9つのレッスン~』(名越康文:著 医学書院:刊)読了。
なんていうのかな、気持ち安らかに生きていくためのヒントが書かれている本、でありました。

名越康文さんの本は、まず最初に『危ない恋愛』という本を読みました。ちょうどそのころ精神医学に「基底欠損」って言葉があるのを知って。本書をぱらぱらとめくっていたら、その、「基底欠損」をキーワードにして書かれた本であるらしく、買って読むことにしました。

どうも私の心はどろっとしている、鬱々としている、生きてて楽しくない、気持ちよくない、と感じています。そういうどろっとしたのが普段で、時折心楽しむ、平穏な気持ちのときもある、そういう風じゃないかと感じているのだけど。

もう、そういう状態なので今まで生きていく上でいくつもへまをしたし、人にも迷惑かけたし、そしてそういう精神状態でこれ以上生きていくのは辛いなってほんと、色々取り返しのつかない年齢に達するにつれて、つくづく思うようになって。そういう状態から抜け出したくなって。だから、メンタルヘルスの本も時々読んだり、そういうのに対する解説サイトも巡ったりします。

その中で「基底欠損」という言葉を知り、どうもその鬱々とした部分はそこらへんが原因じゃないのかなぁとか思うようになって、それを扱った本が読みたくなっていた、という事でした。

それから数年して、大ファンの日比谷カタンさんというインディーズミュージシャンさんのライブ&トークショー『対話の可能性』企画で、名越康文さんがゲストの時がありました。「何たる偶然!」と喜んで見に行きました。

それがきっかけで久しぶりに読んでみたのが『心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」』でした。『心が~』では、「今・ここ」という考え方をベースにして心を軽くしようというコンセプトの本でした。
もちろんヒトがヒトとしてあるための大きな条件のひとつが「過去と未来を持つ」ことなんでしょうが。でもそれに囚われ過ぎるのもあまり宜しくない、そういう事であろうかと。

ま、そんな感じのスタンスの方です。トークショーは1回行ってて、本は2冊読んでて、今回『自分を支える~』で3冊目。

ただ、名越康文さんの著作を拝読していると、どうもどこかにかすかに違和感を感じることもあります。それはどこがどうっていうロジックというよりも、全体として自分の感性が感じる、ほんとにかすかな違和感なんですけどね。
とりあえずその事は正直に告白しておいて、『自分を支える~』について書いていこうかなと。

本書の前書きによれば、本書は「対人関係やセルフコントロールにつながる心理学的な技法」を解説した本であり、その要諦は「対人関係の問題を解決するには、結局のところ、“自分の心”に向き合うしかない」事のようであります。

そして本書では自分の中に生起する「怒り」をコントロールする技法を軸に解説が進められています。
まず、「目からウロコ」の指摘、そしてうんうんと頷けるような「技法」の紹介。そんな構成。

心を「暴れ馬」として、クルクル変わっていくものだと指摘して。
そして、コミュニケーションが厄介になった原因として、そもそも人は人として生まれたときからそうだと指摘します。

赤ん坊が泣く、それを聞きつけた母親が世話をするという“システム”から。
赤ん坊が泣くこと、それは「怒り」であると名越さんは指摘します。まず、原初として怒りをもって母親や周囲の人間を動かし、自分の欲望を満たさせるシステムであったと。

つまり僕らは、生まれてから二、三年の間に、「自分にとってもっとも大切な相手に対して、もっとも激しい怒りをぶつけ、それによって不快を除去してもらう」というコミュニケーションパターンを繰り返し刷り込むことによって、心を形成してきたんです。
(中略)
僕たちは、もっとも自分のことを気遣ってくれる人に、もっとも感情的な怒りをぶつけてしまうことを宿命づけられた存在なのです。(本書42p)

実はこの「怒りの起源」は、「愛情欲求の起源」でもあります。
(中略)
そしてこれを求める心、すなわち愛情欲求は、僕らが種として生きていくうえで欠かせないものであると同時に、僕らの心を疲弊させる、最大の原因のひとつにもなっています。(46p)

このジレンマ、ある意味「原罪」とでも呼べるものなのかなぁと。

この「怒り」がどれだけ人の心にありふれた現象であるか、心の動き、物言いのアレコレにも怒りの感情が潜んでいると筆者は説き、そしてそれが人のパフォーマンスをいかに下げるか説明していきます。

そしてその、「怒り」を少しでも減らしていく方法を解説していきます。瞑想などのメソッドを。

そして、終盤は性格分類についての解説に移ります。ただ、ここらへんは、分析手法とかにはあまり触れていなくて。それは他の本なんかに譲っています。
それはつまり「人それぞれ、誰しも貴方と同じ感受性を共有しているのではないことを理解して。それについても怒らないように。」という事をまずおっしゃりたかったのだろうと。

この時代、「KY」とか言って、同じ感受性を共有することを共生している部分があると思います。そうじゃないんだ、みんな違うメンタリティを持っていて、違う感じ方をする。そこから通じる部分を探しあうことが大切、なのかもしれません。

私事的にちょいと驚く指摘もあって。

私は朝、寝床でぼんやりして、泡沫のように浮かんでは弾ける思考に浸るのが好きなんですが。それを筆者は「朝の自動思考」と呼んで避けるべきものとしています。朝目が覚めたらスパッと起きろと。暗い考えが浮かんで、心を疲弊させるからと。
まぁたしかにあの混濁した意識の時間、「早く行かなきゃ」と思うのと同程度の気軽さで「早く死ななきゃ」って思考が浮かんだりもしますが。う~ん、鬱にからんでるのかぁ…。(それはそれで面白いんですけどね)

とまれ、ほんと残りの人生、心穏やかに過ごしたいと思いつつ。
「人間だらけの東京に 怨みの花を咲かせよう そして走ろう 地獄の果てまで この次生まれりゃ神様だ」(三上寛『小便だらけの湖』)
なんて思いにも囚われがちでもあります。

…いや、残りの人生、キセキなど何もないと悟った上で、それを受け入れ、心穏やかに暮らしたいものであります。そして、安らかに死んでいきたいものであります。
それが数十年後であれ、明日であれ。

そして本書がそういう生き方に役立ってくれると思います。

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