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2011/10/03

『超クソゲー3』

『超クソゲー3』(多根清史&阿部広樹&箭本進一:著 太田出版:刊)
読了。「クソゲーブーム」を巻き起こした『超クソゲー』『超クソゲー2』シリーズ11年ぶりの復活の『超クソゲー3』であります。

まず最初に断っときますが。あたしは現役ゲーマーじゃありません。

80年代はゲーセン三昧の日々でした。あと、家庭用ゲーム機はファミコン(+ディスクシステム)、メガドラ(+メガCD)、スーパーファミコン、あたりの世代までです。あと中古のサターンを買ったことがありましたが、ゲームは数本くらい。90年代後半に自作パソコン初めて、お金はそちらにつぎ込んで、コンシューマーゲームは買わなくなり、PCゲームを少し遊ぶくらいになりました(静止画アドベンチャーはあまり好きじゃないので、エロゲはほとんど遊んでません)。現行機種だとDSiを持ってますが、ソフトは少ししか持ってません。んで、路線図とか辞書ソフトを入れて電子手帳みたく使ってます。

だから『超クソゲー』旧シリーズのころからかなりリタイアしたゲーマーだったのだけど。
それでも旧シリーズをむちゃくちゃ面白く読めて、なおかつクソゲーブームに乗った類書もいくつか面白おかしく読めたのは、その語り口の藝にあったかと思います。

メジャーヒットのゲームなら、ゲームに興味のある者なら、紹介記事に触れることも多いし、だいたいそのゲーム自体を遊んだ可能性も大きいかと。ゲーマーなら。また、語り口もストレート(つか提灯記事)にすればそれで記事も一丁上がりかと。

しかし、「クソゲー」について語ることは難しいかと思います。まず記事情報が少ないでしょうし、遊んだ人の数も少ない。また、語り口も正面からじゃなく、どこか尋常じゃないアングルから狙わないといけない。突っ込むにしろ、「隠れた魅力」について語るにしろ。

クソゲーについて語ることは難しい、だからこそそこに語り口としての“藝”が生まれ、だから、あのころにしてもそうコアじゃないゲーマーだったあたしでも、面白おかしく読むことができたのではないかと。類書も含めて楽しむことができたのではと。

ま、それから11年。あたしもさらにゲームから離れました。あのころはまだ休日は1日ゲームで過ごすなんての当たり前だったのだけど。
前哨戦として、旧作の『超クソゲー』『超クソゲー2』からの抜粋記事と新規記事を加えた『超クソゲー1+2』を読みました。けっこう面白く読めたので、3も勢いで購入。

『超クソゲー3』で取り上げられているのはPSP、DS、プレステ2&3、XBOXとXBOX360、そしてWiiのゲームたちです。
『1+2』と『3』ではドリキャスとPC-FXはオミットされてるようです。旧版に(PC-FXはあったかどうか記憶は定かではないのですが)、ドリキャスの記事はあったように記憶していますが。(ゲームキューブはどうだったかなぁ…)

まだ3で紹介されている以前のハードの記事はネットとかでもよく読んでましたが。もう実機に対する興味もあまりなく、どころか記事もあまり読まない世代のハードでありますが。
しかし、やはりそこに「語り藝」は健在で、現役ゲーマーとは言いがたいあたしでもけっこう面白おかしく読ませていただきました。
いや、ゲームのほうも知っていればさらに面白かっただろうなとは思いますが。「こういう語り口もあるのか!」って。

ツッコミ藝、もうひとつの語り口藝、埋もれた良作を語る藝、そして何よりもゲーム愛に溢れた語り口藝、楽しみました。
いや実のところ、やっぱあたしのゲーマーとしての熱意はフェードアウトしつつあるんだなぁって感じる部分もありましたが。

今回、3を読んで感じたことは、旧版といちばん違うなって感じたことは。(旧版はだいぶ前に処分してしまったので、記憶を頼りに書きますが)
なんていうのかな、ゲーム製作者を揶揄った部分がぐっと減ったかなと。

旧版だと、ゲームクリエイターサマの大口、アーティスト気取り、鳴り物入りのお披露目、がフタを開けてみるとイタタな出来!そして大ゴケ!!プギャーwwwみたいな記事が多かったように思うのですが。今回、3はその手の語り口はあまり無かったような印象です。

もちろん当時と現在とではゲーム業界事情が変わったのかもしれません。ゲーム“クリエイター”の大言壮語とか、アーティスト気取りとか、無くなってしまったのかも知れません。ここらへんは現役ゲーマーではないあたくしとしては詳しく解らないところでありますが。

でも、そういう“ゴシップ”的なものって、けっきょくは、真のゲーマーには要らないのかも知れません。そういう記事を喜ぶのは、ゴシップ好きなのは、ギョーカイ人ノリを楽しみたいワナビーとか、人が堕ちるのを見て手を叩いて喜びたい、心の暗い人たちだけなのかもしれません。真にゲームを愛し、ゲームにはまっている、ほんとのホンモノのゲーマーにはあまり興味がないことかもしれません。

なんか最近そういうゲーム周りのゴシップサイトなんかよく見かけますが。そういうのを作っている人たち、そういう場所に集まってる人たちは、ほんとのところゲームはあまり好きじゃない、ギョーカイノリを楽しみたいだけ、とか、ブイブイ言わせてる奴の転落とか、そういうのを見て手を叩いて喜びたいような人たち。つまり、ほんとはあまりゲームそのものにはあまり興味がない、ゲームを楽しいでいない連中なのかもしれません。そう感じるときが確かにあります。

とまれ、3はそういう部分は減じて、ほんらいのゲーム愛に溢れる作品になったようであります。そこらへん、著者さんたちが20代の終わりだった前作と、40代になった本作との一番の違いかなと思います。

(ま、あたしも、ゲームからは興味が離れていて、そういうゴシップは楽しむって部分が無きにしも非ずだから、反省点でもあります)

まぁそういう状況ですから、本書に紹介されているゲームは知らないゲームばっかです。
知っているのは「Oblivion」だけ。これは章の間のコラム記事で熱く語られていたのだけど。Oblivionは去年の夏にPC版を買って、今でもちょくちょく遊びます。MOD(ゲームを改変するファイル)の世界が面白くて。だから、その記事に大いに頷くと同時に、「こういう部分でも凄いのか!」と気づかされる部分もありました。だから、本書に紹介されているゲームも遊んでいれば、もっと楽しめたのだろうなと思います。

そういう方向で本書を楽しみました。いや何度も書くけど、現役ゲーマーだったらもっと楽しめたのだろうなとつくづく思うのですが。

『超クソゲー4』は出るんでしょうか?出るとしたらいつかなぁ。ん、で、ちょっとお願いは、4もともかく、ライターさんたち全員50代になったらまた一作出して欲しいなと、そう思います。

『超クソゲー3』、オススメです。
またクソゲーブーム、起きるかな?

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