ヤン・シュヴァンクマイエルの『サヴァイヴィングライフ』
昨日は渋谷のイメージフォーラムで、チェコのシューレアリスト、ヤン・シュヴァンクマイエルの新作映画『サヴァイヴィングライフ-夢は第2の人生-』を観てきました。
ヤン・シュヴァンクマイエルの映画を初めて見たのは四谷三丁目時代のイメージフォーラム。もう20年くらい昔の話になるかしら?イメージフォーラムに通いつめて実験映画を観まくっていた時代。ほとんどがクレイアニメだったかなぁ。実写系がアッシャー家の何とかとかいうのがひとつぐらいかな。
まぁ数年前まではそういうイメフォで見まくっていた実験映画たちのひとつ、って感じだったのだけど。日比谷カタンさんというミュージシャンに7~8年くらい前に出会って。日比谷さんはシュヴァンクマイエルのファンだそうで、『対話の可能性』っていう曲もあって。『対話の可能性』、どっかで聞いた事のあるような曲名だなぁと思って、シュヴァンクマイエルを思い出して。
日比谷さんがらみでチェコ大使館で開かれた日比谷さんのライブとヤン・シュヴァンクマイエルのドキュメンタリー映画の上映会とか、アップリンクでひらかれた日比谷さんのライブとシュヴァンクマイエルの『アリス』の上映会とか行ったりしてます。
ヤン・シュヴァンクマイエルはチェコの方。チェコっていうと「ロボット」なる言葉を作ったチャペック(読んだことないけど)、チェコビール、そして何よりもチェコ製の優秀な兵器群を思い出します。チェコ併合によりナチスドイツに採用され、開戦から終戦まで心ならずもナチスドイツと運命を共にした38(t)戦車、対中戦争で日本軍をさんざん悩ませ「チェッコ銃」と呼ばれたZB26機関銃、テルアビブ空港乱射事件で使われたVz58、伝説のテロリスト、カルロスも愛用していたらしいスコーピオン短機関銃、欧米のガンエンスーを唸らせたCz75。いや、知識がえらく偏ってるなぁ…。
そういう部分から受けるチェコの人たちの印象は「『メカは友達』な人たちなんだろうな」って感じでしょうか。シュヴァンクマイエルでも『悦楽共犯者』の快楽機械とか、この前のヤン&エヴァ・シュバンクマイエル展で見かけた快楽機械のスケッチとか。
私も工場街の生まれですから、そういう部分があれば、親しみを感じます。
いや、話が脱線しましたな。映画に戻りましょう。
『サヴァイヴィングライフ』は実写と切り絵アニメの映画です。冒頭、シュヴァンクマイエル?らしい人物が前説を語ります。「これは実験映画ではありません」と宣言するところ、笑いました。字幕によると実写映画として本作は規定されているよう。原語的なニュアンスは解りませんが。「劇映画」という意味での実写映画なのかなぁ、実験映画ではなく。いや、“実験映画”という言葉もその定義をよく解っていませんが、私。
「いい加減な実写映画」だったか「できの悪い実写映画」だったか「手抜きの実写映画」だったか、忘れてしまったけど、そういう「実写映画」だと前説では語られました。予算不足で切り絵アニメにするしかなかったと。しかし、アニメのほうがコストはかかるのではと思うのですが。
切り絵アニメは写真が主に使われてます。こういう作品って、いったん素材の静止画をパソコンに取り込んで使うのでしょうが。『サウスパーク』がそんな感じだったかな。FLASHアニメとか。どうも本作はパソコン上の操作ではなく、手作業で切り絵を動かしてコマ撮りしていたようです。先日のヤン&エヴァ・シュヴァンクマイエル展で素材やメイキングの展示がありましたが。私はネタバレを怖れてざっと流し見しただけですが。やっぱ映画観てから展覧会に行けばよかったかな。
しかしまぁ、劇場公開作としてはめったに使われることのない、「切り絵」アニメが全編に使われている作品です。こういうのは「アニメーション映画」と呼べるかなぁ?
おはなし。
主人公はオッサン。50歳前後かなぁ。25年間連れ添った奥さんがいます。彼はある日、夢の中で魅力的な女性に出会い、惹かれるようになる、と。一方で彼は夢をコントロールして彼女との逢瀬を楽しもうとし、また一方で精神分析医にかかり、その夢はどういう意味か探ろうとする、と。
彼女とイイコトしてる最中、彼女の息子が現れたり。息子が行方不明になった責任を取れと息子の父親に迫られたり、改めて彼女は主人公の息子を生んだり、夢の世界はそんな感じで展開していきます。
そしてついに彼はそういう夢を見た理由、惹かれた彼女がどういう存在であるか、真実を知る事になる、と。
なんだか意味の解らない、シュールで不思議なものたちが出てくる世界観ですが、彼がそういう夢を見た理由は極めてロジックで、ぴたりぴたりと機械部品のようにはまっている感じでした。だとするとあの不思議な世界も深く理解すればロジックに組み立てられたものと解るかもしれません。
最初は“現実”の世界と“夢”の世界が分かれているような感じでしたが、映画が進むに連れて、“夢”の方が現実を侵食していく感じがしました。奇妙なオブジェが“現実”でも現れてきて。
そう、不思議なオブジェたち。頭がニワトリで体が裸の女性、増殖する主人公、頭がブルドッグで体が背広をきちんと着た紳士の四つ足の生き物、頭が人間で体が蛇の生き物。写真を切り貼りして生み出されたオブジェたち。切り絵アニメだから出せる?奇妙な味。
この、不思議なコラージュ作品は、展覧会のほうで見た骨や鉱石や剥製や木の実なんかを奇妙に組み合わせたオブジェと同じ感覚でしょうか。
「夢は第二の人生、第一かも」。確かに夢の中で美女といちゃつけるなら、“現実”ではまったく無縁な美女といちゃつけるなら、現実クソ食らえですな。ほんと“現実”は、生身の体を維持するための糧を手に入れる場所に過ぎない、と割り切っても宜しいかも。
いや、そういう二次元愛的なレベルではなくて。“夢”の世界こそ人間の本来のものかもしれません。“現実”よりももっとずっと。だって人は幻想に生きるもの。その、私的幻想、衝動がナマで放出されている夢の世界のほうが、その人にとっては本来の世界かもしれません。
そいや、昔読んだ短編SFで、好きな夢を見られるサービスを受けられる場所があって、”現実”では最低限の衣食住とサービスを利用するギリギリ稼げる事しかせずに、あとはそのサービスで好きな夢の世界にいるってお話がありました。私はそういう世界にすこしぞとすると同時に、とても魅力を感じたのだけど。
精神分析医の診察室の壁にかかってるフロイドやユングの肖像写真までアニメーションするのは面白いお遊びでした。ケンカしたりして。教科書に載ってる昔の偉人の肖像にイタズラ書きをするような。
前にも書いたけど、主人公の見る夢も、だいたいにおいては、フロイドやユングの理論でロジカルに解釈できるもの、として扱われているようです(フロイドもユングもほとんど知らないのでよく解らないのですが)。得体の知れない、けっきょくはよく解らないもの、理解不能なもの、として解釈の向うに行ってしまわず。それが本作の面白く感じた部分のひとつかな。
シュールレアリズムって、解釈不能、理解不能な世界に飛翔しようとする動き、と、どこか思っていたので。
そいや、シュヴァンクマイエル映画ってなんだか美男美女が出ないような印象があります。
『悦楽共犯者』はオッサンオバサンばかりのような感じ。『アリス』もそう美少女じゃないような…(スマヌ)。本作も主人公の相手役がちょっと美女だったと感じたほかは、だいたいほぼオッサンとオバサン。つか男優陣の頭薄い率異常じゃね?
「映画は美男美女を出すもの」って先入観があったりしますが。この国でも劇映画でオッサンオバサンが主演のってほとんど無いのでは?イケメンとかイケ女を、たとえちょっと無理があろうとも、おはなしをねじ曲げようとも、出さなきゃいけなくて、それを目当てにお客さんが来るように仕向けなきゃいけなくて。
まぁチェコもブス国じゃなくて、きっちり美女も、たぶんイケメンも、いるっぽいですが。シュヴァンクマイエル映画はそういうのとは違うようですな。そういう美男美女強迫から自由な映画というのもいいものです。
どうもクレジットに東京とか日本人っぽい名前もクレジットされているようでしたが、ちょっと事情は解りません。
シュヴァンクマイエル映画もまだ見てないのがたくさんあるし、短編もまた見たいなと思ってます。…と言ってもお尻が重くて上映会情報とか聞いてもなかなか見に行かないのですが。
ほんとにもう、夢の世界で面白おかしく生きられるなら、夢を第一の人生にしてもいいなぁ…。人生なんてクソゲーさっ!!
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