« ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 | トップページ | かきつっちの奮闘 Vol.01 ― 三遊亭歌橘独演会― »

2011/09/26

『対話の可能性』#11

さて、連休中の行状を少し。

22日、木曜日は渋谷のアップリンクで日比谷カタンさんのライブ&トークショー「対話の可能性#11」を見てきました。
今回の『対話の可能性』は「あなた、なんで音楽聴いているの?」というサブタイトルで、「スタディスト」の岸野雄一さん、音楽家の宮崎貴士さんをゲストにお迎えしてのトークショーでした。

最初は日比谷カタンさんのライブコーナー。

『ヘテロのワルツ』からしっとりと始まって。
『対話の可能性』名物の『ウスロヴノスチの切符切り』から始まる小芝居コーナー、今回はあっさり目でした。もうおはなしとしては終わったのかな。盗聴&盗撮マニアの男の話。

『Fake Fur bought by Summer Sale BOT』がどんどんはっちゃけているような。「夏のバーゲンでフェイクファーをキミに買ってあげたボクの愛はホンモノさ」って感じの歌なんですが。どうもいくつかのJ-POPのパロ、フェイクになってるようで。節々でお客さんがどっと沸いていました。元ネタがあるのでしょうか。ここらへんはほんと聴いてないので判らないのだけど。

そして某時代劇テーマのカヴァー、某作曲家映画音楽メドレー。久しぶりに聴けてよかったです。
『畸形認メ申ス』から『対話の可能性』につなげて〆。

ライブコーナーは1時間超あったかしら?日比谷さんのライブもたっぷり楽しめるのが『対話の可能性』企画の楽しみなところ。
休憩を挟んで第2部へ。

第2部は、最初に岸野雄一さんのユニット「ヒゲの未亡人」のミニライブから。「ヒゲの未亡人」はバンド編成かソロでやってらっしゃるのか解りませんが、今回はソロでした。喪服、パールのネックレス、そしておヒゲ。まさに「ヒゲの未亡人」姿。

背景に画像を流すスタイルのライブ。映画のファウンド・フッテージ、それからゲーム画面っぽく仕上げた動画。素敵でした。
岸野雄一さんは「スタディスト」(「勉強家」)でいらっしゃいます、常に新しいことに向かい、取り込み、それを学んでいくということでしょうか、私もかくありたいものです。

それから日比谷さん、宮崎貴士さんを加えてのセッション。宮崎さんはキーボードでした。
それからトークショーコーナーへ。
いや、私がお三方の言葉をどれだけ受け取れたのか、自分の中に何が醸成されたのか、まったく心もとないのですが。

以下はほんと、関連書籍でも読めばそれよりはるか高次な議論が載っていると思われることですが、私論など。

「CDが売れなくなっている」というおはなし。そう、もうミリオンセラーとかほとんど望めない時代になっているようですが。
それはたぶん「国民歌謡」がもう存在しないからではないかと。老若男女はもとよりある程度の“マス”がある楽曲に親しむ時代がもう完全に終焉したからではないかと。
かつて日本には老若男女みんなが親しむような「国民歌謡」がありました。しかし近年、その時代は終わりつつあって。

もうひとつは「レコードは物価の優等生」という部分があったかと。私が小さいころから現代まで、LPレコード、CDアルバムはだいたい2千円台後半~3千円程度、物価の上昇から考えると、相対的にずいぶん安くはなってます(ほんとのところCDは欧米の方がはるかに安いそうですが)。

だから、バブル末期、「国民歌謡」はもう終わっていたけれど、まだかすかに「みんなが親しむ楽曲」という流れは残っていて、そしてアルバムがお小遣いでそこそこ気楽に買える時代にはなっていて、だからバブル末期、ミリオンセラーアルバムが輩出したのかと思います。

ただ、もう、“みんな”が、“同時代”として親しむ楽曲は存在できなくなったのではないかと。
そして音楽はメンタルなものだから、“同時代”としてメンタルを共有することもできなくなっているのではと。
そして、ふくいち以降、「みんなバラバラ」状態が炙り出されてしまったのではないかと(『思想地図β2』読んでないので、偉そうな事は書けませんけど…)

ただ、だから、だけど、音楽の需要はあるとは思うのですが。
って言うか「多品種少量生産」の時代?

「なんで音楽聴いてるの?」根源的な問い。「なんでご飯食べてるの?」に近いかもしれません。たぶん“情”にまつわるなにか、なのかなと。

音楽は、演劇とか絵画もそうだけど、宗教的なものが出自かと思うのですが。
“祭り”をやって、歌舞音曲をやって、共同体がその“情”を調律する。そういう機能のために音楽は生まれたと思いますが。だから、日本が伸していった時代、「国民歌謡」が必要であり、存在できてたのではないかと。国民が老若男女問わず、ある楽曲に親しみ、“情”を調律する。“情理”を統一することによって“国家”としてのひとつの“まとまり”を得られる。

バブル末期のミリオンセラー輩出の時代は、国民レベルでのそういうことはもう終わってしまっただろうけど、それでも若い衆が、ひとつの“情”を共有するために、「流行り歌」を買い求める、そういう風習があった、最後の時代だったのではと思うのですが
あの、音楽業界ウハウハの時代とはそういうことだったのではないかと。

私は子供がいないのでよく解りませんが、教育の現場の方のお書きになった本を読むと、今の子供たちはクラス単位でのまとまりもできなくなってしまったようでありますが。せいぜい数人の仲良しグループ程度で。

もし音楽がなくなってしまったら、私はどうかな?生きてるとは思いますが、ちょっとさみしいかなぁ。やっぱり音楽は聴きたいですね。
しかし「NO MUSIC,NO LIFE.」と言ってしまうとちょっとカッコつけすぎかなと思います。妙な選民意識?自己陶酔?「音楽を聴くのが好き」じゃなくて「“音楽を聴いている自分”が好き」っていうか。

もちろん、例えば、「日比谷さんの楽曲が好き」じゃなくて、「日比谷さんの楽曲を聞いている自分が好き」ってな部分が私の中にもあるかもしれません。それはどちらとも自分の中にあります。どちらとも言い切れず、その中間部分が立ち位置かと。そこらへんの自意識の自己分析は難しい、というか、あまりやりたくないのかな?どうも自分の嫌な部分に手を突っ込みそうな気もします。

「音楽はキチガイのやるもの」というような発言もあったと思いますが。それはアリかなと。例えば宗教もキチガイの部分があるでしょう。「この世ならざるもの」を導き入れるトリックスター。“日常”のリセット。“ハレ”と“ケ”。「神を見た」とかね。宗教的な法悦。酒やドラッグも宗教で用いられる、人が“キチガイ”になるためのおクスリ。
そして宗教的な意味では楽曲に身を任せ、“情理”をリセットする、そして共同体の成員でそれを同じノートに調律し、“みんな”で、それを共有し、社会的なまとまりをつくる。

ふくいち騒動で気がついたのですが。人は“論理”で動くんじゃない、“情理”で動くのだと思います。岸田秀的に言えば“衝動”かな?私的幻想。
それを“調律”し、“共同幻想”にするためのツールだったのかもしれない、音楽は。だから、ふくいちの件でミュージシャンの動きが早かったのかもしれない。

例えば、福島の送り火とか、花火とか、忌避される。それもまた“情理”の問題なのだろうけど。ある程度は共同幻想になった私的幻想の問題なのだろうけど。
そして、“論理”は、共有を自明とするツールなのだろうけど、今回のような緊急時はその機能が大きく喪われるものだろうなと。そして今の日本は、日本人は、論理も通じず、情も共有できない、“バラバラ”の状態になっていたと思い知らされた、と。

まぁあたしも“情”で動いているわ。“論理”では動けないかと。「“説得”よりも“納得”」。
んでもって、国民がなんとなく同じメンタリティで生きているって“幻想”で生きてきたから、それはたぶん大過の日本人が共通で持ってた“認識”なんだろうけど。それがふくいち以降、けっこうバラバラだって気がついた、と。

同じメンタリティで生きていると何となくみんな思っていたから、“論理”はあまり日本人には重要ではなかったのではと。しかし“情理”の統一が取れなくなってると判った以上、“論理”が大切になってくるのかもしれませんが。“情理”を越えて“論理”に従う態度が。しかしそれは日本人にはできるかしら?
例えば欧州あたりなら、民族や宗教が違う、さまざまな“情理”を持った人が行き交ってたから、共存のための智恵として“論理”を重んじられてきたのだろうけど。

いや、話がとっ散らかってしまいましたな。「バカの考え休むに似たり」かと。本当にここらへん、もっと高度に論考した書籍がなんぼでもあるでしょう。
(あさっての部分に行ってしまって失礼)

そいや、あたしも「○×が好き」とクラスで言ったら「お前が好きなのは認めん」と言われたこと、あるなぁ。

トークは2時間くらいでしたかしら。岸野雄一さんのご発言に「トシいってライブ行くのは無理してる」というような発言があったと思いますが。まさにそうですな。ほんともうちょっと体力があれば、もっと楽しめたと思うのですが。トークの最後の方はちょっとガソリン切れてました。

ほんと、もうちょっと体力が欲しいです。
んでもうちょっと頭が良くて、理解力があれば。
無理だけどさ…。

|

« ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 | トップページ | かきつっちの奮闘 Vol.01 ― 三遊亭歌橘独演会― »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 | トップページ | かきつっちの奮闘 Vol.01 ― 三遊亭歌橘独演会― »