『無力感は狂いのはじまり』
『無力感は狂いのはじまり 「狂い」の構造2』(春日武彦&平山夢明:著 扶桑社新書)
読了。精神科医の春日武彦さんと作家の平山夢明さんの対談集です。
先日、ラジオ・ディズ主催の春日武彦さんと平山夢明さんのトークショーを見に行ったのですが。楽しかったです。で、本書も面白そうだったので手を出してみました。
本書は『「狂い」の構造2』と銘打たれてます。『1』もあるそうなんですが、それはどうも品切れみたいです。ほんとは1から読みたかったのですが。
精神科医の春日武彦さん、そして、人の心の闇を描く作家、平山夢明さん。精神医学の突っ込んだ、系統だった解説というより、フリートークに近い内容でしたが、とても面白かったです。電車の中でクスクス笑いながら読みました。
おふたりの色々なご指摘もうんうんと頷きながら読みましたよ。
春日:「僕の考えではね、世の中の狂った事件、妙な出来事を理解する上で、一番の根本にあるのはまず、無力感じゃないかと思うの。劣等感とか、他にもいろいろ要素はあるけれど、もっと深い所にあるのが無力感。それをいかに乗り越えるか、あるいは、ごまかすか、その営みが人の有り様なんだと。」(35p)
ここらへんが本書のタイトルに絡んでくる部分でしょうか。ただ、「無力感」がそのまま狂いへと行くのではなくて、「無力感」との付き合い方によって人は狂いへ向かっていくのではと私は理解しましたが。本書中にはこれだけではなく、しばしば「無力感」への言及があります。
そのほか、ほんと、ちょう素敵フレーズ満載でありましたよ。
平山:「自己肯定の出来てない人は、基本的に自分を被害者だと規定するんだよね。被害者だから、自分は善人なの。」(19p)
ああここらへんはよく思います。電車の中でしかめっ面をしている人たち。被害者面して、被害者なんだからと傲慢に振舞う人たち。ほんとうんざりします。そして、そういう人たちはこう思ってるのではないかと。
平山:「そういう人って日常生活に不満があるんだよね。何でも引き算なの。出来て当たり前、買えて当たり前、なのに出来ないのは不幸。それを我慢している自分の健気さよ、みたいなさ。」(76-77p)
内田樹さんの本に、そういうタイプの人はけっきょくそういう“被害者意識”を維持するために、被害者的立場に「居ついて」しまうと指摘されていましたが。そうなってしまうこと、ほんと、ぞっとします。
春日:「人間が正常かどうか判断する条件のひとつは、別の回答を想像する能力があるかどうかということ。理屈は通るけど、もっと他の選択肢もありえるんじゃないか。」(206p)
ここらへんも内田樹さんが同じようなことをお書きになっていて、それを私はとても感銘を受けて、自戒も含めて自分の中に規則として置いておこうと思っているのだけど。
「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かしさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」(内田樹『ためらいの倫理学』(角川文庫版)349p「あとがき-解題とともに」より)
とかね。
ほんと、面白い本であったと思いますし、色々示唆を与えてくれる本でした。
こうなると前作『「狂い」の構造』も読みたいものであります。古本屋さんで探してみましょう。
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