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2011/02/03

「黒田一郎と村崎百郎」

昨日は浅草橋のパラボリカ・ビスさんへ。トークショー、「夜想語りの夜3 黒田一郎と村崎百郎」を拝見しに。
去年の夏、刺殺されてしまった鬼畜系ライター・村崎百郎(本名・黒田一郎)さんについてのトークショーです。

パラボリカ・ビスさんはなぜか何度も行っている場所です。ファンな方々の展覧会とかパフォーマンスとかライブとか。ただ、私はペヨトル工房さんとか夜想系の書籍とかはほとんど知りません。そのくらいのスタンスなのですが。

村崎百郎さんは前にも書きましたが、単著の「鬼畜のススメ」、根本敬さんとの共著・「電波系」、それから唐沢俊一さんとの対談集「社会派くんが行く」シリーズを数年前まで買っていたくらい。ただ、それらの本も引越しで処分してしまうくらい。

そして、村崎さんが仕事されていた「GON!」みたいな雑誌は嫌いです。「危ない1号」シリーズあたりは書店の店頭で手にとってはみるのですが、買いはしません。そこらへんはどうも自分にややこしい感情があるみたい。買うほどのことはない、というより惹かれつつも積極的に買うことを拒む感情が自分の中にあるような。

村崎一郎さんの本名が黒田一郎とおっしゃるのも、刺殺事件のニュースで知りましたし、ペヨトル工房の編集者さんだったというのもそれからネットでその事について言及されているのを見てからです。

ま、そういった経緯ですので、そうコアな村崎ファンとはいえないのですが…。

開演前、できたらパラボリカ・ビスさんで今行われている人形展「錬金術の夢想世界」を見ときたかったんですが。2階は見られましたし、会場設営中の1階もちょっと見られました。個人的には見たかった木村龍さんと清水真理さんが見られたので良かったです。

清水真理さんはもうオーソドックスな球体関節人形の展示はなく(パラボリカ・ビスさんのショーウィンドーの展示にはありましたが)、半身像のみぞおちの部分がくりぬかれてディオラマになってるのとかが中心でした。木村龍さんもボックスディオラマ仕立ての作品とか多かったです。

ややあって入場、開演。

今回の「夜想語りの夜3 黒田一郎と村崎百郎」は2部構成でした。

第一部が元・ペヨトル工房の編集長、今野裕一さんと元・ペヨトル工房編集者、小川功さんをゲストに迎えての、ペヨトル工房史に絡めての「黒田一郎」のおはなし。
第二部が『村崎百郎の本』を編まれた尾崎未央さんと多田遠志さんを迎えての「村崎百郎」のおはなし。
司会は一部二部とも吉田アミさんと仰る方のようでした。

第一部。今野裕一さんと小川功さんを迎えてのセッション。ここらへん、ペヨトル工房の書籍にあまり詳しくない私でも楽しめました。ただやっぱり詳しい人が見てるともっともっと面白かったんだろうなと。つか、ここにいたら楽しめただろうなという人を何人か思いつくのだけれど、私。ま、ペヨトル工房~夜想を直接にはあまり知らないのですが、影響を受けた人の作品はよく拝見してると思いますし、好きです。
当時の村崎さんの写真とかもあったけど、プロジェクターでぼんやり。それでいいと思いました。
ちなみに村崎“百”郎と名乗ってたのはひょっとしたら体重100キロ越えてたせいかなぁと思ったりして。椅子壊すのはあたしも他人事ではないわ…。いや、ペヨトル工房さんとかだと、椅子なんかも痩せ型向けの、線の細い、アートっぽいの使ってたのかもしれないな。

んで、トークショーを拝見しながらふと気がついたのですが、村崎さんの自分の裡にある「狂気」へのスタンス。それを少し離れて見ることのできるセンス。
それは例えば内田樹の

自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かしさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ(『ためらいの倫理学』角川文庫版349p)

あたりと通底するかな?「自分の狂気を吟味できる知性」。“知性”で自分をちょっと離れたところから俯瞰できる知性。それはかなり高等な知的作業だと思うけど。だからこそ村崎百郎さんはインテリゲンチャとしてその作業が可能だったのかもしれない。でも逆にそれは自分の心を分裂させる作業だったのかもしれないけど。

まぁ例えば「盗んだバイクで走り出す」と自己陶酔しきってシャウトしている時に、「盗られた人は困ってる」と思わず返してしまうセンス。周りへの、そして、何より自分に対してのツッコミのセンス。そういう「知性」の持ち主は動きは鈍いと思います。自己陶酔してわ~っと行ってしまう人と比べればね。村崎さんが編集者としては動きの鈍い方だったという証言もありましたし。そういう性格をしていれば動き自体は鈍くなるかもしれない。

でも、そういう「知性」こそ、現代社会においては必要なのかもしれない。つか、そういうヒトが私は好き。この世の中が自己陶酔してわぁ~~っとどこかへ行こうとしている時に、「それって違うんじゃない?」と言えるような人物。
「ゲス」「鬼畜」という立ち位置からこの世に突っ込みを入れようとしていた村崎百郎さん、そういう意味で私は村崎さんの事が好きだったのであろうと思います。

そして、「村崎百郎」的人物はこの世にいて欲しいと思ってます。この世の「キレイゴト」にあふれた世の中にツッコミを入れる人物。
「キレイゴト」、「ライトサイド」に溢れた今の世の中。「私はウンコしないもん」とうそぶく人間に溢れ、そういう世の中で思わずクソを漏らしてしまった人間を「正義」の名の元に叩きまくる人々。そいつらは、そういう「叩き」でウンコごまかしてウンコしてるのに気づかずにね。

休憩を挟んで第二部。

こちらは『村崎百郎の本』を編まれた尾崎未央さんと多田遠志さんのおふたりがメインゲストでした。
まず、村崎さんとの出会い。ミニコミ誌にインタビューを載せたくて村崎さんにコンタクトを取ったのがきっかけとか。そこからの村崎さんとの交流、そして村崎さんの死を経て『村崎百郎の本』を編集することになったきっかけ、その裏話とか。

その「村崎百郎コレクション」が凄いです。圧倒されましたし、それを次々と拝見しているだけであっという間に時間が流れる感覚でした。
その膨大な村崎百郎コレクション、当の村崎さんは草葉の陰で喜んでいらっしゃるのか苦笑していらっしゃるのか…。

90年代半ばの数年間の表に立った活躍のあと、村崎さんはあまり表には出てこなくなったようですが。でも、奥さんの漫画家・森園みるくさんの作品の原作者として活躍されていたとか。森園作品をいくつか揚げ、そこにどれだけ村崎テイストが溢れているかという指摘もありました。ここらへんの作品群はぼちぼちチェックしていきたいと思います。あと、別名義での絵本作品もあるとか。驚きました。ちょっと読んでみたいなと。

村崎さんと森園さん、とても良い関係だったのだろうなと。そして、その中で、村崎さんのルサンチマンも治まり、人柄の暖かさが表に出るようになったのだろうなと。とてもうらやましい関係です。あたしもそういうの、手に入ったらよかったのだけど。
でも、その分、警戒心が薄れ、かつての作品に影響を受けた読者、つまり「過去」にやすやすと殺されてしまったのかもしれないのですが。それが村崎百郎という人間の「悲劇」かもしれないなと。過去に復讐されてしまった。

『村崎百郎の本』の村崎百郎さんのエピソードの中に「伝説」もあるとの事。「事実は人がいなくても存在するが、嘘は人間なしでは存在できない」という寺山修司の言葉を思い出しました。村崎百郎さんについてもそのうち「起きなかったことも歴史のうちである」という風になっていくのでしょうか。

7時半スタートのイベントで、終演は11時を回っていました。かなり長丁場のトークショーでしたが、楽しめましたよ。ちょっとお尻が痛くなったけど。
ほんと、楽しめるかどうだかよく解らなかったけど、行って良かったイベントでした。

しかしもう90年代は「歴史」として語られるものになってしまったのですなぁ。ほんのつい先だっての事とばかり感じてしまいますが。トシ食ったな…。

うん、でも、やっぱり村崎百郎さんがいないというのは嫌だな。せっかく覆面なんだから、二代目村崎百郎とか三代目村崎百郎とか、赤村崎青村崎黄村崎とか、偽村崎とか偽々村崎とか現れないかな。「地獄はけっこう居心地いいぜぇ~~」とか言いながら現れたり。

ほんと、そうならないかな。さみしいです…。

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