« 夜想プロデュース「コウソクドール展」 | トップページ | 『映像の地下水脈』#21 »

2011/02/26

『フラクタル』第6話

『フラクタル』第6話「最果ての街」のおはなし。

(以下ストーリーに触れつつ書いていきますのでネタバレ注意)

最初私は『フラクタル』を少年冒険活劇的な作品だと思っていましたが。「ロードムービー」的な色合いのほうが濃いのかなと最近は思います。
フラクタル・システムの下暮らす人々、それに反抗する人々。そういうのをクレインたちが見て回りながら、最後にこのフラクタルシステムを崩壊させるか、存続、あるいはパワーアップさせるか、主人公たちが決めるようなおはなしになるのではと。

今回の「最果ての街」では、フラクタルシステムの衰退により、フラクタルシステムにカバーされない、「圏外」となってしまった場所に暮らす人々のおはなしが描かれます。

冒頭、いきなりするりと全裸になって泳ぐフリュネ。こういうシーンって、昔の映画でいくつか見たような記憶があります。女の子が水辺でするりと裸になって泳ぐ、そういうシーン。秋吉久美子とかのあったような…。そういう映画に対するオマージュなのかしら?

反フラクタルシステム運動、「ロストミレニアム」。ロストミレニアム運動家たちもいろいろなグループに分かれ、反目もあるようです。そういった運動を束ねるリーダーでも居ればロストミレニアム運動はフラクタルシステムに勝てそうですが。

その圏外の地に居たロストミレニアムのグループは「アラバスター」というようです。アラバスターの人々はフラクタルシステムの圏外になってさまよう「圏外難民」を助けると言ってだまし、フラクタルシステムと接続している体内パーツを無効化して強制的にフラクタルシステムと彼らを切断しているようです。そして、ロストミレニアム運動に参加せざるをえないようにしているようです。

ここらへんは、現代でも、表向きはご立派な共産主義とか唱えてても、その実態は野盗の群れ。村を襲い、略奪し、襲った村の人々をさらい、強制的に自分たちの仲間にする“共産”ゲリラに似ていますな。貧しい国々の。
そういった姑息な手はグラニッツ一家は行わない誇りがあって、アラバスターを嫌っているのでしょう。

グラニッツ一家のリーダーらしい兄ちゃんも圏外難民たちを見下してはいますが。
ただ、何らかの「システム」に依存して生きているのは今の私たちと一緒。たとえば会社を倒産やリストラで放り出され、さまよい、時に自ら命を絶つ人は今でも当たり前にいるでしょう。私もそういう人たちに近いだろうし。だからその兄ちゃんに見下される側の人間でしょう。

電波塔を作った“おじさん”はクレインの父親っぽいですな。“おじさん”はクレインを一目見て気づいた、だから写真を撮った。フリュネも“おじさん”の家にあった写真で気づいた。でもクレインは気づいていなかったようです。“おじさん”もクレインに父親だと名乗ることなく。どうしてかなぁ?

面白かったといえば面白かったのですが。う~ん、でもやっぱ、おはなし的にツッコミどころが多かったように感じました。

なぜあの位置関係からおじさんはクレインの正面写真を何枚も撮れたのだろう、とか。おじさんが電波塔を作るのには長年月かかってるように見えるけど、圏外難民たちはついせんだって被災して、飢餓状態になるぐらい時間はたってるっぽいけど、さまよっているように見える、とか。崖から人が落っこちる危険があるのになぜおじさんは街の幻影を表示させたのか、とか。そもそも幻影の街に人は住めるのか、2階以上はどうすんだ、とか。

そこらへんもうちょっと話の進め方に気を遣って欲しいなと思いました。
もちろん観客は整合性を見てるんじゃない、おはなしの面白さを楽しむために見てるのです。多少の整合性の齟齬はおはなしの面白さの勢いさえあればぜんぜん気にならないものなのですが。

さて、次回あたりになれば「僧院」の追っ手もグラニッツ一家に追いつくかしら。派手なドンパチもあるかなぁ。

|

« 夜想プロデュース「コウソクドール展」 | トップページ | 『映像の地下水脈』#21 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 夜想プロデュース「コウソクドール展」 | トップページ | 『映像の地下水脈』#21 »