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2011/02/01

『魔法少女まどか☆マギカ』第4話

第3話の魔法少女・巴マミの凄惨&あっけない戦死(or殉職?)を受けての『魔法少女まどか☆マギカ』第4話「奇跡も、魔法も、あるんだよ」ですが。ちょっと感想など。

(のっけからストーリーに触れつつ書いていきますのでネタバレ注意)

大方の予想通り、美樹さやかが次に魔法少女になりました。彼女には魔法少女になる代わりに叶えたい願いがひとつありました。それは、さやかの大好きな男の子・上条君の腕が治ること。ヴァイオリニストを目指していた上条君、しかし、事故か病気かで彼の左腕は動かなくなっていて、治すことも不可能。それを治すために魔法少女となったさやか。
そして、集団自殺を唆す「魔女」を倒すという魔法少女としての最初の任務を終えたさやか。

第4話で新たに明らかになった設定がありました。それは、各々の魔法少女には「縄張り」があるらしいこと。
巴マミが死んで、彼女の「縄張り」を貰おうと佐倉杏子という魔法少女が現れます。しかし、マミの縄張りはさやかが担当するようになりました。そのことに腹を立てた杏子はさやかの縄張りを奪うことを決心します。どうやらマミの縄張りだった場所はいい狩場だったようですな。そのぶん危険な場所でもあったのでしょうが。

前半は巴マミの死を悼むシーンがいくつかあって印象的でした。誰もいない、ひとり暮らしだったマミのマンションを訪れるまどか。巴マミはどうやら交通事故に遭い、両親を失い、そして自分も瀕死の重傷を負い、その事故で「助かる」事を条件に魔法少女になったようですが。そしてまどかたちと出会うまで生きていくことも戦うこともひとりぼっちだったようです。

そういったシーンの中でいちばん痛々しかったのは、あのあっけないマミの死を何とか意味づけようとするまどかとさやかの様子でした。『戦艦大和ノ最後』あたりで、特攻で無駄死にさせられる乗組員達が、自分の目前に迫った死を、無駄死にではなく、何とか意味ある死と解釈しようとする様子を思い出しました。
人は、誰かが無駄死にのような死に方をした時、しなけれならなくなった時、その死の意味を何とか探そうとするものなのでしょうか。

あと、暁美ほむらの「ハードボイルド」っぷりが出た回かと。「厳しくなければ生きていけない、優しくなければ生きている価値がない」って感じ。惚れましたわ。彼女もまた仲間の魔法少女が大勢倒れていくのを目にし、心のどこかを凍らせないとやっていけない状態だったのでしょうか。
しかしまだほむらの魔法少女になった理由も契約した相手も解りませんな。ここらへんも今後の鍵になるのではと。

彼女は大勢の魔法少女の死に様を見てきたとか。そこらへんも疑問。彼女の魔法少女歴は数年くらいだと思いますが。ひょっとしたらほむらは魔女の出現率が高いor強い魔女が出現するor能力の低い魔法少女が担当してる、つまり魔法少女の死亡率が高そうな地区に赴き、ドジを踏んで魔法少女が死んでしまった場合のバックアップを務めているのではないかしら?

しかしこの世界の魔法少女って引退とかないのかなぁ?さやかは死ぬまで戦い続けなきゃいけないのかしら?それとも何らかの条件で引退とかあるのかしら?
魔法少女が魔法を使うと自分のソウルジェムが濁る、魔女を倒すと得られる(時もある)グリーフシードで浄化してやらないといけない。そういうシステムっぽいですが。じゃ、もう魔法少女にならないのなら、ソウルジェムの濁りは気にしなくて済むのでは?

もし魔法少女に変身しない限りソウルジェムのことは気にしないで済むのなら、さやかもちゃっちゃと杏子に縄張りを譲って楽隠居してしまえばいいかもしれない。

それともソウルジェムは時間が経つと自然に濁っていって、しかも濁りきれば魔法少女は生きていけないとかなるので、定期的なグリーフシードのチャージが必要ののかな?
あるいは願いが叶っている状態なら、それは魔力を消費していってる状態で、ソウルジェムが濁っていっているということになるのかしら?どうなのかな?

最初から新房シャフトの魔法少女物だし、一筋縄でいかない、誰か死人でも出るんじゃないかと予想する人が多かったですが。さやかはいかにも「やられ役」タイプ、番組開始当初からまず死ぬなら彼女かなぁという話があちこちでありましたが。やっぱさやかは近々に死んじゃうのかしら?杏子に殺されて?

う~ん、ここはひとひねりして、さやかと杏子の対決は、さやかが勝利するのではと予想してみます。杏子に勝利したさやか、けれども自らの手で杏子を、つまり人を殺めてしまったさやかは深く深く自分に絶望し、精神が崩壊するのではと予想してみたりします。メンタル弱そうだし。さやかは自殺する、あるいは戦いでの死を願い、そうなってしまうとか。そして、死んでいく。

しかし、2話あたりまでは魔法少女たちを愛でていた自分が、3話以降、「誰がどういう死に方するかなぁ」なんて予想に興じるなんてね。まぁなんて鬼畜なんでしょう。そういう「視聴者が知らず知らずに、気がついていたら“鬼畜”に目覚めていた」という事がひょっとしたら、新房監督、脚本虚淵氏の仕掛けた最大の「ギミック」なのかもしれないな。「魔法少女が死んじゃう魔法少女物」という以上にね。

そう、人間なんて一皮剥けば、ちょっとしたきっかけがあれば、簡単に“鬼畜”になってしまう。それも「自分は善良な人間である。“正しい”人間である」という自己認識を持ったままでね。そう思ってます、あたし。嗚呼村崎百郎…。

しかし、巴マミを「俺の娘」にしたい気持ちもあります。マミを手元において、思いっきり可愛がりながら生きていきたいです。
そういった感情も並行して存在するのが人の心の面白いとこ、不気味なところ、あるいは(もしかしたら)善きところなのかもしれません。

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