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2010/10/28

『それでも町は廻っている』(漫画のほう)

『それでも町は廻っている』(石黒正数:作 少年画報社:刊)。コミックスです。現在連載中の作品らしく、7巻まで出ています。7巻まで読了。
今期始まったアニメ版が面白かったので、原作コミックスにも手を出してみました。コミックスの方も面白かったです。

主人公は嵐山歩鳥。高校生。彼女を可愛がっている喫茶シーサイドの店主のばあさん、磯端ウキはメイド喫茶は儲かると聞いて、シーサイドをメイド喫茶にしてしまいます。今までの恩返しをせいとメイド姿に仕立てた歩鳥とふたりで店に立つようになります。
歩鳥や歩鳥のクラスメイト、家族、そして商店街の面々も巻き込んでおはなしは展開していきます。基本的に1話~数話完結型のショートストーリー集っぽいです。

嵐山歩鳥。ま、リアルなら平べったい、下膨れ系の顔の平々凡々の容姿の女の子なんでしょうか。ま、番茶も出花効果でちっとは可愛らしい盛りではありましょうが。
けっこう下着シーンとかあります。だいたい暑い盛りなんて家ではTシャツにスカートも短パンも穿かずショーツいっちょの姿だし。でもそういうのって、セクシーというより、なんか下町っぽい「ゆるさ」の表現のような気がします。下町を歩いていると、シュミーズ姿の婆ちゃんとか、アッパッパーの下、浮き乳首ユラユラしてる婆ちゃんとか歩いているじゃないですか。そういう下町っぽい「ゆるさ」が歩鳥の中にも残っているという感じ。まぁいちおう女子高生だから、ちょっとはおっと思いますが。

1巻の「あとがき」にあるのですが。作者は上京して居を構えたのが下町だったそうです。上京してきていろいろ不安もあったけど、下町の人情にだいぶ助けられたそうです。その体験を元に本作を描こうと心に決めたそうです。

そう、何よりも「町」が“主役”の作品になるのかしら?
だからタイトルも「それでも町は廻っている」なんでしょうか。
(以下ネタバレゾーンにつき)

2巻には「それでも町は廻っている」という、作品名と同じサブタイトルのエピソードがあるのですが。そのおはなしで歩鳥は清掃車に撥ねられてしまい、あの世に行ってしまいます。
で、それについて、2巻巻末のあとがきによると「歩鳥がいなくても 町は営みを続けます」という作者の含意があるとか。そう、まさに、たとえ歩鳥が死んでも「それでも町は廻っている」と。続いていくものであると。

また、本作には妖怪?や宇宙人といった「この世ならざるもの」も当たり前に出てきます。しかし、“町”はそれにも脅かされずに平然と廻っているようです。「それでも町は廻っている」と。
そういう「永遠」なる力を持った存在であるからこそ、個々人の命を超えた存在であるからこそ、町は人を支えられるのではないのかと。また、妖怪や宇宙人といった「異物」さえ平然と飲み込んでしまえるのだろうと。

知人に不思議なお洋服を作っている女性がいます。下町にアトリエを構えていたそうですが。自作のちょっと不思議な、変わった服をいつも着て歩いているそうですが。その、下町のオバチャンたちに、彼女が着ている不思議な服がけっこう受けたそうです。
それはたぶん、それだけその下町というのが堅固なものであるからでしょう。だから“異物”もその町を脅かす存在ではなく、それを楽しめる懐の深さもあると。新参者ばかりの、孤立した人々の集まる不安定な町にはそういうのを受け入れる懐の深さはない。例えば、新参者が紅白ストライプの家を建てるっていうだけで裁判沙汰になると。

かつて日本人は自我の支えとしての地縁血縁を持っていました。つまり本作における“町”のような共同体を。それは自我の支えとなるとともに、セーフティネットを構築していたのだけど。お互い助け合いの精神。しかしまた逆にそれは人を「しがらみ」の中に縛るものでもあったのだけど。
しかし、近現代において、そういう人を支え、守り、縛る共同体は崩壊していっていて。

それはたぶん近代資本主義、あるいは消費社会の発展のためだったかと。
そういう人を縛る「しがらみ」を捨て、人は自由に、己の欲望を叶えるために生きよってことになって。例えば故郷を捨てて都会に働きに出たり。

そういう風に孤立した人々がそれぞれ“個人”として、己の欲望をかなえるためだけに生きていくようになって。それが現代社会。それはたぶんこの資本主義社会・消費主義社会を大いに成長させたのだろうけど。

しかし、そのため失ったものも大きく。だからこそバブル崩壊から20年、この国は低迷を続けているのではと思います。

坂の上の雲は、(中略)1950年から1980年の昭和の人々も見ていた。前年より今年、今年より来年が豊かになっている時代だ。(中略)坂を歩くのはつらいが、高みに登っていくくことが実感できる限り、気持ちがよかった。がんばれば上へ行けた。弱音を吐かなければ、いい生活ができるようになった。
それが僕たちの国だという信念があった。
たどりついた坂の上は、つるっつるに滑る不気味な灰色の平原だった。(堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社現代新書)155~156ページ「1991年のラブストーリー」より)

しかし、歩鳥は、奇跡的に残ってる、“それ”以前の人情に厚い下町に生まれ、育っていると。商店街の人々に可愛がられ、育ってきた少女。だから、歩鳥はその町を誰よりも愛していると。

「その…家も学校も商店街もみんな今の感じが続くといいなっ…っていうか…」
「誰にも嫌な事が起こらず」
「誰ひとり欠けてほしくなくて…」
「でも そのために私がする事なんてないし…」
「欠けてほしくない事は増えるばかりなんです…」
(『それ町』第7巻111Pの歩鳥の台詞)

歩鳥のささやかな、しかし大きな願い、祈りといったもの。それは吉岡忍の宮崎勤事件や酒鬼薔薇事件を追ったルポルタージュ、『M/世界の、憂鬱な先端』に出ている、現代人たちが失ってしまった感覚。

世界が私を、神のような大きな力で支えていること。
私が世界を、絆のような小さな力で支えていること。
(『M/世界の、憂鬱な先端』文春文庫版567p)

このような感覚を歩鳥はまだ持っていて、腹で解っているのではないかと。
しかし、どうも商店街は駅前スーパーとかできて大変っぽく。シャッターを降ろしているお店もちらほらしていて。商店街の店主は嘆きます。

「アレ(BUFF註:歩鳥)もいつかは遠くへ嫁に行っちゃうんかなァ」
「そしたら灯が消えたみたいになるだろうな…」
(『それ町』1巻50Pの八百屋の親父の台詞)

商店街の主は静かにこの“町”が消えつつあると思っているようであります。

どうなっていくのかしら、人の孤立化はどんどん進むのでしょうか、こういう人情に溢れた街は消えていくのでしょうか、それとも内田樹が期待を込めて書くように、人情の時代への揺り戻しは来るのでしょうか。

歩鳥は成績は普通、ただし数学はとても苦手のようです。しかしどうも無意識レベルではとても頭は良いみたい。ロジック、つまり頭でリクツをこねくり回す数学は苦手。でも、無意識レベルではとても頭がよい、それはたぶん町を廻すために役に立ってるのかなと。歩鳥らしいなと思ったりして。

これから歩鳥は「欠けてほしくない事」が欠けていくことに直面していくのでしょうか。そしていつかは自分自身も。
そこをどう生きていくかが大切かもしれないんだろうなと思います。

せかいはかなしいことばかり
だから いっぱいにしなくちゃ!
かわいいもので
(ワタシヲ)
キレイなもので
(キズヅケナイモノデ)
ねえ そうでしょ?
ねえ…
(鈴木志保『ヘブン…』(秋田書店)167-168p)

ぐらいのケツのまくり方ができるかな?いや、歩鳥だったらできると思いますが。
そして、「それでも町は廻っていく」と。

残念だけど、私はそういった地縁血縁から大きく遊離して生きてきてしまった人物です。
歩鳥みたいに「町に育てられる」経験もほとんどないし。地縁血縁ブッチして気ままに、片方では孤立に耐えつつ、生きてきました。それはそういう生き方でしかたなかったとも思うのですが。でも、歳をとるに従ってそういう生き方はだんだんと難しくなっていってるのをひしひしと感じております。

ま、だから、歩鳥みたいな人物像がとてもうらやましいです。

いや、漫画の感想というより変な自分語りの文章になっちまいましたが。
でも、ここらへんの事、最近よく考えますし。
そういう意味においても「それ町」にはまったということで。

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