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2010/08/09

万有公演『サード』

昨日は笹塚の笹塚ファクトリーで演劇実験室◎万有引力のお芝居、『サード』を見てきました。

『サード』は映画にもなってる作品。軒上泊原作&寺山修司脚本とか。
軒上泊は何作か読んでます。『べっぴんの町』とか。面白本でありましたが、もう面白かったってしか憶えてないです。最後に読んだのは20年以上前かなぁ。軒上泊ご自身が少年院の看守だったそうで、その経験を活かした作品が多かったと思います。

残念ながら映画『サード』は未見です。原作小説も読んだことないかなぁ。大昔に『ウェルター/サード』のハードカバーを買ったと思いますが、たぶん本棚の奥で積読のままあると思うのですが。渋谷のユーロスペースで買ったような記憶があるんですが、昔、ユーロスペースって本を売ってましたっけ?書名からすると軒上泊の原作の方と思いますが。お芝居見る前に読んどこうと思いましたが、本棚ひっくり返すのがめんどくさくて結局読まずしまいでした。

今回の『サード』は万有引力公式サイトによると『「寺山修司シナリオ集」より』と書き添えられていますから、映画版『サード』のシナリオを元にしたもののようです。軒上泊の名前もクレジットしておいてほしかったな、と。

演劇実験室◎万有引力は寺山修司の演劇実験室◎天井棧敷の流れを継いだ、断片的なイメージを積み重ねた、ストーリーを軸に進行するのではないお芝居が特徴的でした。
だいたい普通のお芝居ってのはストーリーがまずあって、それを軸としてお芝居は進行すると思うのですが。もちろん作り手に「やりたいシーン」ってのがまずあったとしても、それは「ストーリー」という軸に絡めていく。

逆に万有のお芝居はストーリーってのはあるかなきか、たまに顔を出したりするけど、しかしストーリーを軸に展開していのとは違う。まず、イメージありき、のお芝居だと私は解釈するのですが。「小説」に対する「詩」のような感じと言えばいいかな?詩劇。

だから、普通のお芝居に慣れた人は、万有のお芝居を見ると面食らってしまう。お芝居を見る時、まず第一次的に「何が起きているか」と理解する上で軸となる「ストーリー」がよく解らない。お芝居が終わったあとお客さんが「よく解らなかった」と話しているのも何度か聞いたことがあります。
私はもうストーリーを追うような見方はせず、一種の「レビュー」として万有のお芝居を見ています。ちりばめられたイメージを楽しむ、それでいいのではないかと思って見ています。

ただ、前作『くるみわり人形』は、万有のお芝居としては「ストーリー」が前面に出たスタイルとなりました。そういう方向性もやろうということかしら。で、今回の『サード』も「ストーリー」もののお芝居のようです。

そういう方向でどういうお芝居を見せてくれるのか楽しみでした。

場所は笹塚ファクトリー。万有公演でもうおなじみの場所ですね。前回の『くるみわり人形』も笹塚ファクトリーでしたし。

客入れはいつもの万有どおり、整理番号順に並ばせたお客さんを一気に入場させるという方式。
鉄格子のような衝立(最初は障子のようにシートを貼って、壁として使ってました)が配置され。舞台のふちをぐるっと取り囲むように、客席の半ばまで延びた、工事の足場を使った?空中の台。上手奥、目立たない所にドラムセット。万有のお芝居では、ちょくちょく目立たない所にドラムセットが置かれています。キーボード?もあるみたい。

主人公は「サード」というあだ名の少年。彼とⅡBという少年、そして、テニス部と新聞部というふたりの少女。4人は家出のための資金稼ぎに売春をして稼ごうとします。体を売るのはもちろん少女達。そして少年達は客引き。
しかし、サードは客であった男をトラブルから殺してしまい、サードは少年院へ送られる、と。

彼の入った少年院、そこに収容されている、さまざまなあだ名を持つ、キャラの立ってる少年達、そのおはなし。

「アキラ」という少年が出てきますが。自分を小林旭に似てると思ってる少年。これは直接的に小林旭というより、『新・仁義なき戦い』にチンピラ役で出てくる三上寛さんが元ネタかかもしれませんね。三上寛さんの『ギターを持った渡り鳥』カヴァーもなかなかに良いです。そうか、彼が少年院を出所してやくざになってああなったのかな…みたいな感じがしました。

少年院の制服という設定の、だぶだぶのライトグレイのフードつきパーカにダークグレーのズボンという服装、センスよかったです。フードを被って顔があまり見えない状態とか凄みがあったし。

舞台の過半が少年院なので当たり前ですが、男ばっかりですな。それでも筋立てで女性を出すように工夫してました。でもやっぱり今までの万有のお芝居としてはかなり男臭く仕上がっていました。

お話自体はある初老の詩人が少年院にいた17歳のころを回想するという枠組みを持ってます。詩人に取材する女性記者というのが村田弘美さんでした。今年は惑星ムラリス、ないのかなぁ…。

『サード』というタイトルでありますが。少年院の少年達が野球に打ち込むという展開もアリかなぁと思いましたが。野球シーンはありましたが、野球に打ち込むという展開はありませんでした。

そして、挿話的に、野球に関する薀蓄話のイメージシーンが挟み込まれていました。
ただ、あの、寺山修司の野球の起源の寓話、「ふたりのおしがいて、言葉が交わせないかわりにボールを投げ合って気持ちを伝えていた。しかし、ふたりに嫉妬する男が現れ、ふたりの投げあうボールを棒で外に弾き飛ばした。男は、ボールを弾き飛ばすたびに横論で付帯の周りをぐるぐる回った。やがて、悲しむふたりを助けるために7人の男がやってきた。バッターを“殺す”ために」は無かったですね。

前回今回とストーリーのある、万有にしては珍しいお芝居でしたが。ただ、やっぱり途中途中に本筋とは別のイメージシーンを挿入したりして、普通のお芝居とは違うかたちに仕上げられていました。

お芝居、楽しみました。

次回は10月のパルテノン多摩での『阿呆船』ですね。5月8月10月となんか今年はペースが速いようにも思います。次回も見に行けるかな?楽しみにしたいと思ってます。

軒上泊もまた読んでみようかしら。

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