12日の木曜日は渋谷・アップリンクで日比谷カタンさんのライブ&トークショー、『対話の可能性』第9回を見てきました。今回は評論家&思想家&作家の東浩紀さんをゲストに迎え、「あんたバカぁ!?
-だってボクらの言うことはすべて失言なんだから-あずまん×カタンの失言講座・基本編」という方向のようです。
今まで私が行った「対話の可能性」、本をお書きになっている方もいらっしゃいましたが、私が読んだ事のある方はありませんでした。
東浩紀さんも読んだ事のあるのは単著としては『動物化するポストモダン』、あと大塚英志との対談集、『リアルのゆくえ』ぐらい。『リアルのゆくえ』はこちらもファンな大塚英志が東さんに絡みまくっていて、ちょっとかなしい本でしたが。
たぶん、東さんは私が知りたいことをご存知で、私が理解したいことを理解してらっしゃる方だと思います。ただ、ちょっと難解な気がして。ネットで解説サイトをちょっと見ても、「“動物的"ってなに?“郵便”ってなに?」と頭の中をクエスチョンマークが飛び交うようで。
ま、それでも『動物化するポストモダン』に手を出してみましたが。ある程度は解って、それはとても私が知りたい事のように思われるのですが、でも、やっぱり、よく解らないなぁという感じでした。
私の心はどこか「どろっとしたもの」を抱え込んでいます。それは厄介で。昔っから自分を苦しめてきたし、周りにも迷惑をかけてきました。どうして普通に生きられないんだろうと悩んできました。
昔はそれに翻弄されるだけだったのですが、ある程度老いたせいか、少しはその振る舞いを第三者的に眺められるようになってきました。そして、それに関する書物やネット上の情報を見たりするようになりました。
たぶん、私は、「自我の承認」メカニズムがうまく働いていなかったのでしょう。それで「基底欠損」を起こし、心が不安定だったのではと。また、そうなったのは、個人的な生い立ちもあるでしょうし、現代の「ポストモダン」的状況もあったのではと思ってます。モダンにもポストモダンにも生きられないあたくし。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つる程の祖国はありや
動物的、データベース消費、“欲望”から“欲求”へ。シミュラークル。そして、東さんには直接関係はないですが、「唯幻論」とか。
たぶん、そういったことに考えを進めていくことはある意味危険なんでしょう。
そういったことに気づかずに生きていければ幸せ。しかし、どうもそういうことがうまくいかない人間もたまにはいて。そういう人間にはそういった薬がとても必要。でも、たぶん、それは劇薬。それなしで幸せにやっていけてる大過の人間は口にしないほうがいい。しかし、そうでなければ、それを口にしたほうがいい。ただし劇薬、飲まないよりはいいけど、しかし、その副作用もまた人を蝕む。
まぁ、そういうのが今回の『対話の可能性』について思っていたこと。
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