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2010年8月

2010/08/30

久しぶりにろみさんのライブ

金曜日は四谷・アウトブレイクへ。久しぶりにろみさんのライブに行きました。
当日のご出演は
ハイリスクさん、
ろみさん、
ゾンビロリータさん、
おいおい教バンドさん、
ゴキブリコンビナートさん、
でした。

アウトブレイクは初めて行く場所だと思います。
お店の大将らしい方が、司会MCをなさってました。いつもそうやってるかどうかは解りませんが、そういうスタイルのライブハウスって珍しいかと。

ろみさんのライブも久しぶり。ほんと、ここのところライブハウスからも足が遠のいてしまって。
昔は週一以上のペースでライブハウスも行ってたんですが。勤務先が思わしくない状態で金欠もあるし、やっぱり衰えもあるし。ライブハウス通いを始めたころがあちこち動ける最後の年代だったのかもしれません…。

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2010/08/26

地デジの道は茨道~5~

さて、地デジPCのマザーボードが不調で交換したわけですが。
交換したのはマザーボードだけ。他のパーツは一緒、OSの再インストールもなし、というかたちです。(Windows7の再アクチベーションは求められました)

マザーボード交換で録画した地デジが見られなくなる可能性があることは、例えばアイオーの地デジチューナーカード、GV-MVP/XSWの仕様紹介ページ(http://www.iodata.jp/product/tv/tidegi/gv-mvpxsw/spec.htm#2)に「注意事項」として明記されています。

・録画時のパソコンのマザーボードを交換したり、本製品が故障した場合、他のパソコンに本製品をつけなおした場合には、それまでに録画した番組が再生できなくなります。

とか。

ま、だから、マザーボード交換で今までハードディスクに録画した番組は見られなくなるのは半ば覚悟していました。
まぁ、うまくいけば起動する程度の故障なので、うまく起動すればその間にBD-Rにでも焼いて退避させようとも思いましたが、けっこうな分量になるし、ディスク代もかかるし、だいたいその夜の録画予定に間に合わなくなるし、諦めることにしました。

結論としては録画してあった番組は見られるみたいです。頭のほうをいくつかざっと再生してみただけですが。
また、そのうちOSのアクティベーションみたいにハードウェアの変更を察知されて視聴が不可能になるという可能性もあるかもしれません。そこらへんはまったく予測できないのだけど。
つか、地デジのコピーガードのシステムをほとんど理解していないのだけど。

ま、見られてよかったなと。XSWのフル機能サポートソフトが出たらぼちぼち保存したい番組はBD-Rに焼き始めようかなと。

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2010/08/25

マザーボード交換

SocketAM3に移行する時、マザーボードはGigabyteのGA-MA785GT-UD3Hにしたのですが。
ま、キホン、問題はなかったですが。でも時折異様にむづかる時があって。

症状としては起動直後、そのまま電源が落ちるという現象。この現象、起きない時はぜんぜん起きないんですが。起きだすとしばらく続きます。
そして、
GA-MA785GT-UD3HはGigabyte謹製のDual-BIOSという機能がついてるのですが、再起動時、それがBIOS CHECKSUM ERRORとメッセージを出して、バックアップBIOSからメインBIOSへ書き戻しを行います。CMOSの内容が壊れるくらいならともかく、BIOS ROMが壊れるなんてありえないと思うのですが。

まぁ、ほんとたまぁ~に起きるくらいの現象で。BIOSアップデートあたりで解消されないかな。しばらく様子を見てみようと思っていたのですが。それ以外は安定してますし。

月曜日、帰宅したらPCが起動してました。特に予約録画もセットしてなかったので、なんでかなと思ったのですが。どうも何度もリセットを繰り返している様子。
で、そのうちにバックアップBIOSも壊れたと認識されたみたい。Dual-BIOSはバックアップBIOSが壊れたと認識されるとメインBIOSからの書き戻しを行うみたいだけど、それも失敗、途中でリセットがかかり、延々と再起動を繰り返すという状態になって。

それでもCMOSセットアップには入れるみたいで、BIOS書き込みモードには入れるみたいで。しかし、手元にリムーバブルメディアに入れたBIOSはなく。
んで、手元の余りパーツで急遽バラックを組み、WindowsXPをインストールし、HDDに入ってたBIOSをサルベージ、USBメモリに入れてBIOSの書き込みをやってみたのだけど。
いちおうBIOSは復旧したみたいだけど、リセット現象は収まらず。

結局、月曜深夜の『世紀末オカルト学院』は見逃しちゃったい。ぐっすん。

で、もうだめだと、マザーを替えようと。しかし、アイオーのサイトによるとマザーを替えると今まで録画してきた地デジ、全部見られなくなるみたいで。
ま、それもしかたない、だいたい不調が見え始めたころにちゃっちゃと交換しておくべきだったなと。

んで、とぼとぼと秋葉原へ。

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2010/08/23

瓏砂さんの展覧会

昨日は初台の画廊珈琲Zaroffさんへ人形作家・由良瓏砂さんの展覧会「テトラクテュス変容」を拝見してきました。

Zaroffさんは初台駅から歩いて数分のところ、ちょっと奥まった一角。五叉路に面した小さな楔形のおうちでした。1階が喫茶スペース、2階が画廊スペース。もしひとり暮らしで家が持てるなら、こんなのがいいなぁというこじんまりとした感じ。喫茶は10席くらいかな。外側は黒、内装は木造りのこじんまりとした感じ。石膏像とか置いてあって、本棚には美術書とか並んでいて。

お店の中を通って、急な階段を上がったところが画廊スペース。

瓏砂さんの球体関節人形やボックスアートなどの作品が展示されていました。

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2010/08/15

三上寛さんの詩学校とライブ

昨日は市ヶ尾の三上寛さんの詩学校とライブに行ってきました。

詩学校は何度目かなぁ。でも馴れません。なんかぜんぶ見透かされてしまいそうで。いつも行こうかな、どうしようかなと迷いますし、緊張します。まぁなんとか出発。

三上さんは全員の進行具合を把握されていて、各自にそれぞれ違ったお題をお出しになります。うううむむむ…。

今回、三上寛さんがみんなの詩を朗読されました。ああああ…。いっぱいいっぱいです。

今回、3つ詩を書いて。ほめられたのひとつ。よくないのひとつ。

問題点は、私はすぐに「心情告白」に行ってしまうということとか。詩は嘘を書けというアドバイス。心情告白はよくない。それがダンディズム。
あぁ、ここでリンクしました。日本冒険小説協会、内藤陳会長は、“ハードボイルド”を「やせ我慢の美学」とおっしゃってました。私はそれを肝に銘じようとしてたじゃないか。ハードボイルドだど!

しかし、解ってもらいたいという気持ちもあり。しかし、自分が解るにたる人間ではないという気持ちもあり。孤立した人間という意識もあり。だから、孤高のヒーローが出てくる“ハードボイルド”小説や冒険小説を読んできたんだろうと自己分析するけど。
また、解られることを拒否するがごとく、難解な言葉を並べたてたり。

しかし、まぁ、解ってもらいたいな。特に「黒髪の乙女」に。いやいや…。

ここらへんが自分の人生の課題なんだろうな。

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2010/08/14

東浩紀さんを迎えての対話の可能性

12日の木曜日は渋谷・アップリンクで日比谷カタンさんのライブ&トークショー、『対話の可能性』第9回を見てきました。今回は評論家&思想家&作家の東浩紀さんをゲストに迎え、「あんたバカぁ!? -だってボクらの言うことはすべて失言なんだから-あずまん×カタンの失言講座・基本編」という方向のようです。

今まで私が行った「対話の可能性」、本をお書きになっている方もいらっしゃいましたが、私が読んだ事のある方はありませんでした。
東浩紀さんも読んだ事のあるのは単著としては『動物化するポストモダン』、あと大塚英志との対談集、『リアルのゆくえ』ぐらい。『リアルのゆくえ』はこちらもファンな大塚英志が東さんに絡みまくっていて、ちょっとかなしい本でしたが。

たぶん、東さんは私が知りたいことをご存知で、私が理解したいことを理解してらっしゃる方だと思います。ただ、ちょっと難解な気がして。ネットで解説サイトをちょっと見ても、「“動物的"ってなに?“郵便”ってなに?」と頭の中をクエスチョンマークが飛び交うようで。

ま、それでも『動物化するポストモダン』に手を出してみましたが。ある程度は解って、それはとても私が知りたい事のように思われるのですが、でも、やっぱり、よく解らないなぁという感じでした。

私の心はどこか「どろっとしたもの」を抱え込んでいます。それは厄介で。昔っから自分を苦しめてきたし、周りにも迷惑をかけてきました。どうして普通に生きられないんだろうと悩んできました。
昔はそれに翻弄されるだけだったのですが、ある程度老いたせいか、少しはその振る舞いを第三者的に眺められるようになってきました。そして、それに関する書物やネット上の情報を見たりするようになりました。

たぶん、私は、「自我の承認」メカニズムがうまく働いていなかったのでしょう。それで「基底欠損」を起こし、心が不安定だったのではと。また、そうなったのは、個人的な生い立ちもあるでしょうし、現代の「ポストモダン」的状況もあったのではと思ってます。モダンにもポストモダンにも生きられないあたくし。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つる程の祖国はありや

動物的、データベース消費、“欲望”から“欲求”へ。シミュラークル。そして、東さんには直接関係はないですが、「唯幻論」とか。

たぶん、そういったことに考えを進めていくことはある意味危険なんでしょう。
そういったことに気づかずに生きていければ幸せ。しかし、どうもそういうことがうまくいかない人間もたまにはいて。そういう人間にはそういった薬がとても必要。でも、たぶん、それは劇薬。それなしで幸せにやっていけてる大過の人間は口にしないほうがいい。しかし、そうでなければ、それを口にしたほうがいい。ただし劇薬、飲まないよりはいいけど、しかし、その副作用もまた人を蝕む。

まぁ、そういうのが今回の『対話の可能性』について思っていたこと。

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2010/08/09

万有公演『サード』

昨日は笹塚の笹塚ファクトリーで演劇実験室◎万有引力のお芝居、『サード』を見てきました。

『サード』は映画にもなってる作品。軒上泊原作&寺山修司脚本とか。
軒上泊は何作か読んでます。『べっぴんの町』とか。面白本でありましたが、もう面白かったってしか憶えてないです。最後に読んだのは20年以上前かなぁ。軒上泊ご自身が少年院の看守だったそうで、その経験を活かした作品が多かったと思います。

残念ながら映画『サード』は未見です。原作小説も読んだことないかなぁ。大昔に『ウェルター/サード』のハードカバーを買ったと思いますが、たぶん本棚の奥で積読のままあると思うのですが。渋谷のユーロスペースで買ったような記憶があるんですが、昔、ユーロスペースって本を売ってましたっけ?書名からすると軒上泊の原作の方と思いますが。お芝居見る前に読んどこうと思いましたが、本棚ひっくり返すのがめんどくさくて結局読まずしまいでした。

今回の『サード』は万有引力公式サイトによると『「寺山修司シナリオ集」より』と書き添えられていますから、映画版『サード』のシナリオを元にしたもののようです。軒上泊の名前もクレジットしておいてほしかったな、と。

演劇実験室◎万有引力は寺山修司の演劇実験室◎天井棧敷の流れを継いだ、断片的なイメージを積み重ねた、ストーリーを軸に進行するのではないお芝居が特徴的でした。
だいたい普通のお芝居ってのはストーリーがまずあって、それを軸としてお芝居は進行すると思うのですが。もちろん作り手に「やりたいシーン」ってのがまずあったとしても、それは「ストーリー」という軸に絡めていく。

逆に万有のお芝居はストーリーってのはあるかなきか、たまに顔を出したりするけど、しかしストーリーを軸に展開していのとは違う。まず、イメージありき、のお芝居だと私は解釈するのですが。「小説」に対する「詩」のような感じと言えばいいかな?詩劇。

だから、普通のお芝居に慣れた人は、万有のお芝居を見ると面食らってしまう。お芝居を見る時、まず第一次的に「何が起きているか」と理解する上で軸となる「ストーリー」がよく解らない。お芝居が終わったあとお客さんが「よく解らなかった」と話しているのも何度か聞いたことがあります。
私はもうストーリーを追うような見方はせず、一種の「レビュー」として万有のお芝居を見ています。ちりばめられたイメージを楽しむ、それでいいのではないかと思って見ています。

ただ、前作『くるみわり人形』は、万有のお芝居としては「ストーリー」が前面に出たスタイルとなりました。そういう方向性もやろうということかしら。で、今回の『サード』も「ストーリー」もののお芝居のようです。

そういう方向でどういうお芝居を見せてくれるのか楽しみでした。

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2010/08/03

時代の事件として考えてみる

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100803k0000m040118000c.html
『2児放置死:「30分泣き声続く」異変伝える通報』(毎日jp)

なんとも痛ましい事件であります。
こんな事件は、いつの時代でもある、どの時代でも一定割合で起きるもの、と考えず、この時代ならではの事件と考えるとすると、と考えてみたのですが。

ひとつは「母性愛幻想」の崩壊があるのではと思います。
岸田秀によると人間は本能の壊れた動物とか。だから、動物が持っているような「母性本能」は人間は持ってない。そのため、人類はそれに替わる「母性愛幻想」というのを発明し、子供を育てる能力を失わないようにした。そう理解しているのですが、私は。

しかし現代、人類はその「母性愛幻想」を安直に壊してしまったのではないかと。

「母性愛」はある側面、女性を束縛するものとして機能してきました。近現代、人はあらゆる束縛から自由になろうとして。で、ついでに「母性愛幻想」も壊してしまったのではと。それは一方では子育てに縛られる女性を解放してくれたのでしょうが。しかし、もう一方では育児放棄という問題を生んでしまったと。

「母性愛」という「共同幻想」。そのおかげで、人類が、さまざまな問題はあるにせよ、とりあえず絶滅せずに大過なく繁栄できてきた、人類をある部分支え、ある部分束縛してきた、「共同幻想」。そのひとつは確実に「母性愛幻想」だったかと。
それが壊れてきている。

ただ、それは一面、育児を一方的に押し付けられてきた女性を解放するものだったといういことは忘れてはならないかと。

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2010/08/02

真珠子さんの展覧会

7月31日、土曜日は浅草橋の夜想ギャラリー、パラボリカ・ビスさんで開かれている真珠子さんの展覧会、「おねえさんはリボン狂」に行ってきました。

真珠子さんのアニメーション作品は母檸檬さんのライブとかで拝見したことがあります。先日の日比谷カタンさんの「対話の可能性」でも見ましたし。
小さな女の子が描くような女の子の絵という感じなのですが。

土曜日の浅草橋駅周辺は結構人通りが多くて。あとで気がついたんですが隅田川の大花火大会とか。花火は好きですが、人ごみが苦手なので行ったことはないのですが。

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