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2010/06/22

『記憶はウソをつく』

『記憶はウソをつく』(榎本博明:著 祥伝社新書)
読了。

私は高校時代から寺山修司の本を読みはじめました。
寺山の本には「作りかえられない過去なんてない」「過ぎゆく一切は“物語”に過ぎない」っていう類のフレーズがよくあって。
高校時代、このフレーズを読んだ時は、「寺山修司ってすごいこと言うな、かっちょいいな」と思っていたのですが。
それから幾星霜、今の私は、「過去の作り変え」つまり記憶の改変というのは、意識的にしろ無意識的にしろ、人として当たり前にやってること。心のメカニズムのひとつだと思うようになってきました。
そういうのは人の心の不思議さ、面白さのひとつであると。

過去が遠ざかって枝葉が落ちる場合もあるでしょう。また、自分が悪かったのに耐えられず、誰かのせいにする思い出もあるでしょう。お互い顔を見るのもうんざりして別れたカップルも、それから数年たてばそれを美しい、甘い思い出にすることもあるでしょう。

「記録」と「記憶」は別物。私はむしろ「記憶」を愛したいですが。

さて、で、そういうメカニズムについて解説した本をいろいろ読みたいなと思ってます。
で、本書を手に取った次第。

本書では、冤罪事件に焦点化しつつ、記憶の不思議を追及している。あってはならない冤罪が、現実には数多く存在する。そこに記憶のウソがいかに深くかかわっているかを示そうと試みた。
記憶の植え付け、想像と現実の混線、無意識への抑圧神話、事後情報による記憶の変容、目撃証言を誤らせる条件、対話の中で誘導され変容する証言や判断など、冤罪事件生み出すさまざまな要因がある。それらはすべて記憶に絡んだものである。(205p「あとがき」)

私はもうちょっと日常的なものに即した解説書が読みたかったのですが。本書では記憶の改変がいちばんクリティカルな影響(被害)を及ぼす冤罪事件にフォーカスしていますが、それでもいろいろ面白かったです。

本書ではさまざまな心理学的実験の結果を紹介し、いかに記憶というものがあやふやなものか、偽造されたり改変されたりしやすいものか紹介しています。
さらに、ある方向に、例えば、事件なら、警察側が意図したように、記憶を改変し、あるいは偽造することがたやすいと教えてくれます。

目撃証言はもとより、容疑者本人の記憶もいかに捏造され、「私がやりました」に持っていかれるか。
こういった部分は、冤罪事件を引き起こさないように、こういう心理学手法も用いて、そういう記憶の偽造や変容を防ぐ手段を確立して欲しいものだなと思いました。
被疑者当人はともかく、目撃証言のあやふやさ、事後の情報で以下に変容しやすいか、についての指摘は背筋が寒くなりましたよ。

そしてまた、ここらへんの外部的な記憶の偽造や改変を上手に使える人なら、人を操ったりできるんだろうなと思いました。

「記憶」ってのは、昔の事が書かれたノートを参照するようなものではなく、思い出す時に「再構築」されるものだそうです。で、その、「再構築」に余計なパーツが組み合わさってしまうと。それが記憶の偽造や改変に繋がると、そういう事のようです。その「余計なパーツ」をいかにうまく相手に与えるか、が、記憶の偽造や変容のテクニックになるのでしょうか。

実は帰省した時、家族と昔の話をしていて、記憶に食い違いが生じることがままあるようになりました。それはちょっとさみしいことなのだけど。
故郷の家族は家族で私抜きで昔話をしていて、その話しているうちに記憶の改変があって(もちろん私にもあるでしょうが)、すり合わせできないままきている、って事なのでしょう。

ところで著者の榎本博明氏の思い出話も本書にはいくつか出てくるんですが。しかし、榎本氏は、こういう本を書いておきながら、自分の記憶は正しいって思ってるんですよね。これは読者にツッコミを入れさせたいからワザとボケてるのか、ほんとにそう思ってらっしゃる、つまり、自分の記憶は絶対的であると考えていらっしゃるのか、解らないのですが。
後者であるなら、やっぱり記憶というものは厄介なものであるなと思います。

ま、そのうち、1年365日年中無休で自分の行動を記録するデバイスとかできるかもしれませんね。そういうのを常に身に着けて、記憶違いから起こるトラブル、あるいは冤罪事件とかから身を守るようになる時代が来るのかもしれません。

そういう方向性のほうが「正しい」とは思いますが、でも、それはそれでまた味気ないものになるのかもしれません。

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コメント

とても面白い記事でした。過去が物語になり得れば、つまらん人生も面白かった言えるのでしょうか(笑)

投稿: YAMA | 2010/06/27 20:10

◎YAMA様
書き込み、どうもありがとうございます。
>過去が物語になり得れば、つまらん人生も面白かった言えるのでしょうか(笑)

そういう部分もかなりありえるんじゃないかと思ってます。

居酒屋なんかで昔の「武勇伝」を吹聴する元不良っぽい人とかいるじゃないですか。ああいうのってほとんどが「記憶の改変」のプロセスを経ていると思います。最初はホラ半分と自覚していても、話を繰り返すたび、それを自分で「ほんとにあったこと」と信じてしまうのではないかと。

また、そのままだと耐え切れない経験をマイルド化して「記憶」として残したりという機能も人の心に備わっているんじゃないかと思ってます。

どうもそういうのを解説した俗流心理学の本もあるっぽいので読んでみるつもりです。

「記憶と記録の間」ってほんと面白いものだと思っています。

投稿: BUFF | 2010/06/27 22:02

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