三上寛『弥吉』
「弥吉」。タイトル曲でありますな。弥吉という人物をスケッチした歌。弥吉って誰なんでしょうね。三上寛さんご自身か、あるいは何らかの象徴的・典型的な人物。まさか「や○○○○きち」じゃないとは思いますが…。
(追記:弥吉とは幕末の漂流民のことのようです。調べてみたらそれについて書かれた>バタン漂流記」という本があるようです)
「リヨン」。インタビューに答える三上寛さん、って感じの語りが挟み込まれている曲。昔の思い出について語る三上寛さん。
「冬の午後」。郊外のホームセンターで立ち話をする人たちのスケッチ。それに感銘を受ける三上寛さん。
私も三上寛さんとは違う意味であると思いますが、ふつーに世間話をしているふつーの人たちの姿というか“存在感”にショックを受けることがあります。ふつーに生きてふつーの人間になるはずの私、しかしああはなれなかったような、どうしてなれなかったのか、と思って。うまく説明できないけど。
「とんかつ日和」。今年は3D元年とか。3D大型液晶テレビとか色々リリースされるとか。どっか根性のあるところがこの曲をCMソングに使わないかな、なんて。
「古屋君とフクロウ」。この曲を初めて聞いた時、腰を抜かしました。わはは。この曲の元ネタ誕生の瞬間、居合わせましたよ。日本で数名(つか世界でもか)のひとりのあたくし。
しかしあれがこういうかたちで歌になるのかぁ。
「ぞうきんをしぼる理由」。三上寛さんは怨歌のひと、『夢は夜ひらく』とか、の人だと思われているようですが、シュールな歌の達人でもあります。『オートバイの失恋』とか『三上工務店が歩く』とか『黒く、飛ぶ人』とか。手術台の上の蝙蝠傘とミシンの逢引、みたいなシュールそのものの歌。その一曲。
「私たちは何を失ったのか」。そのままでありますが。でも、失ったと思ったものを実は持っているよ、という部分が良かったです。
本当に三上寛さん還暦記念らしい、良いアルバムでありました。
ここ数日の通勤のお供であります。
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